一章『大胆不敬な異邦者』

一章『大胆不敬な異邦者』 1‐1

 スーツの男――後から聞いたが名前は谷代(やしろ)というらしい――が、辰己の学校にやって来たから、一か月ほど経ったとある日。


 一か月かけて様々な準備を終えた辰己は、谷代に案内されて、厳重に警備されているとある建物にやってきていた。

 服装は冬用の詰襟制服で、荷物はリュック一つのみ。大半の荷物は先に運んでもらっていた。

 自動車にほぼ軟禁状態で移動させられたので、詳しい場所はわからない。

 ただ、周囲に普通に民家があるところを見ると、どこかそれなりに発展している街のようだった。


 目の前には、周囲の建物とは異質な、コンクリートで出来た四角い建物。

 人が住む場所として想定されていない簡素な作り。

 そんな建物の前に立って、周囲の様子を確認していた辰己の背中を、車を停車させてきた谷代が軽く叩く。



「ここが異世界へと通じる部屋だ」


「部屋……いや、たしかに家ではないですよね、これは。見た目はコンクリの倉庫にしか見えない」


「見た目は質素だが、材質はかなり頑健なものになっている。侵入が簡単なのが問題だが、そもそもこちらから能動的に異世界の門は開けないから問題はない」



 谷代は説明をしながら、四角い建物の扉を開いた。

 部屋の中には、床が無かった。本当に周りを囲っただけの倉庫のようだ。

そんな部屋の中には、いくつかの段ボールが地べたにそのまま置かれている。

 異世界で生活するのに必要なものは先に送ってくれているという話だったから、辰己の荷物ではないはずだが……いったいなんだろうと辰己が不思議に思っていると、谷代が口を開く。



「そこの荷物は、キミが特別に準備してほしいと言っていたものだ。ただし、危険なものもあったから、そういったものに関しては準備していない」


「ああ、頼んでいた下剤とか、睡眠薬とか、注射器とか、麻酔とかその辺ですか、あれ」


「……行っておくが、麻酔の類については準備していないからな?

