第172話 山科言継さん尾張に(海路で)行くらしい

1534年(天文3年)10月


- 京 施薬不動院 - 


 北近江(滋賀北半分)の西部で、自然災害も戦もなかったのに稲の凶作が確定した。原因は比叡山と坂本の復興だ。ただ、飢饉は起きないだろう。米を買うための金は十分渡しているのだから。ただ、うちが出す食料は調理済みなので保存がきかない。自分の身内のために買うとなると自然と北近江で購入することになる。北近江での米相場はゆっくりと確実に右上がりになっている。どころか越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)、美濃(岐阜南部)、南近江(滋賀南半分)の相場も上がっているらしい。

 どうやらそれぞれの国の一向宗の門徒が米を買っているようだ。とくに三河(愛知東部)の本證寺、上宮寺、勝鬘寺の三河触頭三ヶ寺と呼ばれる三河一向一揆の拠点となっている寺の動きが活発らしい。


「欧仙殿。尾張(愛知西部)下向のことで、ちと頼みたいことがあるのだが」


 山科言継さんが、質素だが仕立ての良い萌黄色の狩衣に立烏帽子を被った・・・下向という言葉を使ったことから鑑みても偉いお公卿さんだと判る・・・キツネ顔の人を伴って、前触れもなく施薬不動院にやって来た。

 


「これは楽奉行さま。尾張へ行かれるのですか?」


 俺の一言に山科言継さんは頬をかく。ちなみに楽奉行というのは朝廷で歌舞音曲を扱う部署のこと。史実だと、山科言継さんが楽奉行として尾張に行くのは主上の即位礼を行う資金を無心するための人脈作り。

 しかし即位礼そのものは、即位礼を生で見たいという俺の個人的な欲望から、元就さま名義で多額の献金を行ったことで無事開催にこぎつけることができた。一体何の用があるのだろうか。


「はは。織田弾正忠殿から蹴鞠と和歌の指導をして欲しいという請願がありましてな。それに即位礼に協力してくれたお礼もしなければなりません」


 山科言継さんは苦笑いする。どうやら毛利が大金を献上して即位礼が行われるという噂が広がって、東日本の諸勢力もこぞって献金に応じた。今回の下向はそのお礼参りの一環のようだ。ちなみにいままでの朝廷は、収入源であった荘園を色々な勢力に横領されたせいで金銭的に非常に困窮し、各地の金を持った大名からの金や特産品の献上が頼みの綱だったらしい。

 しかし、今回毛利に帰順した近畿の寺社の寺領を合計で三万石ほど朝廷に献上させたので、今後は資金繰りに困ることはないだろう。たぶん。


「げふん、げふん!」


 山科言継さんの後ろにいたお公卿さんがわざとらしく咳をする。


「ああ、これは失礼しました。こちらの方は蹴鞠の第一人者であられる飛鳥井卿であります」


 山科言継さんはそう言ってお公卿さんを紹介する。織田信秀さんに呼ばれ織田の家臣に蹴鞠を伝授する飛鳥井卿というと権大納言の飛鳥井雅綱さんだな。


「畝方施薬大輔元近と申します。御用があれば即座に参上しましたものを」


 俺は慌てて深く頭を下げる。


「そこは別に構いません。お願いするのはこちらですから」


 飛鳥井雅綱さんはニッコリと笑う。あ、これはお願いを断れないパターンだ。


「尾張への下向の際、毛利殿の帆船をお貸し頂きたいのです」


 飛鳥井雅綱さんのお願いは、楽奉行の一団が尾張に移動する際に、小型のキャラック船市杵島いちきしま級を貸して欲しいというものだった。

 なんでも、いま京から尾張まで陸路でいくのは、一向宗の活動が活発になっており、大変危険な状態になっているらしい。

 まあ、市杵島いちきしま級を使えば、陸路で尾張に行くより摂津(兵庫南東部から大阪北中部)から紀伊半島を経由して尾張に行く方が圧倒的に早くて安全だろう。紀伊(和歌山から三重南部)の海賊衆に毛利の船を襲う勇気あるのもいないしね。


「尾張への移動に市杵島いちきしま級ですか・・・」


 「予算がかなり掛かりますよ」と言おうとすると、飛鳥井雅綱さんの後ろで山科言継さんが「何も聞かず了承してください」というハンドサインを出している。かなり必死なので、いろいろあるのだろう。

 ハンドサイン?秘密結社「臥茶七曜」ではお客様が同席している席でお客様に知られないようにメンバー同士が簡単な会話をするのに必要なスキルです。

 とりあえず、山科言継さんに「駿河(静岡中部から北東部)の今川氏と武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部)の武田氏にもお礼の挨拶に行く必要もあるでしょ?」という話を振って、関東に貿易のための船団を2隻の市杵島いちきしま級で仕立てることになった。

 後から山科言継さんに話を聞くと、飛鳥井雅綱さんがどうしてもキャラック船に乗りたかったと散々に駄々を捏ねたのだとコッソリ教えてくれた。

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