第170話 後北条氏の没落と延暦寺の帰属

1534年(天文3年)3月


 北条氏綱さんが玉縄城を放棄して武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部)の江戸城に逃げ込み、武田信虎さんに保護された。今川氏輝さんは武田信虎さんに身柄の引き渡しを要求したけど武田信虎さんはそれを拒否した。そういうことで既に今川と武田で話が付いていたのだろう。武田氏と今川氏は玉縄城を国境と定めて兵を引いた。

 それから暫くして、武田信虎さんから北条彦九郎くんの身柄引き渡しの要求もとい帰国要請が元就さまの元にきたけど、元就さまは「帰国させたいなら本人に直接要請すればいい」と言ってやんわりと断った。相模(神奈川の大部分)から遥々と毛利を頼って京にきた人間を無下に返すほど元就さまも無慈悲ではないというアピールであり、北条氏綱さんが害された時は北条彦九郎くんを推して甲斐(山梨)に行くというアピールでもある。


1534年(天文3年)3月中旬


 元就さまが管領に就任したことを理由に京に足利義晴さんの居城と大坂本願寺跡地に元就さまの居城を建てるための縄張りを始める。史実でいうところの二条城と大坂城だ。どちらも軍事施設ではなく行政施設として建てるので見た目は派手にする。軍事施設としての城は播磨(兵庫南西部)の姫山城を取り壊して建てなおす白くて綺麗な城にしよう。もっとも城を建てる裏目的は公共事業による地元住民への銭と食料のバラマキだ。戦での人心荒廃を手当てしておかないと宗教勢力が死後の安寧を質にして跳梁跋扈するからね。

 原資のいくらかは堺の商人に債権という形で吐き出させた。幾つかの商人が拳を交えての交渉を望んだのでバックにいた宗教勢力ごと相手が心逝くまでお付き合いしたよ。ついでに紀伊(和歌山から三重南部)や大和(奈良)の宗教や独立勢力にも更なる揺さぶりをかける。毛利氏に帰属した宗教勢力の保護を御旗に建物を修理。臣従してきた国人衆の旧領にはインフラの整備と称して銭を注入していく。敵対する勢力の商圏は生活必需品を高く買い占め、それ以上の品質のモノを安く売り付けて市場を破壊していく。

 紀伊は鈴木孫市さんが暗躍しているから程なく折れるだろう。紀伊は一向宗門徒も多いが毛利氏では個人で何を信仰するのかは自由であると言っている。むしろ信仰の強要は犯罪だからね。


 北近江(滋賀北半分)の大地を覆っていた雪が溶け、京極・浅井連合軍が衣川城に進撃を再開した。細川軍は大した抵抗もせずほどなく衣川城は包囲され、城主だった細川晴元配下の薬師寺国長が自らの首と引き換えに城兵の助命嘆願して城を開城した。

 そう細川晴元はとっくの昔に衣川城を脱出して姿をくらましていたのだ。どうやら、堅田から食料を搬入した最初の接触の際に堅田側の人足に紛れて逃げ出していたらしい。流石というかなんというか。


1534年(天文3年)3月


 この報告を聞いた第百六十二代天台座主、覚胤法親王さんが激高し謎の奇声を上げて走り周り、本堂の柱に頭をぶつけて昏倒したという。なんだろう覚胤さん。SANチェックにでも失敗したのかな?幸い意識は回復したそうだが、 幼児かえりの兆候を見せるようになったという。このことが主上の耳に届き、主上の命により天台座主の交代が発表される。第百六十三代天台座主は主上の弟君で尊鎮法親王だ。


- 京 施薬不動院 -


「やあ」


 部屋に入ってきた質素な法衣を身に纏った男が俺を見てニッコリ笑う。元就さまの頭の上に?マークが乱舞しているのが判る。俺は見てすぐに分かった。去年の秋に篠笛を吹きながら京を闊歩した、顔半分が骸骨の面を被っていた騎馬武者の方ですね・・・男はゆったりとした所作で座る。


「失礼しました三位殿。青蓮院宮尊鎮と申します」


 尊鎮さんが深く頭を下げる。


「毛利大宰権帥元就と申します。天台座主を拝命されたとお伺いしております。おめでとうございます」


 元就さまもまた深く頭を下げる。


「ありがとう。で、三位殿はこちらの話を?」


「問題ないかと・・・でもよろしかったので?」


「はい。武闘派が壊滅したいまだからこそ仏の威を借る輩を排除しきれる。箍は締めねばなりません。それより御山と坂本の復興を」


 尊鎮さんはきっぱりと言い切る。まあ、溜まった膿が細川によって切開されたのだ。ここで外部から完全に摘出するのはいい機会だろう。


「では全国の天台宗系の寺社の説得をお任せします」


「委細承知。任されました」


「ではこちらに花押をお願いします」


 俺は螺鈿塗りの文箱から豪華な鳳凰の図柄が描かれた二通の書簡を取り出す。元就さまと尊鎮さんは用意されたこの二通の書簡の内容を確認し、花押を書き込む。

 1534年(天文3年)4月1日。比叡山延暦寺の第百六十三代天台座主である尊鎮法親王が毛利氏に帰属するという書簡を元就さまとの連名のうえ主上に上奏されたことが発表され近畿に激震が走ったという。



 畝方元近語録 半蔵の23巻。天文3年4月1日「これはエイプリールフールじゃなくて揶揄節じゃないよ。ああ、揶揄節と言うのは4月1日の昼までは嘘をついても良いという天竺の風習でね」※嘘をついていい云々は師匠の嘘

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