プロローグ
プロローグ『日本一失われても惜しくないクズ』
―統一道徳調査テスト第六回、回答記録より抜粋―
・問7『あなたの目の前で、道路の真ん中で足を痛めて倒れ込んでいる人が居ます。そこに向かって車が勢いよく走ってきますが、居眠り運転しているのか止まりそうにありません。あなたはこの後どうしますか? その人を助けるのには急げば間に合うくらいの距離があるとします』
・問7回答『まず大声で五十万で助けてやるがどうするか尋ねる。録音を忘れずに。渋らずすぐ答えたら助けるし、そうでなければ助けない』
・問12『友人がペットの世話を忘れて、殺してしまいました。友人は悲しんでいる様子です。貴方は友人に対してどんな感情を抱き、どんな対応をしますか』
・問12『とりあえず口では慰めるが、多分内心では「飼うの飽きたんだな」と思う。そんな友人とはすぐに距離をとるだろう』
・問18『気になる異性に告白しましたが、断られてしまいました。あなたはその後その異性にどう接しますか』
・問18『前提条件が不明瞭なので本来なら回答不能。その上で、もし、どんな手を使ってでもその異性と付き合いたいと自分が思っているのだとしたら、手段を選ばない。友人として振る舞い、その異性が気に入るような所作をして、その異性が気になっている他の異性を貶めて、再度その異性に告白し確実に手に入れられるように努力する。
やるだけ努力して無理なら多分普通に諦める。』
―以下ひどすぎるので省略―
×××
「芦屋辰己くん」
名前を呼ばれて、椅子に座っていた糸目の少年――芦屋辰己(あしや・たつみ)は俯かせていた顔を上げた。
辰己の居る部屋は、何度か呼ばれたことのある、学校の生徒指導室。
だが、目の前に居るのは、学内では一度も見たことのないスーツの男性。
状況が上手く飲みこめていない――ああ、愚鈍だなぁ、と辰己は内心ため息を吐きながら、しかし顔には人懐こい笑みをわざとらしく浮かべて、スーツの男性に向かい合う。
「えーっと……さて。なんの話でしたっけ? たしか担任から呼び出されて、そのままこの生徒指導室に連れてこられたのまでは覚えているんですけど。その後怒涛の情報の波に流されて、あまり上手く内容が頭に入ってこなくって」
いやいやすいません、頭が悪くって、はっはっは。
表情豊かすぎて逆にわざとらしいくらいの辰己のリアクションに、目の前のスーツの男性は隠すことなくため息を吐いた。
それに、辰己は苦笑を返す。
「いや、そんな堂々とため息つかないでくださいって。俺、本当に、頭あんまりよくないんですよ。話を理解するのにも、何回か聞かないといけないこと、よくあるくらいですし」
「それは知っている。キミの頭が突き抜けてよかったら、そもそもここに呼ばれていない。失われて惜しいと思われるくらいの人材であれば、キミはそもそも選ばれていない」
「そう。……そうそう。選ばれた。選ばれたってぇ話をしてたんですよね――なににでしたっけ? もう一度聞いてもいいですか?」
辰己の言葉に、もう一度、スーツの男はため息を吐く。
それから、ゆっくりと、愚鈍な辰己にもしっかり理解できるように、言い聞かせてきた。
「芦屋辰己」
「はい」
「キミは、異世界との交換留学生に、選ばれた。いいかな?」
「はー……はぁ。交換留学。異世界と」
異世界。
その言葉自体には、特に辰己は違和感を覚えることはなかった。
異世界、並行世界、並行解離性宇宙。呼び名が多々あるそれは、数年前に突如接触のあった『別の世界』だった。
その世界の数は一つではない。
現在公にされ、取引のある異世界だけでも十ほど。取引していない、取引不可能な世界を含めると倍以上は存在すると言われている。
そこと、交換留学が行われるというのも、理解出来る。
異世界人とのコミュニケーションのために、親善大使が派遣され、徐々に仲を深めていくというのは今まで何度も行われてきた。
大国が行う親善大使の派遣はニュースとして報道され、辰己も何度か目にしたことがある。
だが――そういったことは、日本では今までなかった。
なぜなら。
「日本には、異世界人が来たことはないって……聞いてますけど?」
異世界人は、ある日突然この世界にやってきたと言われている。
空間に穴をあけて、別の世界から、突如として。
その出口は世界によってランダムであり、陸地であること以外に法則性はない。そうなってくると当然、大きな国土を有している国に多くの異世界人が訪れることとなる。
日本の国土は小さい。小さすぎた。
確率的に、異世界人が来る可能性はかなり低く、今まで一度も異世界への扉が開いたことはないと、辰己は聞いていたのだが。
「二年ほど前に一つだけ開いたのだ。極秘情報だから、話したらキミの身柄は拘束される」
