四章『チートクズ、はじめました』4‐2


「……最近こんなんばっか」



 気持ち悪い寝汗とともに目を覚ました辰己は、今しがた見ていた夢を思い出して呻いた。

 時刻は朝六時。起きるにしても少々早い。


 二度寝決めてしまおうかと思ったが、夢見が悪すぎたせいでそんな気分にもなれない。

 仕方なくベッドから身を這いずり出すと、一度キッチンへと向かった。

 そして水を一口飲んでから、玄関にノエの靴がないことを確認し、部屋をノックしても何も反応がないのを確認して、中を覗き込んでもやはり人の気配がないのを確かめて、短くため息を吐いた。


 ノエが出て行って、既に五日が経っていた。

 辰己の世話は、王様から遣わされたお手伝いの人がしてくれているものの、お手伝いはやることだけやったら帰る。

 ノエのように、いつも家に居てくれるわけではない。

 いつも、話を聞いてくれるわけではない。



「……顔洗お」



 朝のルーチンをこなすべく、辰己はタオルを持って洗面所へ向かう。

 冷たい水で顔を流してから、ふと、目の前にあった鏡を見た。

 しばらくぶりに見た気がする鏡には、いつも通りの芦屋辰己が映っていた。

 この世界に来る前に見慣れた、自分の顔。

 辛気臭い顔。


 ……最近は、そうでもなかった気がするが、そんなのは夢だったと言わんばかりに見慣れた顔が映っていることに、辰己は僅かにいらだちを覚える。

 だが、同時に、ちょうどいい顔をしている、とも思った。

 自分がクズだと自覚している顔は、これからやるべきことを考えれば相応しい。



「よ……っと」



 顔を洗い終えた辰己は、寝間着のシャツを脱いだ。

 それから、以前見つけた、脇のあたりにある刻印を鏡に映し確認し顔をしかめる。



「こんな魔法クソ喰らえと思ってたけど……三人となると、時間的にこれに頼らざるを得ないか……」



 この世界に転移してくる際に、辰己の体に刻み付けられた魔法。

 今度書籍販売ギルドと行われる勝負は、それを使えば楽勝だった。

 辰己の生き方をそのまま魔法として凝縮したようなそれは――使い勝手だけならば、抜群に良いと言えるだろう。

 だが、だからこそ、辰己はその魔法をあまり使う気になれなかった。

 大嫌いな自分の生き方の凝縮されたような魔法なんて、好きになれるわけがない。



「まずはシュナあたりに頼んで魔法を試させてもらって……その後は昨日紹介してもらった三人の対戦相手を順番に回って……か」



 辰己は、ノエが居なくなって数日の間に書籍販売ギルドと細かな打ち合わせを済ませていた。

 対戦相手との顔合わせも済ませており……三人それぞれの『対抗策』も練り終えていた。

 あとは策を実行するのみ。

 負けるわけにはいかないのだから、どんな手でも使う。



「……ノエの実家、売らせるわけにはいかないからな」



 飛ぶ鳥後を濁さず、と言うことわざがある。立ち去る者は引き際をわきまえ、見苦しくないように去るのが良いという戒めのことわざだ。

 だが、辰己はこの世界を濁すために呼ばれた。

 この世界で数少ない『欲』と『悪意』を知るグディアント王が、異世界との接触に備え少しでも国民にそれらを理解してもらうためにと呼ばれた。

 だから、後を濁していくのは本来の目的の一つとも言える。

 それでも。



「汚しちゃいけないものっていうのは……あるよな」



 ――タツミくん、という呼び声が頭の中にうっすらと響く。


 既にどこか遠くに感じるその記憶に恥じない程度には、汚してはいけないものは汚さないようにしようと思いながら、辰己は頬を叩いて気合を入れた。

 辰己の戦いが、始まる。

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