第18話 聖剣ロストハイム

「ウゲェッ、ゲホゲホゲホッ……。――うぅ、ゼェ、ハァ、ハァ……――」


 地面に倒れ込みこそはしなかったものの、急激な胃の不快感に襲われ危うくその場にうずくまりそうになる……。


「……――ッ?」


 そうこうしてる間にも、気が付けばさっきまで聞こえていた不快な咀嚼音はいつの間にやら消えていて……。


 ――チラッ……。


 妙な胸騒ぎを感じ気になってそっと視線を上へと向けると、オーガがジィッとこちらを見下ろしていて……。


「………………(ジィ~~~ッ)」


 その目は紛れもなく獲物を観察する捕食者のソレ。


「ひぃっ⁉」


 その鋭くも無機質な黄緑色の視線に睨みつけられた瞬間、全身に怖気が走っていくのがわかった。


「――ごくっ……」


 い、今からコイツと闘うのか? ――む、無理だ……。か、勝てるわけがない、とてもじゃないけど、こ、殺されるぞ……。いや、ただ殺されるだけならまだしも、僕も喰べられちゃう? そ、それも、生きながら喰べられちゃう⁉


 当初あった気構え云々についてはオーガの姿を見たことで雲散霧消……。加えて食事シーンあんな場面をみせつけられては、最早闘うなんて考えは僕の頭の中からは完全に吹き飛んでいた。


 そんな中で、唯一僕の頭の中に浮かんだのは、


 だ、ダメだ、に、逃げよう……‼ 逃げるしかないっ‼


 そう、正に逃げの一手。


 さっき洞穴の中から現れた際もそうだったけど、その異常なまでに膨れ上がった筋肉が邪魔をして動きは幾分か鈍いように感じた。


 その点を鑑みてもすばしっこさなら、ひょっとして僕に分があるかもしれない。


 ジャリ……。


「ぅ――うわぁああああああああああっ‼」


 そこに唯一の活路を見出した僕は、オーガが次の一手を打ち出してくるより前に一気呵成、すぐさま行動へと移した。


 ――ダダダッ……‼


「グガッ⁉」


 この僕の作戦が見事にはまり、出遅れた感あらわにしたようなオーガの唸り声を背中に、僕は全力でもって走り続けていく。


「ハァッ、ハァッ、い、行ける……‼ や、やったぁ、た、助かったぁっ‼」


 ダダダダダダッ……――。


 が、そんな淡い期待を打ち砕くかのように、


「スゥーーーーーーーーーーッ……」

「へ?」


 後ろの方からまるで大きく息を吸い込んでるかのような音が響いてきた思えば、


「――グガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」

「――――ッ⁉」


 ――ビリビリビリビリッ‼


「~~~~~~~~~っ⁉」


 震える空気――。舞い上がる土埃――。

 次の刹那、衝撃波のようなものが一気に背中から突き抜けていくかのような……。

 オーガの咆哮ハウルによってフロア全体がビリビリと震えていた。


 と、


 ぐらっ……。


「――うぇっ⁉」


  ――ズシャアァッ……。


 突然、走っていた足がもつれ、ダイビングヘッドのような形で前のめりにもその場に倒れ込んでしまう。


「――……いてて、うぅ、な、何もこんな時に……」


 別段、これといって何かに蹴躓けつまずいたというわけでもなければ……。自らのドジさ加減を呪いつつも、追いつかれてなるものかとすぐさま起き上がる姿勢を見せるも、


 ガクガクガクッ……。


「――えぇっ、な、何これっ⁉」


 どうしたことか、起き上がろうにも足が震えて全くいうことをきいてくれない。


 ドスン、ドスン……。


「ヒィッ⁉ くっ、くそ、う、動け、動いてよっ‼」


 再び迫りくるオーガの恐怖を前に必死に立ち上がろうとするも、


「な――何なんだよ、これっ⁉ 一体、どうしちゃったんだよっ⁉」


 どれだけ力を込めてるつもりでもピクリともしやしない。


 これは最早僕がどうこうというよりも、生物としての本能が咆哮ハウルの影響によって恐怖し、一種の金縛りのような状態に陥ったことが原因かもしれない。


 そうこうしてる間にも、ついにその時がやってきてしまう。


 ドスン、ドスン、ドスン……――ピタッ‼


「――‼」


 すぐ真後ろに感じる重苦しい気配……。

 最早、逃げることが叶わないと察した僕は、聖剣ロストハイムを杖代わりに器用にも体を反転させ改めてオーガへと対峙していく。


「ごくっ……」


 改めて見上げるオーガは、その巨体もさることながら圧倒的なまでの威圧感に最早恐怖以外の感情が消えうせていた。


 そんな怯えまくる僕を楽しそうに見下ろしているオーガ。


 下卑た笑いを浮かべ、その凶悪な牙の隙間から真っ赤な舌を這い出し、ジュルリと舌なめずりを始めた。

 その舌にしたところで元々の色なのか人間たちの血によって染まった色なのか最早判らない……。


 二度三度と繰り返された舌なめずりによってその酷く臭うよだれがすぐ真下にいる僕の頭まで降りかかってきた。


 ベシャッ、ベシャッ……!


