第6話 明治の乱、出陣!
第六章
俺達はいつも公園でネタ作りをした。家だとだれてしまうし、喫茶店に行くには金がなかった。好奇の目で見られるかと思いきや、意外とそうでもない。現代人は忙しいのだ。若手の芸人の漫才など目に留める暇もない。
ネタを作るのは、パナモの時と同じく俺の役目だった。俺はいつも仕事をしながら構想を練った。フロアの掃除はとにかく単調な作業だから、ネタを頭の中で膨らますにはまずうってつけだった。ネタのつくり方は人それぞれだが、俺はまずシチュエーションから考え、その設定の中で自分が言ってみたいセリフを考え、そこにボケを乗っけた。ワンフロア終えるごとに、ポケットの中からノートを取り出してさらさらとメモした。一日仕事を終えると、三ページは埋まるが、実際に使えるものはその二割あればいいほうだった。とりあえず何でも書いてみて、後でどんどん削除していくのが俺のやり方だった。
帰りがけ、夕方に公園で落ち合って練習が恒例だった。例によって、ノラはよく蟻の巣を眺めながら待っていた。
俺がその日ネタを書いてきたノートを、ノラはざっと目を通した。しかしその時点では何も言わない。どんなものでも、まずは口に出して演じてみた。すると、字面で面白いかもと思っていたものが存外つまらなく、逆に字面でつまらないと思っていたものが喋り方や言い回しで面白くなったりもした。
「頭の中でこねくり回すだけでは駄目です。実際にやってみるのです。構想を練り、書き出しまとめ、声に出し、演ずる。この四つの段階を踏んでようやくネタとして完遂します。明治様はどちらかというと思考が優位です。意識して行動に比重を置くようにして、それでちょうどいいバランスになります」
かくのごとく、ノラはじつに客観的視点でものを語った。
「漫才は、細かなフレーズや言い回しも大事ですが、何はなくともまずは全体の型だとわたくしは考えています。初心者であれば尚更です。演じてみていまいちだと思った時は、部分部分を細かく変えるよりも、思い切って型そのものを変更してみる勇気が必要だと思います。型から変わることで、中身もそれに引っ張られる形で変容していくこともあるのです。それは漫才に限ったことではないかもしれませんが」
「そういうもんかなあ」
「たとえば、わたくしなんかがそうです」
「どういうこと?」
「子供の頃、わたくしはちょっとばかりやんちゃをしておりまして。女だてらに番長なんぞやっていて、喧嘩三昧の日々でした」
「えっ!」
俺は驚く。しかし直後に、もはやそんなに意外なことでもないかと思い直す。
「見かねた父が、もう少しおしとやかに、女の子らしくしろと言ってきました。父を悩ますのはわたくしの本意ではないので、なんとかしようと思ったのですが、どうにも修正することができませんでした。そこで、まずは言葉遣いから変えてみろと父が提案しました。関西弁をやめて、普段から標準語で丁寧な口調で喋るようにしたのです。言葉という型を変えたのです。そしたらびっくり、かくのごとく、行動も考えも極めてしとやかに、女らしくなったのでございます。番長の頃の面影など、今や影も形もございません」
「時々垣間見る気もするけど……」
ノラの形相が変わる。
「なんや、なんか文句あるかいな」
「い、いえ、ないです、はい」
このようにして、俺たちは互いの意見を言い合って、少しずつ漫才の構成を修正していった。
「ここの、『なんにキレてんですか!怒りのツボおかしいでしょ!』の部分なんですけど。もうひと捻り加えてはいかがでしょうか」
「どんなふうに?」
「『怒りのツボおかしいでしょ!ランドマークタワーになんか弱みでも握られてんですか』というのはどうでしょう。このあいだのさくらちゃんの言葉から拝借しました」
「さくらからのインスピレーションてのはどうもな……なんか悔しいな。兄としてのプライドってもんが」
「プライドなどゴミです。捨ててください。面白いものは貪欲に取り入れていくべきです」
「ゴミって……」
「あとここの、『おい、クソババア!まだ生きてやがったのか!』の部分なんですけど――」
