間章

ノエの日記 4


 ――それからのことを、簡単にまとめておこうと思う。


 無事に書籍販売ギルドとの決闘に勝利したタツミくんは、書籍販売ギルドに新聞販売の権利などを買い取らせた。

 この申し出には書籍販売ギルドの代表も驚いていた様子だったけれど、タツミくんは最初からそうするつもりだったみたい。


 この世界にずっととどまっているつもりじゃないのだから、作ったギルドの権利などはその内全て、どこかに売り渡す予定だったようだ。

 流石と言うか、抜け目ないなぁ、と感心してしまった。


 その後、タツミくんは書籍販売ギルドと協力して、今まで発行した新聞の内容をまとめた本を作り、販売。

 新聞販売の権利を売り払ったお金と、書籍の販売売上で――無事に、金貨千枚という目標を達成した。


 ……そのことを報告しに行った時の、王様の驚きと苦みが入り混じった表情は、しばらく忘れられないだろう。


 あんな顔、初めて見た。


 タツミくんが一体どんな手を使って金貨を得たのか説明すると、王様の眉間のしわはますます深くなり、最終的には私の方を見て『それ本当?』と確認するような弱弱しい表情を向けてきたのだった。


 本当なので、ただ頷くことしかできなかったのは言うまでもない。


 とにもかくにも、タツミくんは目的を果たした。王様から情報をもらい、元の世界に連絡を取り……帰る準備を整え始めた。

 それからは、もう、あっという間で。

 気づけば、タツミくんが帰る日になってしまっていた。



   ×××



「なんだか、ここに来るのも懐かしいですね」



 タツミくんの世界と繋がる魔法陣が設置された建物の中を見渡して、思わずつぶやく。

 すると、荷物を背負ったタツミくんも、懐かしそうに部屋の中を見渡した。



「街の建物と比べると、この石造りの建物って異質だよな。今更だけど。なにか理由あるの?」


「たしか、突然出現した異世界と繋がるこの魔法陣が、太古の魔法と似ているため、太古の魔法の形式でこの魔法陣を補強していると聞いています。

石室のような形になっているのは、そのせいだとか。

私も古代の魔法は詳しくないので、イマイチわからないんですけど」


「古代の魔法ねぇ……昔の魔法って、今の魔法と違うんだ?」


「昔の魔法は神様に祈りを捧げることで為されていたとか……宗教を主軸とした国家では、古代の魔法も残っているらしいですよ」


「なるほど。……ま、その国に俺が行くことはないだろうし、考えるだけ無駄かな?」



 行くことはない。

 それはつまり、タツミくんはもう、きっと……この世界にはやってこないということで。


 そのことを考えると、胸が締め付けられるようだった。

 今、別れが目前になっていると、理解はしているけど。

 でも、やっぱり、これが本当に永遠の別れになるかもしれないなんてことは、私は理解できていなくて。

 半年にも満たない間だけど、ずっと一緒に暮らしてきたから。

 だから、明日も、『おはよう』も『おやすみ』も言える気がして。


 だけど……それは勘違いなのだ。

 世界の壁は、厚くて、けして容易に交われるものではない。

 人一人ですら、容易には。



「……タツミくんは……帰ったら、どうするんですか?」



 暗くなりかけた思考を、未来の話で引き戻す。

 私の問いかけに、タツミくんは心底悩んだ様子だった。



「どうしようかな。高校卒業……は、OKだとして……大学、大学かぁ。

どこでも行っていいって言われると逆に迷うなぁ。

とりあえず進学、ってことでいいのかな?」


「進学ですか。タツミくん、なにか勉強したいこととかあるんですか?」


「いや、なにも。……って昔なら言ってたけど、今はあるよ。ノエのおかげで、一つやりたいことが出来たんだ」


「私のおかげ?」



 首をかしげていると、タツミくんは悪戯っぽく笑う。

 それは、ここ最近見せるようになってくれた、偽りのないタツミくんの笑顔だった。



「少し、調べてみようと思って。自分の世界のこと。自分の国の事。そしたら、もしかしたらいつか――ノエに話せるかもしれないと思って」


「いつ……か」



 そのいつかは、本当にいつになるかわからないけれど。

 それでもそれが夢だと言ってくれるタツミくんの姿に、言葉に、やはり胸が締め付けられる。

 なにか言わないと、と思うけれど、なにも言葉が出てこない。

 心の中に、ぼんやりと、形にならない言葉があるのに、それを吐き出せないのが――苦しい。

 言葉に詰まっていると、タツミくんはふと、困ったように笑みをこぼした。


 ……それとほぼ同時、部屋の中にゆっくりと、魔法の光が満ち始める。



「あ、そろそろか……光りはじめたらどのくらいで魔法、発動するんだっけ?」


「確か、三分とか……そのくらいで」


