第2話 天才、決断する

「全然書けないんだ。」

 小説家の弱音を聞くことは職業柄どうしても多い。というか、それが仕事でもある。今までだって、軽い弱音から深刻なものまで聞いてきた。軽いものには軽く、怠けからならびしっと言うようにしていたし、深刻なものは早めに対処できるようにしてきた。だが、水木凍華の弱音を聞いたのは、これが初めてだった。4年前、デビューしたばかりの彼女は才能にあふれた人だ。デビュー作で連載中の『ファクターアクトドア』は我が社の人気作。主人公の少年、アシュと友人のシトとの冒険譚で、王道小説でありながら、細かな設定、複雑な謎で人気を博している。刊行している巻すべてに重版がかかっている。雑誌のアンケートで雑誌を購入する理由の一位が「ファクターアクトドアの最新話が読めるから」だったということで、本誌の売り上げに大貢献している。

 そんな小説の続きが書けない。これはどうしたものか。ほかの作家なら、ぎりぎりまで待ってみるという選択肢がある。が、水木凍華にはそれは無理だ。彼女は嘘をつかない。できないことはできないのだ。

「わかりました。とりえず、一か月、休載しましょうか。」

彼女は随分驚いていた。もしかしたら、このまま見捨てられると思ったのかもしれない。そんなこと、この神田志臣が担当編集者のうちはさせないのだが、神田は彼女に信用されていないのかも、と少しショックを受けつつ、次の提案をした。

「でも、ただ休ませませんよ。別の小説を書きましょうか。例えば、・・・あ、今うちの婦人雑誌『家庭のとも』で家庭小説連載しないかって話があるんです。書いてみませんか。」



 水木と神田が出会ったのは偶然だった。四年前神田が車を運転中に、赤信号で停車した。ちょうど道のわきで工事をしていた。その時、工事のアルバイトをしていた水木がちょうど、神田の車のボンネットに倒れてきたのである。神田は慌てて救急車を呼び、水木は病院へ運ばれていった。水木は栄養失調で気を失って倒れたのだった。頭を打ったことでは特にケガはなかったが、しばらく安静にということで入院していた。

 神田が見舞に水木を訪れた際、神田は言葉を失った。そこにはとんでもない美人がベッドに寝ていたからである。

 実は水木は分厚いビン底眼鏡をかけていたのだが、それを外してあらびっくり、美人の登場という漫画お決まりの再登場だったのだ。

神田はほんとに別人かと思い、看護師に部屋の確認を三回してうっとおしがられた。神田が水木のベッドサイドに原稿を見つけたとき、水木は起きた。

「すみません。出直そうと思っていたところで・・・。」

と神田がしどろもどろになっている中、水木は平然としていた。それから、

「すみません。まきこんでしまって。」

と言葉少なに謝って、やっと神田が落ち着いた。さすがにもういい大人なんだから、美人を見て動揺するなんて、と心中で苦笑しながら、

「具合はどうですか。」

と会話を始めることができた。水木によると、飲まず食わず朝まで原稿を書いていて寝不足の中、工事のアルバイトに行ってこうなったらしい。

「原稿って・・・小説家何かですか。」

「はい。大それたものではないのですが。今度、賞に出してみようと思って書いているんです。」

「実は私、北斗出版の月刊マボロシの編集者をしておりまして、さっきからそこの原稿が気になっているんです。よければ、見せてください。」

「どうぞ。」

水木の許可をもらい、読んだ。そして、神田は最初の一目ぼれをするのだ。これは絶対に人々の心をつかむ。確信を持った。

「この作品、うちの賞に応募してくれませんか。」

これこそ、『ファクターアクトドア』なのだ。水木は、この作品で賞をとり、水木を見つけてきたということで、神田が担当編集者になった。神田は彼女とかかわるうちに、その才能だけでなく水木凍華そのものを好きになる。そう、二回目の一目ぼれ。水木を困らすと思い、神田は気持ちを伝える気はないし、水木も気が付いていないが、周りの編集者にはバレバレなのだった。



 家庭小説、と言われたとき水木はすぐにあの家が浮かんだ。最近、近所の不動産屋で売りに出されていたあの一軒家。

「土地つき、築十年二階建て。百万円で販売中」そんなうたい文句とともに、赤い屋根の一軒家の写真が付いていた。最初はただの家だと思ったが、土地もついて百万円だなんてここら辺の価格ならあり得ない。何か事情があるかもしれないと思って、気になり始めて張り紙をよく見ると小さな字で※訳あり。と書いてあった。ますます気になる。水木は不動産屋に話を聞くことにした。