「書いてない。そんなの書いてないから」
ある程度ネタができた段階で、人前でもやるようになった。舞台袖に団長から借りたデジタルビデオカメラを設置して、演じている自分たちを撮影し、後で見返した。
「もう少しゆっくりと間を置いたほうがよいのでしょうか。ネタと笑いがかぶっている部分が散見されます」
「うーん、どうだろ」
俺は腕を組んで悩む。
「制限時間四分ていう縛りがあるからさ。俺は待ちの時間をつくるよりも、その間にボケを入れたほうがいい気がするんだけど」
「手数を優先するということでしょうか」
「うん、そうなる」
「ひとつひとつのネタのインパクトが小さくなるリスクを背負っても」
「うん。劇団の時に言われたんだけど、演技には動と静があって、静の演技のほうが難しくて上級者向けなんだ。ぺーぺーのうちは、よく動いて、情報量で技術を補え、って団長に言われた。漫才も同じだと思う。俺たち、はっきり言ってまだぺーぺーもいいとこだ。まずは手数とテンポで勝負したほうがいいと思う」
「なるほど」
「制限時間が無制限なら、もう少し実験的なことができると思うんだ。ただこれは大会だから、まずは決勝まで勝ち進む必要がある。勝ち進むことに主眼を置くなら、リスクの少ないほうを取るべきだと思う」
「わかりました。それでようございます。ただしテンポを優先するのであれば、なおのこと噛みは厳禁です」
ノラが微笑みながら、持っていたプラスチックバットの先でドンと床を叩いた。その音を聞いただけで、ほとんど条件反射のように尻が痛くなった。
俺たちに決定的に不足しているのは、場数だった。二人で立った舞台は、まだ数えるほどしかない。だから団長に無理に頼み込み、走り回ってもらって、仕事をもらってきてもらった。他事務所の企画のライブでも、団長がほとんど土下座の勢いで拝み倒し、俺たちを出してくれるよう働きかけてくれた。かなりアウェイな空気ではあったが、それはそれで修行になった。清掃の仕事をしているあいだも、俺は頭の中でネタを反芻した。ぶつぶつ独り言を言うようになって、武さんから精神科に行って来いと言われた。
こうして俺たちは、限られた時間の中で、漫才の精度を上げていった。
*
団長が腕組みをしながら、俺たちの漫才を見ている。やり終えた後も、しばらく無言で目をつむり、何度か確認するようにうんうんとうなずいた。
「うん、だいぶ仕上がってる」
俺はほっと胸をなでおろした。
「即席でよくそこまで精度を上げたな。ノラはどう考えても素人じゃねえだろ。いったいこれまで何やってたんだ?」
「島根は安来でどじょうすくいの日々でした」
「そうやってはぐらかす。相変わらず秘密の多いやつだな。で、本番はいつだっけ」
「いや、明日ですよ。こないだそう言ったでしょ」
「知ってたよそんなの。ちょっとかまかけただけだよ。うん、明日だな」
覚えていないんだな、と思う。パナモに負けず劣らず適当な人なのだ。
「でも本番たらお前、メンタルが大事だぞ。百パーセントの力を発揮するのは存外難しいんだ。百の力を持ったやつが本番で七十パーセントしか発揮できなかったら、百パーセント発揮した八十の力のやつに負けちまうんだ。俺なんか、いくつもの舞台で修羅場をくぐってきてるからな。明治はちょっとその辺が課題だ」
「どうしたら強いメンタルでのぞめるんですかね」
「それはだな――」
ドアからパグ犬がひょっこり顔をだし、団長にむかって一目散に駆け寄る。そして団長に飛びつき、顔をぺろぺろなめる。
「おーおーおー。マイちゃん、マイちゃん」
団長の表情が腐食したネジのごとく緩みまくる。
「あの団長。メンタルの件の話の続きを……」
「メンタル?ああ、それはだな。こう、手のひらに人って字を――」
「もういいですよ!」
「あなた、ふざけてるのも大概にしなさいよ」
ドアからとうの立った少し白髪混じりの女性が現れる。団長の奥さんである。
パグ犬が奥さんを見るなり、さっきまでなついていた団長の顔を足蹴にして奥さんのもとに駆け寄る。
「あああ、マイちゃん」
「明日は明治君の晴れの舞台なのよ」
奥さんがこちらを向き直る。