「そっか。じゃあ、本当にもうお別れだ。……あのさ、ノエ。最後に一つ、聞いていい?」


「なに?」


「いや、ずっと疑問だったことがあって。けど、聞く前に……ちょっとお手を拝借」



 タツミくんは私の手をそっと取ると、魔法を使ったようだった。

 タツミくんの魔法は、相手を弱くする魔法。

 一体なんのために、と思ったけれど……すぐに、その効果は表れた。

 胸の中でぼんやりと揺蕩っていた言葉が、徐々に、はっきりと、形を取り戻す。



「ノエの中の、欲望を抑えている理性を弱くした。

魔法を刻んですぐだから、効果は弱いだろうけど……本当の言葉が聞きたいから。悪いね。

じゃあ、聞かせてくれ――なんで、ノエは、俺の手をもう一度とってくれたんだ?」



 真っ直ぐに、タツミくんの目が私を見る。その瞳には、微かな不安が残っていた。

 そんな目をしないでと、手を握りしめたくなる。

 でも、その前に言わなければと、私は心の中で徐々に形を成していく言葉の前座を、吐き出していった。



「それは、タツミくんに……幸せになって欲しいと、思ったから。

タツミくんが、本当は、私に分かって欲しいって思っていたんじゃないかって、思ったから」



 あの日。

 タツミくんに手を払われた日、シュナの家に駆けこんで……それから、しばらく、私は悩み続けた。

 タツミくんに幸せになってもらうには。タツミくんを助けるには。タツミくんに――



「もう、悲しそうな顔を、してほしくなかったの……」



 ……彼を救うのは容易ではないのはわかった。

 私では無理かもしれない、なのに手を出すなんて、とも思った。余計なお世話。お節介。善行ならざる善行ではないかと、悩んだ。


 けど……それでも。

 私は選んだ。助けられなくても、タツミくんの傍に居ようと思った。

 それでどうにかなるかはわからないけれど。

 力になれるかなんて、自信はなかったけれど。

 それでも、手を振り払われても、傍に居ることだけは……していようと思ったのだ。



「……私は、タツミくんに、まだ近くに居てほしい。私はまだ、あなたのことを幸せにしてない! あなたがなんのわだかまりもなく、なんの気負いもなく、幸せに生きているところを見て見たい! だから、私は、私は――」



 言ってはダメだと思っても、相手の迷惑になると思っても、それでも止められなかった。

 それはきっと、心の中で形になれなかった、私の『欲望』。

 それは、タツミくんの魔法でもって、はっきりとした言葉(カタチ)を持ってしまったから。



「いかないで……タツミくん……!」



 タツミくんの手を、今度は自分から取る。すると、タツミくんはゆっくりと微笑みを浮かべた。

 それは、今まで見たことのないような、優しい笑みだった。



「……大丈夫。俺はもう救われてるし、きっといつか幸せになるから。ノエのおかげで」


「なんで……? 私は、まだ……」


「俺の手をとってくれた。一度、叩いて、振り払ったのに。

……それでよかったんだ。

受け入れるって言ってくれた。それだけで十分だった。

それだけで――俺はこれからも、クズだけど、どうしようもないクズだけど、それでも……そんな俺のまま、生きていけるんだ」



 ゆっくりと、タツミくんの手が離される。

 魔法陣の中心へと、歩いていく。

 魔法陣の境界をまたぐ覚悟は……私には、なかった。



「大丈夫だよ、ノエ。最後に、ノエの欲望(コトバ)、聞けてよかった」


「ま、待って、タツミくん、私」



 まだある。なにか胸の奥に、言葉がわだかまっている。だけどタツミくんの魔法はもう、時間切れなのか効果を発揮していないようで。

 私は、もう、なにも言えなくて。



「まだ、言いたいことがあるの、わからないけど、あるから、だから――!」


「ああ。じゃあ、考えておいてくれよ、言いたいこと。一回はっきり欲を口に出せたんだから、すぐわかるんじゃないかな。自分が何をしたかったのか」


 タツミくんの体が、ゆっくりと光の泡に包まれる。

 そんな中で、タツミくんは、作り笑いを浮かべていた。

 そこに隠した本心は、私にはわからない。

 だけど、はっきりと、タツミくんは言ったのだった。



「またね、ノエ。本当に、ありがとう」



 そして、タツミくんは姿を消した。

 魔法の光がゆっくりと消えて、部屋の中に運び込んでいたものも全て無くなっているのがわかるようになっていく。

 だけど、そんなことは、どうでもよくて。

 私はただ、心の中でわだかまっている言葉を形にしようと、胸のあたりを抑えた。

 込み上げてくる感情も……こぼれ落ちないように、ぐっと飲みこんで。

 きっと、次に会う時には、胸の中にある欲を、言葉に出来るようにと。


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