間章

ノエの日記 3


 辰己くんとの住まいを飛び出した私は、シュナの所に向かった。

 実家……には、向かえなかった。だって、もしもタツミくんが負けたら、あのお店は亡くなってしまうかもしれない。

 もう、伝わってしまっているかもしれないけれど。その原因を作った人間の一人として、お店に顔を出すことはできなかった。



「……シュナ、居る?」



 シュナが住んでいるアパートの扉をノックすると、中からぽたぱたと音がした。

 予想通りというか、シフト外なのは知っていたから、シュナは出て来てくれた。



「おろ? ノエじゃん、どしたん?」


「って、シュナ、なんで下着のまま出て来てるの!?」


「いや、お風呂入ろうと思って。ノエも入る?」


「いいから、その、家に入ってもいいっ? シュナもそんな格好のまま出て来ちゃダメだって……!」



 下着姿のシュナの背中を押して、家の中へ。後ろ手に鍵をかけて、ようやく一息つく。



「ふぅ……もう、なんで下着姿で出て来ちゃうかな、シュナは」


「覗き穴から見てノエだってわかったからねー。流石にアタシも親友以外の前にいきなり下着姿で出て行ったりしないって」



 ころころと笑うシュナ。その笑顔に、荒んでいた心が少しだけ癒される。



「もう……シュナってば」


「あ、ちょっと笑った。扉の前に居た時、死にそうな顔してたっしょ? なんかあった? タツミと」



 ピンポイントにタツミくんとなにかあったのだろうと言い当てられて、少し驚く。

 だけど、事実なので、再び落ち込みながら頷くしかなかった。



「……うん。ちょっと、ね」


「それでウチに来たと。ま、とりあえずお風呂で聞こっか、その話は。ノエも入るでしょ? ちょっと汗かいてるし」


「うん……そうだね。入ってもいい?」


「どうぞどうぞ。狭いお風呂だけど。髪洗ってよ、しばらく泊めてあげるから」



 シュナに手を引かれて、風呂場へと向かう。

 服を脱いで、シュナと一緒に、洗い場で互いに軽く体を洗う。それから、狭い浴槽にぎゅうぎゅうになって二人で向かい合って入った。



「あは、アタシ一人だとまぁまぁゆったりできるんだけど、流石に二人じゃきついかなぁ」



 笑いながら、シュナは『で?』と話を促してきた。

 それに、私はぽつぽつと事の経緯を説明した。

 間に、シュナと頭を洗いっこしたりを挟みつつ、どうにか説明し終え、改めて湯船につかると、シュナは腕を組みながら唸る。



「うーん……とりあえず、ノエの手を払ったのはタツミが悪い。これは絶対そう」


「え、そこ? 一番に結論だすところ、そこじゃないと思うんだけど」


「他が判断できないからとりあえず一番悪いところだけ言ったんだってば。

他はぁ……そうだなぁ……なんとも言えない。タツミ、異世界人だしさ。アタシらとは価値観違って当然っていうか。それはノエだって、わかってるんでしょ?」


「うん……もちろんわかってる。でも……」



 拒絶され、払われた手を、反対の手で握る。

 自分の手が震えているのがわかった。

 悲しくて? 怖くて? ……いや、違う。



「届かないんだって、思って」



 私の手は、苦しそうにしていたタツミくんに届かなかった。

 それどころか、払われてしまった。私の……私たちのことも、コンプレックスだって。

 私たちの中に、私たちの世界に、タツミくんは交われないって。



「……悲しいとも思った。ちょっとだけ、怖いとも思った……けど。今一番、感じてるのは……タツミくんとこんなにも心の距離があることが……寂しくて」



 自然と、顔が俯いていく。

 気分も沈んで、また、自然と涙がこぼれそうになって。

 だけどそんな私の顔を、シュナは両手で挟みこんで、自分の方を向かせた。



「それでいいの、ノエ」


「シュナ……?」



 珍しくと言ったら失礼だけど、本当に珍しく、シュナはすごく真面目な顔をしていた。

 真面目に、まっすぐに、私の目を見つめてくる。

 私の心の奥にある願いを見透かして、寄り添うように。



「アタシ、タツミが苦しそうにしてる顔なんて、見たことないよ? 一回も。

そりゃ、ちょっと困った顔してるくらいはあるけどさ、大体『大丈夫』って顔して、なんとかしてるじゃん、タツミって」


「それは……タツミくんは、なんていうか、裏で努力するタイプっていうか……意外とかっこつけというか……」


「うん、だよね、わかる。プライドないようで、なんだかんだでプライドあって、面倒くさいんだよ」


「め、面倒くさいって。そんな言い方しなくても」


「いや、言うよ。きっと面倒くさい性格してる! 別に悪いことじゃないけどさ、絶対なんかこじらせてる系だし、タツミって」


「そう……かな?」



 そう言われるとそういう気がしてくる。

 ちょっと納得しかけていると、シュナは『だから』と、続けた。



「だからさ。面倒くさいやつだろうからさ。……ノエにだけ、そんなすっごいかっこ悪いことした意味、考えてみなよ」


「……私に、だけ?」


「そう。ノエにそんなに、自分の心の中、ぶっちゃける意味ないじゃん? かっこつけならさ。

そんなこという必要ないでしょ? でも、言ったんだよ。多分、抱え込んでたこと、全部教えてくれたんだよ、ノエに」



 抱え込んでいたものを、教えてくれた。



「……なんで? 拒絶するのに、話したの?」



 受け入れたかったのに。彼の悩みを。

 私は、受け入れて、解決したかったのに。苦しい顔を、もうさせたくなかったのに。



「だからさぁ……そこが面倒くさい性格、ってとこなんじゃない?」


「で、でも……全部、聞いて、助けたいって思ったけど、でも、拒絶されて、そんなの……どうすればいいの?」



 助けを断る人間に、それでも手を差し出し続けるのは、迷惑なことじゃないだろうか?

 わからない。



「わかんないよ……どうすればいいのか……」


「……たしかに、アタシにも、わかんないよ。余計なお世話ってやつ? していいのか、判断に迷うし。やり過ぎはよくないし。

だからさ、ノエ。――タツミの世界の考え方で、決めたら?」


「タツミくんの世界の、考え方……?」


「そう。欲の通りに、だっけ? したいことをすればいいんだよ。タツミは、異世界人なんだし。余計なお世話もさ、したいならしちゃっていいんじゃない?」



 どこか型破りなところがあるシュナらしい意見だった。

 確かに、無理やり、自分勝手に、タツミくんのことを助けるためになにかしてあげてもいいのかもしれない。タツミくんの世界のやり方に沿うなら。

 けど……



「……それは、ダメだよ」



 それじゃダメだ。

 でも、諦めたら、もっとダメだ。



「私……考える。タツミくんの心、本当に助けられる方法。まだわからないけど……考えて、それから……いくよ。タツミくんの所に」


「ふふ。ノエ、いい顔してんじゃん♪ しばらくウチにいていいよ。けど、家事はしてね?」


「シュナ……ありがとう。お世話になります、しばらく」



 いいってことよ、と男らしく言いながら、お風呂から上がるシュナ。

 私も湯船から立ち上がりながら、いつの間にか震えが止まっていた手を見下ろし……そして、ゆっくりと握り込む。


 そこに答えは無いけれど。

 私の願いを――私の『欲』を、離さないように。

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