「明治君、それと、ノラちゃん。明日は悔いがないように、精一杯やってきてね」
「それ。まさにそれ、俺も言おうと思ってた。さすがかみさんとはツーカーだな」
「なに調子いいこと言ってんのよ」
奥さんが紅茶をいれて、バウムクーヘンを切り分けてくれた。
「景気づけにね」
と奥さんは言った。奥さんは団長が劇団を立ち上げる前の、専門学校の同級生だった。この人は大成する、と思って結婚したらしい。「見る目がなかった」とことあるごとに奥さんはこぼしたが、団長といる時の奥さんはとても楽しそうだった。
ソファに座ってバウムクーヘンをつまもうという段になったとき、俺は恐る恐る腰を下ろした。ケツバットを受けすぎて、尻に痣ができているのだ。少し深めに座ると、途端に痛みが走って俺は慌てて腰を上げた。
「なにやってんだ、明治」
「いや、事情がありまして。うかつに腰を下ろすと痛いんですよ。ちょうどこう、尻に割れ目とクロスする形で真一文字の痣ができてまして。十字架みたいになってるんですよ」
「明治様は敬虔なクリスチャンですので。人知れず身体に十字架を刻み込んでいるのです」
「隠れキリシタンか、俺は!」
何食わぬ顔でノラはバウムクーヘンを頬張っている。
ようやく腰を下ろし、紅茶を手にしたところで、
「明治様。マジックをご覧にいれましょう」
とノラが唐突に口にした。
「なに、いきなり」
「まずお皿を見てください」
皿には食べかけのバウムクーヘンがある。
「続いて窓の向こうを見てください」
言われた通り、窓に目をやる。目の前のビルが外装の工事をしている。なんの変哲もない。
「なんだってんだよ」
再び皿に目を移すと、そこにはバウムクーヘンがもうない。
「おいノラ。俺のバウムクーヘン食べただろ」
「マジックにございます」
ノラが口をもっくもっく動かしながら言う。
「マジックてお前。口もくもく動いてるよ」
「まあまあ、カリカリしないで」
そう言って奥さんがもう一切れバウムクーヘンを切り分けてくれた。
「明治様」
「なんだよ」
「マジックをご覧にいれましょう」
「あげないよ!このバウムクーヘンはあげないよ!その振りにはもう乗らないから」
奥さんがほほと笑った。
「お前ら、普段からそんなやりとりしてんのか」
「いつボケを放り込んでくるかわからないから、油断ならないんですよ」
「ノックのようなものです。わたくしの打球をちゃんと処理できるか」
「ていう名目のもとに冷やかしたいだけでしょ」
「冷やしたぬき?」
「冷やかしたい!なんで揚げ玉ふって蕎麦すするの」
「ふうん」
しばらくのあいだ、団長が俺たちのやりとりを見ていた。
「お前らいっそ結婚しちゃえば」
俺は盛大に紅茶を吹き出した。
「なんですか、急に」
「あんた、思いつきで無責任なこと言ってんじゃないわよ」
「だって話題になるし面白いじゃん。仕事が増えるかもしれないし」
「そんなつまんない理由で一生の大事な選択を決められるわけないでしょ。あんたって人は、どこまで適当な人なの。私との結婚の時もそう。婿養子に入ってもいいから結婚したいって言ってきて、じつは名前の画数をよくしたかっただけっていう」
「そう熱くなるなよ。そんなことないよ。俺はお前のこと愛してるよ」
「舞台より棒読みじゃないのよ、この大根」
いよいよ奥さんの表情に怒りの色合いが濃くなってきた。
「アドバイスいただきありがたいのですが、わたくし年収五千万以下は眼中にないので」
「増えてる!前回より二千万円も増えてるよ。青天井?」
「五千万は高いなあ。せめて一千万にまかんない?」
団長が自分と同じボケで返したので俺は思わずバウムクーヘンをつまむ手を止めた。
「同レベルの思考にございます」
ノラがにやつきながら言った。ぐぬぬと俺は唇を噛みしめるしかなかった。
マイちゃんがふんふん言いながら俺の膝の上に乗っかってきた。動物が苦手な俺は、ひやあと思わず声を出してしまった。
「お前が一番押しに弱そうだから、おこぼれにあずかれると思ってんだ」
団長が笑いながら言った。
「正しい選択です」
とノラが言いながら、紅茶をすすった。
「お前の漫才を見てて、一個だけ気になることがあるんだ」
