第215話 小山田虎親、完全に武田に取り込まれる

― 三人称 ―


― 武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部) 江戸城 ―


「小山田出羽守殿がおいでになりました」


 床が総畳張りである謁見の間にある襖がすっと開き、今年の頭から出羽守を名乗るようになった小山田虎親が入ってくる。なお謁見の間の床が畳なのは江戸城の改修を指揮した小山田虎親の趣味である。


「御屋形さま。風魔衆からの情報です。ご確認を」


 そういって小山田虎親は畳の上に胡坐をかいて座り、懐から冊子を取り出して部屋の奥、一段高いところで片膝をついて座る武田信虎の側に控えていた小姓に視線を送る。小姓は素早い身のこなしで小山田虎親に近寄り冊子を受け取ると武田信虎のもとに冊子を届ける。

 小山田虎親は「確か教来石景政とかいったな」と小姓の名をつぶやく。


「ふむ。伊豆沖に所属不明の大型帆船あり。すでに毛利は駿河(静岡中部から北東部)の騒動に手を深く入れておったか・・・さすがだな」


 武田信虎はふむと頷く。


「毛利の施薬院殿と太原殿は旧知の間柄なれば、彦五郎殿に肩入れしているものと推察します」


 小山田虎親は恭しく頭を下げる。


「・・・そういえばお前も彦五郎殿と太原殿にはご執心だったな。いい年して嫁を娶らんのは、そっちの気しかないのか?」


 武田信虎の小山田虎親を見る目が生暖かいものになる。とはいえこの時代、戦場に女性の気があると戦の女神がヘソを曲げるという迷信がある。結果、戦場に出る前には徹底的に女性断ちをするという習慣が生まれた。攻め込む側など、出陣の前一か月から禁欲生活とかざらである。当然だが、体力自慢な方々の滾る生存本能の捌け口は、幼く華奢な少年に・・・以下略。


「まさか!そんな気は一切ございません」


 小山田虎親は物凄い勢いで頭を振って断言する。


「そうか。ならすぐにめぐみと祝言を挙げよ。武田の重臣であるお前が、いつまでも独り身では困るのだ。いい加減、武田の一門衆になれ」


 小山田虎親の言葉に武田信虎は即座に言葉を返す。もっとも、小山田虎親が未だ結婚しないのは、前世的な感覚に引っ張られているのが原因だったりする。なお、めぐみは今川氏輝に嫁ぐ予定だった武田信虎の長女だ。


「めぐみさまは今川の後継となった者と縁結びするのでは?」


 小山田虎親は、武田信虎の娘と11歳ある年の差とか、武田晴信次期当主の義兄になるとかそういうのは一旦意識の外へ追い出して指摘する。


「いまの今川に娘をやる意味はあるのか?」


 武田信虎は目を細める。


「ありませんな・・・」


 小山田虎親は唸る。実際、今川氏輝と武田信虎の娘の婚姻による甲駿同盟は、今川が西の尾張(愛知西部)に武田は北の信濃(長野及び岐阜中津川の一部)に進出するための後顧の憂いをなくすための同盟だ。ところが、今川氏輝と今川彦五郎が病死し、僧籍だった庶子の玄広恵探と直系の栴岳承芳に名門今川の後継者というお鉢が回った。

 この事態に本人たち以上に今川家の家臣団が動揺したのだ。先代が逝去して若い当主に代わり、体制が刷新され、当主の目が無くなった3男以下の男子に見切りをつけた家臣が、それなりにいたのだから当然である。


「しかし、足利に連なる名門今川が、こんな形で内部崩壊するとは・・・」


「先代の上総介殿によって支配下に置かれた相模(神奈川の大部分)伊豆(静岡伊豆半島)の国人衆が原因というのも皮肉ですな」


 ふたりは苦笑いする。相模と伊豆の国人衆の元の主家である後北条家は、すでに大名としては没落したが、最後の当主だった北条氏綱はいま武田家の食客として生きている。今川氏虎が武田家の影をチラつかせたことで、彼らは今川氏虎を支持し、今川彦五郎を支持する者たちを戦力の上で上回ってしまったのだ。


「思えば、武田も遠くに来たもんだ・・・」


 武田信虎は小山田虎親を登用した時に注文されたことを思い出す。


・戦の褒美に領地を下賜しないでほしい。土地は有限です。源氏が興した幕府は海の向こうから攻められ勝つには勝ったが与える褒美に不満を持たれて滅びました。

 この提案はあっさり家臣団に承諾される。なにしろ武田が領する甲斐(山梨)は、ちょっとした不作が起きると餓死を避けるため周辺国から食べ物を略奪しなければ生きてゆけないほど貧乏。戦の褒美で痩せた土地を下賜されても腹は膨れない。なら金か食べ物の貰った方がありがたいということになった。

・政を行う者と軍を行う者は分けましょう。農民と兵士とで仕事を分けるのです。両方が熟せる者を得ることは難しいから。

 小山田虎親は「鑑定」なる能力で他人の得意技能とその職業適性を見ることができるという。また「指導」という能力でその適性能力を引き出すこともできると。

 「領民を教育して見せよ」と命じると、小山田虎親は武田信虎の領内から10人ほど領民を選抜して、1年ほど教育した。結果として戦力、農業、工業が飛躍的に発展。いま武田が関東一円に広大な領地を領するための基盤を作ってしまった。

 あと5年早く武田信虎の下に小山田虎親が出仕していれば、毛利より早く京に武田菱が翻っていただろうと思う武田信虎だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る