第192話 山科本願寺跡地ここを復興の第一拠点とする

毛利義元→史実の毛利隆元


1536年(天文5年)3月


ー 山城(京都府南部) 山科荘 -


 この地には一向宗の総本山である山科本願寺があった。それが4年ほど前に比叡山の僧兵に攻められ焼失し、いまでは廃墟となっている。当時比叡山の僧兵を影で煽ったのはこの俺で、いま山科荘が寂れている原因の一端は俺にもあったから復興には力を入れる。いずれ三条通から東海道へと続く街道筋にもなるしね。


「ここを復興の第一拠点とする」


 関東から帰国して諸々の仕事をかたづけ、目出度く菊と祝言を挙げた山科言継さんが、公家とは思えない質素な麻の着物を身に纏い、手に持ったツルハシを掲げて叫ぶと、同じく質素な麻の着物にツルハシを持った十数人の男たちが「「「「「おう!」」」」」と野太い声で返事を返す。そして山科言継さんのお付きの人が「申し訳ありません」とコメツキムシのようにこちらに向かって頭を下げている。

 山科言継さん。関東出張で関東が武田氏、というか小山田虎親の音頭取りで開発されているのを見て思うところがあったのだろう。自分も当主として山科荘再開発の先頭に立ちたいと、今回畑作業に参加することになったのだ。

 なお今回栽培を始めるのは胡瓜と蕪。あと秋に栽培を始めるキャベツ作りの土壌作りの下準備となる大豆(マメ科)だ。これに牛や馬の放牧と小麦の栽培でノーフォーク農法がやれる。

 ちなみにこの時代の胡瓜は完熟させてから食べていたため黄瓜とも言われてるらしいけど、胡瓜は完熟するととても苦いので最初に胡瓜を植えると言ったらものすごく変な顔をされたよ。完熟させない方が美味しいのだから食べ方を広めないといけないよね。


「せーの」


 山科言継さんが気合を込めて固い地面にツルハシを打ち込む。続けて男たちもツルハシを地面に叩き込む。別にツルハシでなくても土はおこせるけど、施薬院から色々と農機具を持ち込んだ際に、山科言継さんに道具の名前を聞かれ、ツルハシは漢字で鶴嘴と書きますと教えたら、「鶴とは縁起がいい」とか言われて、栄えある最初の土おこしの道具として採用されたのだ。

 まあ刃の部分はすべて鋼鉄製なので、ちょっとした石なら簡単に粉砕できると思う。なおツルハシの刃が鋼鉄製だということ知っているのはこの場には俺しかいない。


「そういえば欧仙殿。冬に田んぼの畦を崩して水を抜いておったが、あれにはどういう意味はあるのか?」


 実にいい笑顔でツルハシを振るっていた山科言継さんが、額の汗を服の袖で拭いながら尋ねてくる。好奇心旺盛だなぁ。


「ああ、あれは田んぼの地中にある養分と空気を混ぜて、植物が成長するのに重要な養分に作り替えるための作業をするために水を抜いたのです」


 と、それらしいことを言う。


「それは他の田んぼでも?」


「ある程度は効果がありますが、出来れば、あとひと手間必要です」


「そうか・・・ちなみにそのひと手間を教えてもらうことは?」


「大丈夫ですよ。土に特別な肥料を鋤きこむんです」


 俺の答えに山科言継さんは頭を捻る。堆肥を鋤きこむというのは特に珍しい事ではないからだ。もっとも毛利氏では大量に手に入る牛糞、馬糞、鶏糞を発酵させた堆肥とは別に、十分に成長させたマメ科の植物を土に鋤きこんだ緑肥も利用している。この緑肥。化学肥料の生産が禁止された大戦末期に代替の肥料として活躍した実績があったりする。


「ちなみにその肥料は毛利では機密で、流通も領内で厳しく管理されています。できれば他言無用でお願いいたします」


 まあ機密は緑肥の原材料が空気中の窒素を溜め込む根粒菌と共生するマメ科の植物ということなのだが、一応釘を刺しておく。


「あい解った」


 山科言継さんの表情が一瞬だが歪められたが、すぐに顔を清々しい笑顔に変える。これはあれだ。武田氏の関東開発で思うところがあったというのは俺の勘違いだ。

 殊勝な態度で開墾の先頭に立つとか言っておきながら、その実しっかりと毛利氏の農法を学び、誰かにこっそり教える気だったのだろう。そうやって情報を売って相手との関係を良くして、いざというときに見返りを求める。

 史実でも各地の戦国大名と積極的に誼を結び朝廷への多額の献金をもぎ取った戦国の寝業師の面目躍如といっていい。まあ部下に任せず本人が出張ってくるのは好感が持てる。なので・・・


「・・・まあ、特別な肥料は臥茶の会員とということで割引き価格で融通しますので、それを有効に活用してください」


「ありがたや。この恩は必ず」


 山科言継さんは破顔一笑する。そして「これでそなたに従四位上に・・・」と呟く。・・・一体誰に恩を売る気なのだろうか?まあ養女である菊の後ろ盾は多ければ多いほど高ければ高いほど厚ければ厚いほど良いと言われれば嫌とは言えないけどね。



1536年(天文5年)4月


 ー 山城(京都府南部) 施薬院 -


「育苗箱の苗は順調に生育中です」


「山科家に特製肥料10袋の納品完了しました」


 今年で9歳になる息子の三四郎が、たどたどしい声で報告書を読んでくれる。何をやっているのかというと職場見学というやつだ。三四郎には職業体験かな?大人は適性試験と称して1年間、いろんな職を体験させて職を選択させているが、子供の場合は早い者は6歳からまず簡単な職業を体験させてから15歳ぐらいまでに決めるという方式を取っている。

 無論、学問を究めたいという人間には年齢に関係なく、それなりの成績を修める(試験に合格する)ことで研究職の道に進めるようにしている。元就さまの嫡男である毛利義元くんの側近に選ばれた子供たちはそれはもう頑張ったよ。もちろん毛利義元くんも物凄く頑張った。学校では家柄だけでは誰からも尊敬とかされないからね。


「ん?」


 書類を読んでいた三四郎が視線を逸らす。


「ああ、3.3.7拍子という音程を足音で奏でながら歩いてくるという酔狂なことをするのは興仙殿だな」


 こちらに向かってトン・トン・トンという軽快なリズムでやってくる足音に思わず苦笑いをする。まあ、3.3.7拍子のリズムを刻まなくても俺の身辺警護を務める御伽衆の実働部隊の誰も何も言ってこない時点で司箭院興仙さん確定である。


「え?じじ、いえ、ろうしがきているのですか?」


 それまで背伸びをしたようなきちんとした三四郎の口調が子供っぽくなった。司箭院興仙さん「孫を可愛がるのは爺の権利」とかいってビシビシ鍛えていたからなぁ・・・うん可愛がるの意味が違うよね。なお三四郎は司箭院興仙さんの孫じゃないだろうというツッコミはとてもいい笑顔で無視されたよ。


「挨拶と、一回は頭をはたかれることを覚悟して退室しなさい」


「はい」


 お互いに顔を見合わせ、ふたりして苦笑いをした。

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山科言継の公家としてのプライドはゼロよ!

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