睡眠薬は後遺症が残らない、可能な限り安全なものを注文通り用意したが……

そもそもあちらの人間に効果があるかはわからないというのに……なにを思ってあんな注文を」



 谷代は辰己の考えがわからないのだろう。不可解そうな視線を辰己に向けた。

 けれど、辰己にとってこの備えは当然のもの。



「俺はクズですから。使えるものは可能な限り準備しておかないと」



 辰己は自分のゴミクズ具合をしっている。

 百の備えをしてようやく人並みなのだ。だから、異世界と言う右も左もわからないような場所に行くには、二百の備えをしておかなければ安心できなかった。



「準備してくれたもののリスト、あります?」


「これだ。一応、注文通り薬剤や機材には簡単な取扱い説明書もつけておいた」


「ありがたい。全部覚えられるような頭はしてないもので」



 谷代からリストを受け取って、辰己は注文したものが準備されていることに安堵する。

 これで、とりあえず異世界へいくことへの尻ごみはなくなった。

 恐怖は――あるけれど。

 しかし、破格の報酬が容易されているのだ。そのくらいの恐怖は、どうにか飲み込むしかない。



「ありがとうございます、谷代さん。これだけ準備されていれば安心ですよ」


「ならよかったよ。それと、このアタッシュケースを持って行け。環境調査キットだ。

いくらか場所を変えつつ、調査を行って欲しい。地面に置いて、取っ手についている赤いボタンを五秒押し込めば自動的に周辺環境の調査が始まる。

調査中は電子音が鳴るはずだから、音が鳴っている間はアタッシュケースを動かさないように」



 谷代から、ゴツめのアタッシュケースを渡される。結構重かったが、持てないほどではない。



「ちなみに何回くらい環境調査はやっておけば?」


「五十回くらいはしておいてほしいところだ」


「……半年あるんだし、そのくらいは当然ですかね」



 忘れないように気をつけよう、と思いつつ、辰己はアタッシュケースを握りなおした。

 そんなことをしている間に――不意に、部屋の中に光が満ち始めた。それを見て、谷代は少し慌てた様子で部屋の扉を開いて外に出る準備をする。



「そろそろ時間らしい。事前に何度も説明したと思うけれど、最後に簡単にあちらですべきことを確認してくれ」


「1つ、環境と世情の調査。2つ、異世界への移動方法についての情報。そして最後に――俺のクズさを存分に発揮してくる」


「……3つ目はほどほどにしておいてくれと言いたいところだが、あちらからの要望だ。それなりに、で頼んだぞ」


「わかってます。それなりにクズいことをしてきてやりますよ」


「大丈夫かなぁ……こいつでよかったのかなぁ……」



 心配そうながらも、谷代は外に出て扉を閉める。

 コンクリの小さな部屋の中に、淡い光がどんどん満ちていく。

 まるで、光の中に溺れていくような、不思議な感覚。

 わずかな恐怖を抱きながらも、辰己の視界は徐々に光に埋め尽くされて――次の瞬間。



「――――っ」



 足元に突然浮遊感を感じて、辰己は背筋に冷や汗が垂れ落ちるのを感じた。

 ほんの一、二秒ほどのことだろうが、方向感覚の一切が失われる。

 一気に膨らむ恐怖心。このままどこでもない場所に飛ばされてしまうのではと嫌な予感が頭をよぎったが、そんな予感は本当に一瞬で、すぐに浮遊感が収まった。

 同時に、いつの間にか閉じていたまぶた越しに感じていた強烈な光の感覚も収まる。


 そして。

 辰己はおそるおそる、目を開いて――



「――タツミ・アシヤさんですね?」



 気づけば、目の前に美女が居た。

 まるでアニメキャラのような鮮やかで艶やかな赤髪に、茶色の瞳、白い肌。

 服装は、ベトナムの民族衣装『アオザイ』に似ているものを着ていた。深いスリットの入ったシンプルなドレスに、ズボン。美しい体のラインを際立たせている。

 ととのった顔立ちの、おそらくいくらか辰己よりも年上であろう美女は、少しだけ心配そうに辰己の表情を伺いながら一歩近づいてくる。



「……ご気分、大丈夫ですか? 異界を渡る時には、酩酊のような症状が出るときいています。気分がすぐれないのであれば、一度お座りになってください」


「あ……はい。そうさせてもらいます……」



 言われるがまま、辰己はその場にあぐらを組んで座り込んだ。まださっきの平衡感覚が失われる感覚が残っているのか、少し頭がふらついていた。

 座り込むと軽くストレッチをして、改めて周囲の状況を把握する。


 辰己が今居るのは、石造りの建物のようだった。窓などはなく、重厚な扉が一つある、密閉された部屋だ。ただ、暗くないのは、先ほど辰己が包まれた不思議な光が部屋の中にほわほわと漂っているからだろう。


