第216話 斯波軍ホイホイ

 1537年(天文6年)2月


 今川彦五郎が、善得院において、今川氏輝と次兄の今川彦五郎(先代?)の葬儀を執り行った。

 善得院は、今川家9代当主である今川氏親が、今川彦五郎が栴岳承芳として出家した時に、今川氏親の母親である北川殿の別邸跡に建立した寺院である。

 この寺に二人の遺体が葬られたということは、今川彦五郎が名実ともに後継者であると宣言したのに等しい。

 しかし、この後継者宣言に水を差す事態が起こる。尾張(愛知西部)の斯波義統が、自身を総大将とした兵6,000を率いて遠江(静岡大井川以西)に攻め込んだのだ。

 この報を聞いた今川彦五郎は、即座に兵1,000を率いて出陣。途中、駿河(静岡中部から北東部)の西や遠江の国人が率いる兵1,500を吸収、兵を2,500にまで増やす。

 これは、駿河と遠江の日和見だった国人衆が、今川彦五郎にこびを売るために、手持ちの兵を積極的に派遣したからだ。


 ー 遠江(静岡大井川以西) 二俣城 ー


 二俣城の城門前に数騎の騎馬がやってくる。城門には数名の鎧武者が立っており彼らを出迎える。


「斯波軍はどうなってる」


 先頭の馬に乗っていた今川彦五郎が声を張り上げる。


「はっ。斯波は軍を二つに分け、一つは曳馬城を包囲。一つは掛川城に向かって進撃中です」


 出迎えた側の立派な鎧を着た、二俣城の城主である松井宗信は斥候からの情報を今川彦五郎に伝える。


「曳馬城を囲む敵将と数は?」


「敵将は斯波義統の従叔父である斯波義虎。兵は1,500前後だと思われます」


 今川彦五郎の言葉に、松井宗信は小さく頭を下げて敵将の名と兵数を告げる。


「ということは、斯波義統は、掛川城に向かっている?」


「おそらくは・・・」


 松井宗信は肯定する。今川にとって曳馬城は遠江を支配する要の城だが、斯波義統にはその認識はないと、今川彦五郎は判断する。


「遠江全域を手中に収めるなら、さらに軍を分け、二俣城にも押し寄せてくるだろうな・・・さて、誰がここに来るか」


 今川彦五郎は、彼の兄貴分であり師である太原崇孚が懇意とする、毛利家重臣の畝方元近から譲って貰ったという「仰天!世界の大逆転劇」なる世界中の戦で起こったという大逆転劇の話を網羅した草子のことを思い出す。

 太原崇孚は、戦に絶対はないという戒めという意味で、今川彦五郎に草本の閲覧を許可していたが、若い今川彦五郎にとって「寡兵よく大軍を破る」というものに大変な憧れがあり、「仰天!世界の大逆転劇」は愛読書でもある。

 今川彦五郎は、頭の中にある「仰天!世界の大逆転劇」から似たような戦がないか思い返す。


「やってみる価値はある・・・か」


 今川彦五郎は、ある作戦を思いつく。


 - 四日後 遠江 二俣城 昼過ぎ -


 斯波義統軍が3,000近い兵を持ってニ俣城を包囲したのは、今川彦五郎が二俣城を離れて二日ほど経った頃だった。斯波義統は、城主である松井宗信に対し降伏勧告を行う。

 これに対し松井宗信は、城内の意思統一のための話し合いに一日の時間的猶予を求める。自軍の損耗を避けたい斯波義統はこれを快諾。ニ俣城を包囲した二日後、松井宗信は武装解除した兵800と共に城を出る。


「入城するぞ」


 松井宗信の軍が城から十分に離れたのを見計らったニ俣城に入る。


「兵の半分に食事のための休憩を取らせろ。与次郎。お主はニ俣城の・・・特に城に備蓄されている兵糧の調査を行え」


 斯波義統は、副官として従軍していた織田信秀の弟である織田信康に指示を出す。


「はっ」


 織田信康は小さく頭を下げると、部下に向かって指示を出す。




「武衛さま。城に兵糧はほとんどありません。また、残っていたものも水浸しで使いものになりません!」


「武衛さま。武器庫と金蔵、全部空です」


 半刻ほど経って、次々と発覚する松井宗信の嫌がらせに斯波義統は歯ぎしりをする。だがその歯ぎしりも、不意に城外からあがる「わぁ!」と鬨の声に掻き消される。


「どうした。何事だ!」


 斯波義統の隣にいた織田信康が叫ぶ。


「い、今川軍の奇襲です。数は4,000!」


「はぁ?今川は、家督争いの最中で軍が動かせないのでは、なかっ・・・た・・・」


 兵の報告に、斯波義統はそう呟いて、自分が完全な思い違いしていた事に気付く。国の内部で親族同士が争っていても、外部から攻められたときに一族が一致団結して抵抗するという事例は、良くある事じゃないかと・・・


「た、直ちに今川軍を迎撃しろ!」


 斯波義統は大声で命令を出すが、事前に今回最も激戦になると予想していたニ俣城を、被害らしい被害もなく、あっけなく落として入城したことで、兵たちが完全に緊張の糸を切っていた。しかも半分は食事のための休憩を取らせたばかりだ。


「じ、城門を閉じよ」


 後に餓将という悪評と渾名がつくことになる斯波義統の判断がされた瞬間だった。

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