第24話姫さま誕生と畝方神社の勧請申請

1519年(永正16年)3月


 元就さまと妙さまの間に元気な女の子が生まれた。この時代の出産は天井から吊るされた縄を握り締め、座った姿勢で子供を産み落とす。それから1週間、母親は立ったまま寝ることも許されず過ごすという苦行が課せられるという。子供を産んだお母さんが産後の肥立ちが悪くて命を堕とすなんて悲劇が起きる訳だよ。


 幸い俺には、元就さまの兄である毛利興元の延命や妙さまの妊娠。多治比氏家臣の病気治癒に尽力していたので健康については一家言あった。

 なので妙さまの妊娠が判ったときに元就さまを説得して、領民全てこの手の迷信を辞めるよう徹底指導してもらったのよ。

 また、子供を取り上げる産婆や手伝いにきた女衆には手をアルコールで消毒させることも徹底させた。消毒用のアルコールは、ガチャででたSRの連続式蒸留器を(密林の通販で売っているようなサイズだけど)使って濁酒を蒸留に次ぐ蒸留でアルコール度数を上げることで対応したよ。幾つかの村、何人かの家臣の人の奥さんが従来の方法で出産を行って亡くなったのは残念だけど、啓蒙は続けていくつもりだ。

 あと出産後8週間の女性の性行為の自粛を指導したおかげか、母親が産褥熱に罹って死ぬということが大幅に減ったそうだ。体力消耗して免疫力が低下しているときに、性行為などで胎内を傷つけて傷口から細菌が感染したら死ぬよと警告したからね。

 時期を見て厠の後や食前の手洗いなど日常での衛生管理も推奨するつもりだ。石鹸の量産が待たれる。そうそう、せっかく連続式蒸留器が手に入ったのだから、長らく京のお寺にいた笠間元鎮さんの伝手を使って酒母菌の入手を依頼することにした。手に入ったら、唐芋サツマイモを主原料にして芋焼酎を造る予定だ。


 さて、元就さまと妙さまの間にできた女の子だけど名前は「たま」さま。猫じゃないニャ。※(史実では伝わってません)史実なら、幼い時に高橋久光に人質に取られ、元就さまの謀略で高橋家が滅亡する1529年(享禄2年)前後に処刑される運命にある娘だとは前にも述べたと思う。

 どうにかするため、いま宮庄経久さんを通じて高橋氏家臣の世木政親という男に接触を試みている。世木一族は高橋氏の耳だ。いまからでも手を伸ばしておく価値はある。



「この度はおめでとうございます」


 頭を深く深く下げて、元就さまと妙さまに祝意を伝える。なお、家臣の中では一番最後の挨拶である。


「まずは御方様の体力の回復を第一に、療養くださいませ」


 そういって俺は、村で栽培していた大豆、長ネギ、タマネギ、にんにく、ニラそして猪や雉などの獣肉やニワトリの卵を献上する。とくに造血するのに良い鳥や豚のレバーとニラの炒め物は強く勧めておく。

 仏教的に肉食卵食はかなり忌避されるかな?と思ったけど、理解してもらえた。素材の調理方法については指導に加え小冊子にも書き留めているので活用して欲しい。


「それと殿。いま暫くはお控えくださいね」


「うむ。解っている。それと大義である」


 なにを暫くはお控えくださいなのか悟った元就さまが苦笑いで応える。だけどこの夫婦、焚きつけないとなかなか子供を作らないんだよなぁ・・・元就さまが側室を迎えるのも妙さまが亡くなったあとだし。


1519年(永正16年)4月


 春になり俺の領地である畝方村でも農耕が始まる。今年で2年目。村人が村の中を徘徊するゴーレムを恐れなくなった。去年の秋、田んぼを休むことなく巡回する姿を見たからか、春先に自分が担当する田畑を休むことなく耕していく姿を見たからか、村人からは、カラクリ農耕人形と割とまんまな名前で呼ばれている。農耕牛みたいな扱いだな。間違っていないけど。

 村人が田植えまでにやることは畦造りと畑造りだ。畑の作物は唐芋サツマイモを村の共同作物として作って貰うとして、それ以外にシロツメクサ、大豆、テンサイ、小麦からひとつを選んでもらう。輪作農法ってやつだな。

 菜の花、大豆、テンサイ、小麦の種はガチャのSR農耕セット(輪作農法)で入手した。大豆、小麦は寒さと病害虫に強く品種改良されたモノだった。手に入れるためにそれなりのもの(主に唐芋サツマイモ)がエクスチェンジボックスに消えていったけどね・・・

 しかしこれで、砂糖を生産という形で入手する目途が付いた。なお、シロツメクサを育てる場所は基本的には休耕地で、飼育する家畜はニワトリと牛。当分は食肉ではなく土壌改良用として活用する。

 ブタも飼育したかったけど、天武天皇が675年に肉食を禁じてから飼育種は完全に廃れているので今回はパス。ブタって飼育環境から解き放たれると、全身に剛毛が生えて牙が伸び、先祖返りしてイノシシ化するんだって。ブタの方が牙が曲がっているから、イノシシか野ブタやイノブタなのかは判断できるらしい。たくましいなブタ。


1519年(永正16年)9月


 9月に村に佐陀大社の分社である『畝方神社』と神楽殿が出来た。建築材はゴーレムが山から大量に切り出していたし、労働力は金で雇って食事も付けたので近隣から三男坊四男坊が大量に集まって来たので予想より早く出来たよ。

 その中で腕っぷしが強そうな者、頭の回転が良さそうな者、人纏めの上手そうな者など見所のありそうな人には村への移住を打診している。

 神社が完成したので、さっそく佐陀大社に出向いて分社のための勧請申請を行い、俺の村で神楽を習っている女の子のうち熟練の舞子になった梅、杏、桜の3人が神楽を奉納。俺が持ち込んだ大鏡に祈祷して御霊入れをお願いする。

 そして我が畝方神社の宮司を引き受けてくれるという奇特な多々納緋斗ただのうあかとさんと一緒に村に戻ってくる。ご神体の設置が完了したら、神社が創祀された事を祝っての例大祭だ。


 なお、寺はまだ無人である。

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