2.「傍観者の町」



 男が現れてから拘束されるまで、五分もかからなかった。意識を失った男を手錠で拘束した朝季が教師に声をかけたが、近寄ろうとする者はいなかった。

 野次馬の生徒に「教室に戻れ」と指示する大人たち。警備会社の人間が来るまで廊下に突っ立っていた凪だが、朝季と目が合うと同時に視界を遮られた。


「なにしてる、白川。教師に戻れ」

「……です」

「は?」

「……わかりました」


 私も当事者です。

 その一言が言えなくて、朝季と顔を合わせる前に踵を翻した。

 流れに沿って教室に戻っている凪の耳に、生徒達の会話が流れ込んでくる。


「怖かったぁ」

「本当びっくりした、やめて欲しいよね」

「なんだったんだろう、さっきの」

「どうでもいいじゃん。それより次の授業なんだっけ?」


 ……他人事だな。


 やはり声は出なくて、そもそも自分もその一部なわけで。なにも言えないまま、凪はその後普通に授業を受けた。

 帰宅して母にその話しをすると「大変だったわね。ところでお醤油ないんだけど、お刺身そのままでいいかしら」と食卓の話題にも上がらなかった。

 料理上手な母が準備した夕食が美味しくないと感じたのは、久しぶりだった。

 知りたい、調べようと思ったのはお風呂に入って髪を洗っていた時。頭に乗った大きな掌、守ってくれた、友達になろうと言ってくれたのに……。

 お風呂から上がった凪は、髪を乾かすよりも先にアテンダーの意味を調べた。


【専門医の手術によって武器を体中に取り込み、自身を兵器として使用するよう開発された人間兵器の俗称】


 なぜ人間兵器=アテンダーなのか、意味を考えればすぐに繋がった。


【attender】東京内戦にしている人間兵器。


「昔はテレビでもよくやってたのに……いつから、気にしなくなったんだろう」


 東京奇襲の後はメディアが日夜競うように現状を伝えていた。地域の大人や学校の先生達まで「情報を取り入れなさい」と騒いでいて、そうしていないと後ろ指を指されているような気分になって。反発する者もいたが、半年経つ頃には彼らの姿はなくなった。

 情報は曖昧だったり難解だったりして、徐々にそれに関する報道は減っていった。新しい教育番組や情報番組が流れると今度はそれが話題となり、それが飽和すると次は新しい話題へ。

 気にしなくていい、近寄らなければ大丈夫。

 そんな文言とともに、東京の街はテレビやwebなどのメディア、人々の意識から消えた。


「だから関東は、東京は地図に載っていないのかな?」


 その言葉を聞いたのは今朝のことだ。


「お礼言わなきゃ、明日」


 そう決意して、その日は眠りについた。



 翌日、登校した凪は廊下で妙な会話をする生徒とすれ違った。


「嘘でしょ? どうして来てるの?」

「アレがいるってことは、この学校危なくない? 出て行けって言ってきてよ」

「嫌よ、それで東京送りになったらどうするのよ」

「東京送りって本当にあるのかな?」

「知らないわよ、私には関係ないし」


 なんだろう? と首を傾げながらも凪は自分の教室に向かう。

 そしてドアに手をかけた瞬間、自動で扉が開いた。


「……あ、おはよう」


 眼前には朝季の姿。挨拶を無視し教室から出ようとする朝季だが、入口に立つ凪が邪魔で叶わない。


「あのね、白河くん、昨日は……」

「どいて」

「え?」

「帰るから、どいて」


 酷く不機嫌な、冷たい声。朝季の背後では、クラスメイト達が様子を窺っていた。

 凪は先ほどの、廊下での話を思い出した。


 あんなのが、人間兵器バケモノがまだ、この学校に来ている。


 無言で「出ていけ」と圧力をかけるような、自分と違うものを怖じるような生徒達の視線。

 動けない、声を出せないでいる凪を、朝季が肩を掴んで押しのける。


「傍観者だな、どいつもこいつも」


 呟いてしまったような小さな声だけど、朝季がそう言った。


「ぼうかんしゃ……?」


 はっとして振り向いた時にはもう、朝季の背中は遠くなっていた。


「白川さん、大丈夫?」


 追いかけなきゃと踵を返した凪だが、背後からの声に引き留められた。

 振り返ると同じクラスの女子生徒が、凪を肩を見つめていた。


「怪我してない?」

「怪我?」


 なんのことだろうと首を傾げたが、次の瞬間にはその答えがわかった。

 あの人間兵器に、傷つけられてないか?


「……っ、大丈夫、だから!」


 クラスメイトの視線を振り払い、凪は廊下を走り始めた。



 階段上に人の気配を察知し、朝季はため息をついた。

 足音――あの子だ、同じ名前の、白川凪。

 もう人間のふりをする必要はない。東京の、戦場にいる人間兵器アテンダーに比べたらこんな一般人の追跡、簡単に振り切れる。

 無視して逃げようと、朝季は大きく息を吐いた。


「もしかして、俺を追いかけてる?」


 しかし意とは反対に、朝季は歩みを止めて振り返った。

 驚いた凪が、階段の踊り場で立ち止まる。


「あの、あのっ……」

「もう帰るんだけど」

「帰る……帰るの?」

「……用件は?」

「え? あ、えっと、昨日はありがとう」

「ありがとう?」

「昨日ここで、襲われたとき。白河くんがいなかったら私、撃たれてたよね?」

「右目が潰れてた、ぴったり瞳孔。狙ってやってたなら敏腕だと思う」

「へ、へぇ……」

「聞きたいことはそれだけ? じゃあ」

「あ! クラスの人たちの態度が嫌なんだよね? ごめんね、田舎は平和な町だから、みんな動揺してあんなこと」

「平和な町? どこと比べて?」


 言葉にはとげがあった。沈黙が続きややあって、朝季がふっと笑みを漏らす。

 しかし喜楽の感情ではない、嘲る様な笑みを凪に向ける。


「田舎の人ってすぐ『東京に連れて行かれるぞ』って言うよな? 田舎で悪いことしたら東京、戦場に連れて行かれるって言われて育った?」

「私は、そんなこと……」

「正解。犯罪者は戦地東京に送られて、人間兵器アテンダーとして戦わされる。ここに来てよくわかった。田舎の人間って俺らのこと馬鹿にしてるよな?」

「馬鹿になんて……」

「そして自分には関係ないことだと思ってる。東京内戦は遠い場所の自分とは無関係な出来事だから知らないふりして……この街に住むほとんどのやつらが傍観者だ。同じ日本国内、同じ人間なのに」


 朝季の顔からは笑みが消えていた。

 鋭い視線に凪は畏怖し、しばらく見つめ合った。


「あぁ、そっか。田舎のやつからしたら俺らは、同じ人間じゃないのか。安心していいよ、もう会うこともないだろうから」


 一方的に言い放ち、朝季は床を蹴った。一瞬で見えなくなった朝季の姿。

 取り残された凪はぺたんと、廊下に尻を着いた。


「追いかけなきゃ……」


 そう口にするが足が動かなくて。

 そもそも追いつけるわけないと思って。

 凪はその場にうずくまり、唇を噛んだ。

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