「うぐっ!?」


 耐え難い悪臭と粘り気を備えたソレが頭から額、そして目にまで垂れてきて思わず手でぬぐい取ろうとした正にその時だった。

 

 ――ブォッ……。


「へ?」


 オーガの涎によってぼやける視界も、オーガはその右手に握りこんでいた人間の大人一人分くらいありそうないかついこん棒のようなモノを振り上げたかと思えば、いささかの躊躇をするでもなければ、ソレを僕の頭目掛けて一気に振り下ろした。


 ――ブォンッ‼


「ひぃっ‼」


 周囲の空気をも巻き込みながら迫りくる棍棒に対し、僕が条件反射的にも両手でもって頭を庇う姿勢を見せた直後、


 ――グシャッ‼


 間髪入れずにそんな耳障りな音がフロア全体に響き渡った。



「……………………………………」

「……………………………………」


 ………………――あ、あれ? い、痛く、ない……?


 訳が分からずも、恐る恐る目を開けた先には、


「へ?」


 何故だかは分からないけど、オーガが振り下ろしたこん棒はよほど硬いモノでも殴ったかのように先の方から木っ端みじんに砕け散っていて……。


「? ? ?」


 どうやらオーガ自身も何が起こったのか分からないと少し困惑気味にその手に握りこんでいる棍棒を入念に調べていた。


 う~~~む、もしかしたらだけど、棍棒が腐ってたりとかしたのかな?


 ともあれ、命拾いしたことにホッと胸をなでおろしたのも束の間、僕はコレを最後のチャンスとばかりに、あくまでもこの姿勢のまま、ほんの少しずつ後退りしていった。


 ――ジリッ、ジリッ……。


「???」


 そんな僕の行動に気付いた様子もなければ、当のオーガはいまだ入念に棍棒を調べ続けている。


 よ、よぉ~~し、OK、大丈夫だ……。


 あくまでもオーガに悟られないようにしながらも、ゆっくりとほんの少しずつ後ずさりしていく。


 ジリ、ジリジリジリ、ジリジリジリ、ジリ……。


 一メートルリール、二メートルリール……。苦労の甲斐あって、ついには三メートルリールまで後退したその時だった。


 ジリ、ジリジリジリッ、ジリ、バキッ……‼


「――‼」


 脆くなっていたのか、散らばっていた骨の上に手が覆いかぶさり、音を立ててしまう。


「し、しま――」


 そう思った時にはすでに後の祭り……。


「グガァッ‼」

「ひっ⁉」


 物音に気付いたオーガがその手に持っていた棍棒を放り投げると、怒りに目を吊り上げコチラに向かって歩き始めてくる。


 ひ、ひぃいいいいっ、も、もうダメだっ⁉


 開いた分だけ再び距離を詰めようと迫り来るオーガに対し、僕がとった行動はというと……。


「う――うわぁあああああっ‼ く、来るなっ‼ お、お願いだから、こ、こないでくれぇっ‼」


 ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、ブン……。


 生まれてこの方経験したことのない恐怖に晒され、恥も外聞もなければ聖剣ロストハイムをただ滅茶苦茶に振り回していくというものであった。


「………………」


 この行為が一瞬だけオーガの動きを止めるも、


 ドロッ……。


「――イタッ!?」


 出鱈目に動いたせいか先ほどのよだれが目の中へと入り、完全に視界を塞がれてしまう。

 

