第101話 発動 阿輸迦(アソカ)作戦

1528年(大永8年)4月


- 安芸(広島) 己斐浦城 畝方屋敷 -


 元就さまが太田川下流域にある中洲のひとつ己斐浦に建てた己斐浦城に居城を移した。ここは疱瘡が流行したときに、山陽道沿いに建設した収容施設を城に再設計したもの。これまでの拠点である吉田郡山城は堅牢な山城で守る分には申し分ないけど、中国地方の物流を一手に差配するにはそろそろ不便になったこともあり拠点を移すことになったのだ。

 三角州はほぼ砂地なので、穴を掘ってセメントと多めの砂利を流し込んでコンクリートの柱を作り、その上に建築用の柱を立てる方法で地盤を安定させる。己斐浦城の地下には迷路のような通路があり、城が攻められた時の脱出路だというウソの噂を流すことも忘れないけどね。

 川が氾濫したときの対策として川、外堀・中堀・内堀と三つの堀で囲み、外堀は川の氾濫したときに水を逃がすための空堀とした。

 城の構成は二〇メートル級の天守台を最上階に備えた巨大な城が中央にひとつ。一〇メートル級の中規模櫓が四方にひとつづつの合計四か所。五メートル規模の小規模櫓が24か所という巨城である。

 天守から内堀には家臣団が住んでいて、内堀から外堀には専業兵士や商人が住んでいて外堀から外は農民が住んでいる。なんというか北条氏の本拠地である小田原城に勝るとも劣らないのでは?

 ちなみに城の場所は、俺がいた地球の広島城とほぼ同じ場所だ。また、己斐浦城城下での俺の屋敷は広島美術館と縮景園あたり。かなりの一等地だと思う。まあ、貰った土地に対して建っている家が小さな4畳半の茶室だけなので、周囲からはかなり浮いているんだけどね。家?まあぼちぼち建てていきますよ。


「この地は最も広い島地である故にこれよりこの地を広島、この城を広島城とする」


 引っ越し祝いの宴席で元就さまがそう宣言した。この地が広島となった瞬間である。


-☆-☆-


「首領。大友修理大夫(義鑑)が大内左京大夫(義興)さまとの同盟を破棄し、豊前(福岡北東部から大分北部)に侵入しました。その数15000」


 今川貫蔵さんの報告に、俺は飲んでいたお茶を思わず吹き出す。うむ。大友氏は身内のゴタゴタで荒れている日向(宮崎)の伊東氏に向かうと想定していたのだが読み間違えたようだ。大内義隆くんが少弐氏を相手に予想以上の大勝をしたのを見て、大友義鑑は大内義隆くんを早期に叩かなければ危険な敵だと判断したらしい。うむ。今回は弟子の成長を素直に歓ぼう。そして見せてあげよう。俺の本気を。


「もう少し熟成させたかったのですが、殿に計画その3を進言しましょう。採用されれば忙しくなりますよ」


 俺の言葉に今川貫蔵さんは悪い顔をして笑った。


- 己斐浦城改め広島城 評定の間 -


「では現状をご説明させていただきます」


 俺の第一声を聞いて、広島城に登城していた家臣の皆さんの顔がビシッとなる。壁に安芸(広島)、長門(山口北西部)、周防(山口南東部)、筑前(福岡北西部)、豊前、豊後(大分南部)が描かれた大きな地図が駆けられる。


「先日、豊後の大友修理大夫が大内左京大夫さまとの同盟を破棄し、大友軍15000が豊前に侵攻したことが判明しました」


 ぱちんと地図の上に豊後と豊前の間に矢印をくっつける。くっつくのは地図が鉄板で矢印が磁石だからだ。


「大内との盟約により、筑前に後詰めを送る」


 元就さまの言葉に家臣から「「「おお」」」という声が漏れ聞こえてくる。


「後詰めの先陣は口羽広良が兵1000を。総大将は俺が兵1500を率いる」


「は?いくら何でも少ないのでは」という声が聞こえてくる。


「では、今回の主軸である阿輸迦アソカ作戦についての説明をさせてもらいます」


 俺の言葉に辺りが静まる。ちなみに阿輸迦は釈迦が生まれた所にあった木で仏教三大聖樹のひとつ。決してあの作戦に語感が似ているから使っている訳ではないよ?


「福原 左近允(広俊)殿、渡辺 太郎左衛門(勝)殿、粟屋 弥三郎(元秀)、赤川 又四郎(就秀)殿」


「「「「はっ」」」」


 事前に話を通していたので、俺の呼びかけに4人とも元気に返事をしてくれる。


「各自、兵2000を率いて豊後に上陸し、上原館(西山城)を攻略。その後、大友修理大夫を背後から攻撃してください。総大将は福原左近允殿。副将はわたくし畝方が務めます」


 地図に前もって用意していた、安芸から伊予(愛媛)沖を通って豊後に至る矢印を張り付ける。


「「「「はあ?」」」」」


 同じように疑問の声が上がる。


「疑問があればお答えしましょう」


 俺の言葉に中村元明さんが手を上げた。以下、質疑応答風に述べていくと・・・


Q:8000もの兵をどうやって輸送するのか?

A:毛利水軍が所有する市杵島いちきしま級8隻があれば1度に2000。1週間もあれば全員が輸送可能である。


Q:上陸中の援護はどうするのか。

A:宇夜弁うやつべ級4隻が海上から支援する。


Q:武器や食糧の補給はどうするのか。

A:毛利水軍の所有する関船6隻がこの任務につく。これに、河野水軍が護衛についてくれる。


Q:豊前から大友軍が引き返して来たらどうするのか。

A:2カ月持ちこたえれば大内・毛利軍で挟撃できる。


Q:他国から援軍が来たらどうするのか。

A:日向(宮崎)の伊東氏、肥後(熊本)の島津氏は内紛が起きており国外に出てこれない。肥前(佐賀から長崎)の少弐氏は大内氏に大敗北した後で余力はなく、筑後(福岡南部)は大内派国人と大友派国人が拮抗していて国外に出てこれない。


Q:地形や情報をどうやって手に入れるのか。

A:豊前、豊後には数年前から配下の御伽衆が入り込んでいて、自分も1年半前には豊前から豊後の上原館(西山城)まで歩いている。


 そこから3時間近く話し合いが行われ、俺は家臣の皆さんを論破していった。


「全部、元近の机上の空論だがな」


 元就さま。それを言っちゃあお終いよ!まあ、伊東氏と島津氏に豊後を一緒に攻めないかと誘っておこう。

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