「いったいなんですか?」
「お前、本当はボケだろ」
「えっ」
と俺は驚く。
「お気づきでしたか」
ノラが口にする。
「な、ノラも思ってたろ?やっぱりそうなんだよ。お前、一見控えめだけど、じつは野心的なところもあるしな。本当は自分が目立ちたいんだ。その点、ノラなんかは逆だな。ボケるけど、自分が目立ちたいなんてさらさら思ってない。不思議なもんだ」
「考えてもみませんでした」
「べつにそれをもって、どうしろってんでもないんだよ。ただ、自分の中にそういう素養があることは知っといたほうがいいんじゃないか。そのほうが漫才の幅が広がる。お前は真面目だけど、真面目すぎるのがたまに傷だから。自分はこの型って決めたら、とにかくその型の中で動こうとする。たまにはその型をあえて崩してみるのも大事だ。人間はあらかじめボケとツッコミでくっきり分かれてるわけじゃねえ。ボケ的な側面と、ツッコミ的側面と、どっちも持ってる。その成分の割合にちょっと違いがあるだけでな」
俺はそのことについて少し考える。自分のボケ的側面、か。
「団長様はやはりわたくしたちの団長様にございます。だてにちょび髭ではございません」
「あ、これ付け髭なんだけどね」
団長があっさりと髭をとってそれをテーブルの上に置いた。
「まあなんにせよ、お前ら明日は頑張って来いよ。とりあえず、腹だけは括っていけよ。幸運を祈ってる。場所は離れてっけど、気持ちは一つだぜ」
しばしの無言の間がある。
「いやちょっと、こんなタイミングで衝撃的事実を晒さないでくださいよ!もはや励ましの言葉なんて全然頭に入ってきやしないですよ!」
そんなこんなで、俺たちは『お笑い新人演芸大賞』の予選に臨むことになったのだった。
*
舞台袖からは、前の演者がネタをやっているのが見える。会場には五十人ばかりのお客さんと、最前列には五人の審査員が座っている。審査員はペンを片手に、鋭い視線で演者を見ている。お客さんも、気軽に笑いに来ているというよりは、評価をしている感じだ。重くてなかなか笑いのガードが固い。
俺はといえば、心臓が猛り狂ったようにばくばく動いて、手足は緊張でかちこちに固まり小刻みに震え、ほとんど自分の体という感じがしない。喉がカラカラに乾き、粘り気のある唾液をごくりと飲み込む。気がつけばえらく呼吸が荒くなり、舞台に上がる前に過呼吸で意識が飛んでしまいそうである。
「明治様」
声をかけられ、俺は思わずびくっと体を震わす。
「なんだ、ノラか」
「なんだノラか、ではございません。ずっと隣におります。なにをとんちんかんなことを言っているのでしょう」
珍しくノラがツッコんで、笑った。
「次がいよいよわたくしたちの出番です」
「ノラは緊張しないの?」
「先程までしていました。ですが、今の明治様の一言でなんだか緊張が解けました」
「ならよかったよ」
自分の声が震えているのがわかった。
「俺だめだ。わけわかんねえ。真っ白」
「明治様。じつはわたくし、今――」
ノラがこいこいと手を招いた。俺は顔を近づけた。
「気合を入れるため、パンツをはいておりません」
ノラが耳元で囁いた。
「えっ!」
「嘘にございます」
俺は胸をなでおろす。
「びっくりした。なんだよ、それ。この大事な時に」
「まだ緊張しておりますか?」
ふと気がつくと、体の震えがとまっていた。
「ショック療法にございます。殿方とはかくも単純なものです」
会場から拍手が起こり、前の演者が舞台袖に戻ってきた。
「エントリーナンバー二〇七、アンブー舎所属、明治の乱」
場内に放送がかかった。いよいよ俺たちの番だ。俺もさすがに腹を括った。
「やってやる。男上げてやるぜ」
俺はノラの目の前に、拳を突き出す。
「鈴原家に伝わる挨拶なんだ。拳をこつっと当ててくれ」
ノラは微笑み、俺たちはこつんと拳を合わせた。
「んじゃあ、明治の乱、いざ――」
「「出陣!」」
そして俺たちは舞台に上がった。スポットライトがなんだかいつもより眩しかった。
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