 石の床には、魔法陣のようなものが描かれている。

辰己は気になって、自分の下にある魔法陣を指先で軽くなぞったが、塗料などで描かれているわけではないようだった。石畳に直に刻み込んであるらしい。

 部屋自体は、資料で一度確認していた。だから、辰己は自分が無事に異世界に着いたのだろうと、一先ず安堵の息を吐く。



「ここが、異世界……えぇと、グディアント王国……だっけ」


「はい。間違いありません。言葉は……通じていますか? 私が聞く限りだと、翻訳魔法は正常に働いているようですけど」



 辰己の呟きに、律儀に反応してくれる目の前の美女。

 その顔は、辰己が資料では確認していないものだった。名前だけは確認したかもしれないが、少なくとも写真を見た覚えはない。

 とりあえず、自己紹介が必要だろうと、辰己は息を整えると立ち上がり、制服のズボンについたほこりを軽くはらった。



「大丈夫、通じてます。挨拶が遅くなってすみません。俺が、交換留学生の芦屋辰己です」



 軽くお辞儀をすると、よかった、という様子で表情を緩ませて、赤髪の女性もお辞儀を返してくれる。



「私はあなたがこの世界に居る間のお世話役を任された、カルバン家の娘のノエと言います。ノエ、と呼んでくれて構いません」


「カルバン家の娘のノエ……えぇと……苗字とか、そういうものはない文化なんですかね」



 妙な引っ掛かりを覚えて、辰己が尋ねると、ノエと名乗った赤髪の女性は不思議そうに首を傾げた。



「ファミリーネームというのならば、カルバン家の娘の、というのがそれに当たりますけど……そういう意味ではなく? 翻訳が誤っていますか、もしかして」



 誤訳。

 確かにそれはありえそうだと、辰己は少し思案してから、改めて口を開いた。



「AV」


「? えぇと……」


「ケータイ、スマホ、ラノベ、ゆるキャラ、音ゲー、エロゲ」


「??? らの……べ? なるものは似たようなものがありますけど……えぇっと?」


「いや、翻訳魔法の内容を確認してただけ」



 辰己は『翻訳魔法』なるものはあくまで似た概念の言葉に置換するだけだと聞いていた。

 今辰己が適当に羅列した言葉も、ほとんどノエは翻訳出来ていないようだった。


 一方、名前の妙なひっかかりは、意味は通っているがなにか妙に感じるものだ。

 英語を日本語にしたとき妙な硬さが残っているような、不自然さ。

 辰己の頭がノエたちの言語の構造を、本質的に全く理解していないがゆえに起こるバグ。

 その間を埋めるには――



「ノエ……さん?」


「ノエでいいですよ、タツミ、とこちらもお呼びします。これから長いお付き合いになりますから」


「じゃあ、ノエ。名前をフルネームで、ゆっくり、聞かせてほしい。一音一音はっきりと、聞かせるように」


「わかりました。では、ゆっくりと」



 ノエは特に辰己の行動に疑問を抱くこともなく、ゆっくりと自身の名前を発音する。

 対する辰己は、発せられる音を、ただ音として受け入れるよう意識した。

 すると。



「ノ エ = カ ル バ ン ・ フィ。……です。これで大丈夫ですか?」


「ノエ=カルバン・フィ。……で、合ってる?」



 辰己が復唱すると、ノエは嬉しげに微笑む。



「はい! けど、よく翻訳魔法の間違いを調整できましたね?」


「俺の世界じゃ、クソ翻訳が腐るほどあるからね。インターネットで……って言っても、言葉が通じないか」


「一応、『いんたーねっと』というものについては聞き及んでいます。

世界中の人と繋がれる高度な情報通信網だと。こちらには電話くらいしかないので、とてもうらやましい限りですね」


「いやぁ、多分ノエさ……ん、が」


「ノエでいいですよ?」


「失礼。ノエが思ってるほどいいもんじゃないよ。俺みたいなバカにはどっちかっていうと、バカにハサミって感じだから」


「バカにハサミ……? というのは……ことわざ、ですか? どんな意味なんでしょう?」


「頭の回らない人間に刃物を持たせると危ないよって意味」



 自嘲気味に説明して肩をすくめる辰己だったが、ノエは『へぇ』と感心した様子でため息を漏らし、こくこくと何度か頷いていた。

 その態度からも、元の世界ではなかなかお目にかかれない人の良さが滲み出ていて、辰己は『本当に異世界なんだなぁ』と実感する。

 同時に、年上のように見えるノエだが、頷く仕草は女性らしく、可愛らしく感じられた。

 むさいおっさんとかがお付にならなくてよかった、なんてことを改めて、少しだけ思う辰己だった。

 どうせ異世界で一緒に行動するなら、可愛い女の子相手の方がテンションが上がるに決まっている。



「ノエが案内役でよかった」


「? こちらも、タツミさんが聞いていたような人じゃなくてよかったです。

とんでもない悪人がくると聞いてたので。創作にしか出てこない様な『わるいひと』だと」



 そんなことないですよね、と笑みをこぼすノエ。

 対する辰己は、当たり前だと深く頷いた。



「もちろん。俺は悪い人なんかじゃあないよ。俺なんて全然悪くない」


「ですよね」


「そうそう。――俺はほんのちょっぴり、クズなだけだから」



 辰己の言葉に、ん? と不思議そうに首をかしげるノエ。

 そんなノエを見て辰己は人のいい笑みを浮かべながら、荷物を持ち直した。

 そして、出口に向かって指を差す。



「じゃあ、案内お願い。ノエ。手持ち以外の荷物はここに置いたままでいいんだっけ? この段ボールとか」


「あ、は、はい。任せてください、タツミさん」



 ノエに先導されて、辰己は石造りの建物の外へと一歩踏み出す。

 異世界の大地へと――降り立つのだった。

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