「ぅ――うわぁあああああああああああああっ⁉」


 視界を失ったことにより、更に恐怖が倍増したことで僕は輪をかけて狂ったように聖剣ロストハイムを振り回していく。


 ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、ブン……。


 そんな僕の姿をまるで嘲笑うかのように、


「ギャバボバボッ♪」


 オーガの笑い声が聞こえてきたかと思えば、再び……。


 ドスン、ドスン、ドスン……。


 一歩、また一歩とコチラに向かって前進してくる音が耳に届いてきて……。



「う、うわぁあああああああああああああああっ‼ こ、来ないで、来ないでくれぇえええええっ‼」


 ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、ブン、


 着実に近づいてくるオーガに対し、闇雲に聖剣ロストハイムを振り続けていくことしかできなかった。


 ビシャビシャッ‼


 そうこうしていると、再び僕の頭の上に何か液体のようなものが降りかかってきた。


 うぅっ、な、何これ? ――く、臭っ⁉ こ、これってもしかして、オーガのよだれなんじゃ⁉


 瞬間、脳裏を過ったのは生きたままオーガに喰べられる自らの姿だった。


「ぅ――うわぁあああああああああああああああああああっ‼」


 ――ブーーーンッ‼ ブンブンブンブンブンッ……――。


 ソコには最早、剣術のけの字もなければ、まるで幼い子供が野犬に襲われた際、木の棒でもって追い払うがごとく……。それこそ何度も何度も聖剣ロストハイムを上下左右、縦横無尽に振り回していく。


  当然、何かを斬っているような手ごたえもなければ、聖剣ロストハイムがオーガに触れているような気配もない……。完全に只の素振り状態なのだろう。


 これだけ振り回しても手ごたえがないってことは、もしかしたら、オーガは少し離れた位置から僕の痴態を見て嘲笑っているのかもしれない。


 ベシャ、ベシャッ……。


 そんなことを考えていた間にも、よだれだけが延々と頭上から降り注いでくる。


「う――うわぁあああああああああああああああああああっ……――」



 ――……ブン、ブン……ブン…………ブン……――。


 どれほどそうしていたのだろうか、散々振り続けたこともあって腕の筋肉はすでにパンパン……。もう真面まとも聖剣ロストハイムを振ることもままならない状態……。ソレと並行するように、気付いた時にはすでに涎の雨も止んでおり、更に不思議なことにオーガの気配さえも感じられなくなっていた。


「……………………」

「……………………」


 こ、これってひょっとしたら、僕の余りの往生際の悪さに喰べる気が失せて見逃してくれたってことなんじゃないのかな?


 そんな淡い期待を抱きつつも、内心おっかなびっくりといった感じであくまでもそぉ~っと薄目を開けていくも、


 「――‼」


 何とか声を堪えることには成功するも、僕の目に飛び込んできたのはまるで大地に根が生えたかのような巨大なオーガのつま先部分だった。


 う――うわぁああああああああああああああっ⁉ だ、ダメだ、やっぱりいるじゃないかぁあああああああああっ‼


 そんな僕の儚くも淡い期待は無情にも砕け散っていった。



「――……………………」

「…………………………」


 あれからどのくらいそうしていたのだろうか? 気分的には死刑執行の瞬間を待つ罪人とでもいったところか……。


 ――が、これが待てど暮らせどいつまで待っても一向にその時がやってこない……。



「……………………――ッ‼」


 そんな中、ついに僕は決意する。

 もっとも覚悟を決めたというよりは痺れをきらしたというのが本当のところか、最早これ以上焦らされることに僕の精神がもちそうになかったわけで……。


 今までの人生で一番のここぞとばかりの勇気を振り絞り、カッと目を開いた先で僕が見たものはというと……――


「へ……?」


 そこにあったいたのは間違いなくオーガだった。


 唯一違っていたのは、膝から上が無くなっていたことくらいか……。


「……………………」


 そう、その言葉通り、つま先から丁度膝の辺りまでが地面に残されているだけで、上半身はもとよりあの凶悪な顔に至るまで全てがキレイサッパリ消え失せていて。


 ――チラッ……。


 そして更に視線を下げた先には、


「うぅっ!?」


 そこには咽返むせかえるほどの血の臭いととともに、おびただしいまでの血の海の中、鋭利な刃物で幾重にも斬り刻まれたようなドス黒い緑色をした肉塊が散らばっていて……。


「……え? な、何これ? い、一体、どういう……」


 血の海の中、訳も分からず一人へたり込んでいたところ、


 ――キラッ‼


 不意に目の端で何かが光るのをとらえた。


 ガチャ……。


 その正体は、僕の右手に握りこまれていた聖剣ロストハイムだった。

 極限の緊張状態によるものか、ガチガチに指が凝り固まっていて離そうとしてもビクともしやしない。


 思わず笑ってしまいそうなそんな状況も、ソレ以上に目を疑ったのが――。


 オーガの赤黒い血でその身を濡らしながらも、赤尖晶レッド・スピネルのように気高く力強い輝きを発する刃――。

 そこにはかつてあった刃全体にまで浮かんでいたサビもなければヒビもない……。

 それどころかその深紅の輝きは如何なるものをも斬り裂いてしまいそうな、そんな神々しさに満ち満ちていて……。


「……ごくっ‼」


 子供の頃に夢中になって何度も読み返した英雄叙事詩に登場する英雄スルトの武具、聖剣・ロストハイム本来の姿があった。

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