 不思議不動産という、不が二つもついたその不動産屋で一番最初に目があった、若い男性店員に表の張り紙について尋ねた。

「ああ。あの家ですか。お客様、お時間あるようでしたら、今から見に行きませんか。」

突然の申し出に水木は驚いたが、なぜか返事ははい、と言っていたことにまた、驚いた。男性店員―大嶋に促されるまま、不動産屋の名前が入った営業車に乗せられ、あれよあれよという間にあの家の前に着いた。

「この家は出るんですよ。」

と、この大嶋に切り出されたときはまあ、そうだろうな、と水木も思っていなので何も驚かなかったのだが、なぜか店員はにこにことして、

「大家さんが住んでまして、時々出るんですよ。」

と言うので、混乱した。大家さんが同居するということだろうか、それにしても時々は変だ。普段は別に住んでいて時々泊まりに来るのか。それとも大家さんはすでにこの世のものではなく、大家さんの幽霊でも出るのだろうか。

「今日は出てくれるのかな。」

今日は?今日は、とは何?

 水木の混乱をよそに大嶋は、水木に

「鍵を開けたら、『お邪魔します。』と言って入ってくださいね。」

と意味深に言い、カギを開け、

「お邪魔します。」

と言って中へ入った。水木も大嶋に倣い、お邪魔します、と言って中に入った。そこには特になんてことない、築十年のうちがあった。なんだ、と少し未知との遭遇を期待していた水木だったが、大嶋がそこで追い打ちをかけてきた。

「ああ。やっぱり、大家さんいらっしゃっているみたいです。」

「えっ。」

と驚き、水木が目にしたその先には―――――。



 あれ、に出会ってから水木は不思議とあの家を買うことにしていた。大嶋にはあれから店舗に戻って説明を聞いた後、

「もし、お買いになるようでしたらご連絡ください。」

と言われて、それから一か月たったが、その気持ちが無くなることはなかった。仕事の不調でファクターアクトドアの続きが書けなくなって、一か月たってしまったが、神田から提案をされて心が決まった。大嶋に電話すると、今店舗にいるというので、神田との打ち合わせ帰りのその足で、不思議不動産屋へ向かった。

「水木様がお買いになると思っていました。あの家は人を選ぶので。ですが、住んでいただくには条件があるのです。」

「条件とは何でしょうか。」

「それは――――。」

大嶋が語ったその条件は水木が思いもよらないものだった。



 晴れた土曜日の朝、一葉を連れて如月は不思議不動産の大嶋とあの家の持ち主だという、女性とともにあの家の前に来ていた。

「この家の家主だ。水木凍華だ。よろしく。」

「よろしくお願いします。」

 美人な凍華を前に如月はしどろもどろになっていた。カプチーノのような色の長い髪をなびかせた、すらっとした長身の女性。凍華は見て、うっとりする美人というよりは男女を問わず見るとおろおろさせる部類の美人だ。やっとこさ出てきたのは簡単な自己紹介のみ。「僕は葦原如月で、この子は僕の姉の子で、栗野一葉です。」

 凍華の目線が下のほうへと移動する。

「よろしくお願いします。トーカさん。」

 そう言って、一葉は八歳とは思えない丁寧なお辞儀をする。先日あったばかりの姪の大人な対応にまた、如月はしどろもどろになる。

 そんな如月の様子を気にするでもなく、凍華は話し始めた。

「早速だが、家族になろう。」



 大嶋は三人を会すためにいたようで、では、とさっさと帰ってしまった。凍華は特に気にせず、

「この家はな。家族しか住むことはできない、いわくつきの家なんだ。」

この家は西日がきついです、というようなテンションで話し始めた。だが、言っていることは物騒この上ない。

「この家には、家の意思を伝える土地神がいる。それが大家だ。この家には住むにあたり、ルールがある。二人にもこれを守ってもらう。」

そう言って、凍華は紙を見せてきた。


一、最低限父、母、子の家族で住むこと。ただし、血縁、性別は問わない。

二、〇〇父さん、〇〇母さんなど、家が家族を認識しやすいように呼び合うこと。

三、入居、退去の際は家族全員で入退出すること。


 このへんてこなルールを守らないと、何が起こるのか分からない。以前住んでいた住人は父、母、子ども二人の四人家族だったが、離婚して母がここを出て行ってからここに暮らせなくなった。

「なんか家が怒ったらしくてな。みんな家に入れなくなったとか。」

あくまでも淡々と話す凍華の様子に思わず、ふーんと聞き流してしまいそうだが、やっぱり、物騒極まりない。

「私はここにどうしても住まないといけないんだが、こんな特殊な家にシェアをしてくれる奇特な人なんてそうはいないからな。もし、君が一葉と住んでくれるなら、家賃なしでいいよ。」

「よろしくお願いします!!」

 背に腹は代えられない。如月は今日一番大きな声が出た。



 こうして、三人は家族になって暮らすことになった。


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