二章『ちょろいぜ異世界』
二章『ちょろいぜ異世界』 2‐1
「タツミくん、とりあえず座ってください」
王様との謁見もとい『取引』から一時間ほど後。
しばらくの間の拠点となるアパートの一室に到着した辰己だったが、部屋に入るなりリビングダイニングのスペースで座る様にノエに促された。
道中の気配で薄々勘付いていたが、どうやら怒っている様子だ。
とりあえず大人しく従っておこう、と辰己が椅子に腰かけると、その正面にノエが仁王立ちする。
「いいですか、タツミくん。価値観が違うかもしれないので、王様というものに対してどういう態度をとればいいかわからない、というのはあるかもしれません。ですが、それを差し引いてもあれは年上の人間相手への態度ではないと思いますよ?」
「いやいや、最低限の敬語とかは使ってたと思うよ? 頑張ってた思うよ、今日の俺。押さえてたって、テンション上がってたわりには」
「……テンション上がってた?」
理由がわからないのだろう、ノエは不思議そうに首をかしげる。
その反応は最もなので、辰己は姿勢を正して丁寧に説明した。
「いや、こっちの世界に来てからどいつもこいつも人形みたいな覇気の無さだったから、王様みたいに欲が感じられる人間に遭えて嬉しかったんだ。こんな人間がいるなら、他の、俺から言わせれば人間らしからぬ異世界の人間も、まあ『やりようはある』のかなって」
「覇気がない……でしょうか? 私たちは、タツミくんから見て」
「覇気というか、欲っていうのかな。
たとえば――同性だからもっともわかりやすかったから例にあげるけど、男の反応っていうか、行動っていうか、その辺とかね。俺から見ると分かりやすくおかしいんだよ」
辰己の説明に、ノエは興味深そうに、自身も椅子に座って聞きこむ体勢に入った。
「別に全員がそうである、って話じゃあないんだけど。でもさ、男が誰一人としてすれ違う女に全然目を向けないとか、普通ないんだよ、俺たちの世界だと。この世界の人間ってわりとみんな顔が整ってるから、目が肥えてるのかとも思ったけど……そういうんじゃないみたいだし」
「なんで男の人が、通りかかった女の人を見る必要が……?」
「そりゃ、綺麗な女の人がいたら見るでしょ。見た目ってものは、遺伝子の優劣が最も如実に表れる。動物的な話になるけどさ、綺麗で優れたメスが居たら、オスはついつい目でおっちゃうっていうのが普通だと思わない?」
「……人間ですよ? 私たちは」
「人間だって動物だよ――って、いう理屈が通じないんだ、こっちだと。なるほど」
心底納得がいっていない様子で首をかしげるノエを見て、辰己は小さく唸った。
この世界ではどうやら、人間と獣というものは絶対的に区別された存在であるらしい。
あるいは、辰己たち『人間』があまりにもこの世界の『人間』と比べると未成熟で獣的過ぎるが故の祖語なのかもしれない。
だが、辰己としては、この世界の人間には『動物』で居てもらわなければ困るのだ。
そうでなければ、辰己の、辰己らしい振る舞いというのは難しくなってくるから。
欲のない、獣離れした『人間』なんて、辰己の相手どれるものではないのだ。
「とにかく、王様の謁見についてはテンション上がっちゃって口が滑っちゃったんだ。交渉内容は……まぁ、もとからああいう内容で交渉するつもりだったからなんとも言えないけど」
「そうだ、それですっ。どうするんですか、金貨を稼ぐ方法! 出来ると思っているんですか?」
「正直荷が重いかな……こっちは普通の高校生なわけだし。けど、こっちも国から頼まれてることだから、やれるだけはやるよ。ダメならダメで他に交渉方法はあるから、そっちでどうにかする」
前向きに辰己が言うと、ノエは心配そうな、そしてどこか不可解なものを見る目を、辰己に向けてきた。
「……なぜ、タツミくんはそんな無茶を平然と……そんな気楽に『やってみる』なんて言えるんですか? ここは、タツミくんの生まれた場所とは違う、異世界ですよ? 不安はないんですか?」
ノエの心配そうな声音に――辰己は短く笑いを漏らした。
それは自嘲だった。
何を嗤ったのか?
決まっている。
それは……どこに居ても変わらない自分自身を嗤う声だった。
「不安なんてどこに居ても付いて回るもんだよ。特に俺みたいな頭も体もよわっちーやつの所には、不安なんて一時代前のブラクラ並みに押し寄せてくるんだ」
「ぶらくら?」
「ブラウザクラッシャーの略ね、って言ってもわからないだろうけど」
ブラクラとは、無限にブラウザを開き続けることでパソコンを処理落ち&エラーで停止させるという、一昔前の悪質スクリプトのことである。
「――とにかく! 不安でもなんでも、俺はやるしかないの。だって、生きてるんだから。生きてるうちは、周りの環境に潰されないように立ち回らなきゃあいけないだろ?」
「生きることは、多くの人にとってそんなに難しいことではないと私は思いますけど……」
「それはこの世界の話。――俺の世界だと違うんだ。生きることは弱者にとって概ね苦行で、一般人には概ね修行で、選ばれた人間だけが幸せを掴み現世に楽土を築く。そういうもんなんだよ」
辰己の説明を聞いて、ノエは『わからない』と視線を落とした。
確かに、この善意で成り立つ世界においては生きることは楽だろう。
時代の流れについていけない弱者なんて存在しない。弱者にも居場所を作ることを、きっと自然とすべての人類が徹底している。
もしも。
もしもこんな世界に生まれたなら――と、辰己も思う。
だが、辰己が生まれたのは弱い人間が自然と虐げられる世界だ。
文明に精神が追いつかない世界だ。
だから、そんな世界で育ってしまった辰己は、この世界に馴染むことなんて出来ない。
今から馴染もうと思っても無理だ。だって、この世界はあまりに羨ましすぎる。
馴染みたいなんて気持ちが起きないくらいに――羨ましくて、妬ましいから。
「……わかってくれなくていいよ。今は。そういうのをわからせるのも俺のやるべきことなんだろうし」
「……そうですね。交換留学はまだ始まったばかりですから。私もこれから、タツミくんのことを、知って行きたいと思います」
わりと前向きなことを言いながら、顔を上げたノエは手を差し出してくる。
「改めて、よろしくお願いします、タツミくん。……けど、目上の人への態度はいくらテンションが上がっていてももう少し控えないとダメですよ? めっ、です」
『お姉ちゃん』ぶった叱り方をしてくるノエに、辰己は苦笑を返しながらその手を握った。
「それはその時の気分次第かな、ノエお姉ちゃん」
「もう……目が離せませんね、タツミくんからは」
くすくすと笑うノエと、握手を交わす。
その手はとても温かくて、辰己はこの世界は好きになれなくても、一人一人の人間単位でなら好きになれるかもな、と思ったのだった。
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