「息をするように脅さないでくださいって。言いませんよ」
辰己がげんなりしていると、男はさらに詳しく説明を始めた。
「その世界は、非常に温厚な……いや。善良な人間ばかりの世界だ。犯罪とよばれるものは一度も起こったことが無く、戦争を経験したこともないらしい」
「え。……そこに『人間』って住んでるんですか?」
異世界の共通事項は一つ。
人間、あるいは人間とほぼ同じ姿をした知的生物が生息していることだ。
だが、辰己には信じられなかった。
人間に近い存在が住んでいながら、そのすべてが善良で、戦争を経験したこともないような異世界なんて。
「信じられないという顔だな」
男の言葉に、む、と思わず辰己は言葉を詰まらせた。
ただ、男は別に辰己を馬鹿にしたわけではなく、自分も同意見だという意味で言ったらしい。難しい顔をしながらも『事実だ』と言う。
「既に何度か接触をしているが、善良であることは疑いようがない。……接触を行った職員が『ウソを吐いてこんなにいたたまれない気持ちになったことは初めてだ』と言って、世のためになるようにと慈善事業に手を出し始めたくらいだ」
「そんな世界をどうするんです? いや、侵略とかするのは楽そうですけど」
善人ばかりで絡め手使い放題の戦争ほど楽なものはないだろう。そう思っての辰己の発言に、目の前の男は呆れた様子だった。
「……流石、道徳テストで最低クラスの点数を叩きだしただけある。言っておくが、戦争なんてする気はない。異世界への侵略行動は表向きは禁止されている。日本政府としては、資源や技術の交換などを行えればと考えている」
「え、交換留学という名目で俺に爆弾でももたせて自爆特攻させるつもりだったんじゃないんですか?」
「どこからそんな物騒な発想が出てくるんだ、キミは。本当に高校生か? というより、キミ、そんなんで友達居るのか?」
「普段は善良ですから」
辰己の言葉に、男は諦めたように短く息を吐いた。
辰己は心の中だけで『失敬な』と少々憤慨する。普段善良なのは真実だというのに。
――だって善良じゃないと、いざと言う時信じてもらえなくて騙せないじゃないか。
「……ま、そんなキミだからこそ適任だ。なにせあちらが交換留学生の条件として出してきたのは『悪意のある人物』なのだから」
「それはどういう意図で……?」
「我々と交流したことで、異世界の人々は自分たちの世界に侵略者が来る可能性を考慮したらしい。
そこで、人の悪意というものを理解するために、そう言った『性格の悪い人物』を交換留学という形で来てもらい、観察したいという話だ」
「はぁ。いや、俺は性格は悪くないですけど、納得の理由ですね」
「性格の悪さは道徳テストで保障されている。安心してくれていい」
「性格は悪くないと思うんですけどね、俺。ただちょっと行動がクズなだけで」
「自分の行動がクズだと自認している時点で大概だよ」
そうですかね、とうそぶく辰己に男は『それで?』と問うてくる。
「この交換留学、受けてくれるかな」
「まさか、受験が差し迫った高校三年生にただで働けとは言いませんよね?」
「高校生が大人に取引か? いい度胸だな」
「働いたらお金をもらうなんて、高校生ならみんなちゃんと徹底してますよ。で? 仕事の内容と報酬、準備してるんですよね? 見せてください」
辰己は、男の態度から既にその辺りは準備済みであるとわかっていた。
なにせ男は辰己の道徳のテストの結果を見て、その性格を理解した上でやってきているのだ。
それならば、報酬を用意していないわけがない。タダ働きなんて辰己は死んでも嫌だからだ。
「やれやれ……もしキミが人並みの高校生なら普通に貴重な経験だと、タダで異世界に行ってくれるかもと思ったんだが……そうはいかないか」
肩をすくめながら、男は書類を取り出した。契約書のようだ。
「こちらから頼みたいことは大きく分けて三つ。
一つ、異世界の環境調査。機材はこちらで用意する。
二つ、その世界の住人の性質、世界状況の把握。
そして、三つ……異世界へ移動する方法を聞きだしてくること」
「報酬は」
「好きな大学への進学。それと、最低限このくらいは用意させてもらう」
男が、懐から小切手を取り出して提示する。そこには辰己が見たことのない数のゼロが並んでいた。
「豪気ですね。大学行かなくていいんじゃないかって思えてきましたよ」
「国家予算からすれば微々たるものだ。
ただ、異世界で死んでも、我々はなにもできない。また、これは最低限の報酬だ。キミが環境調査、世情調査、異世界への移動方法などを達成できた場合にはさらに報酬は上乗せされる」
「倍……とか?」
「三倍は約束しよう。細かな額は契約書に書いてある。持ち帰るのは許可できないから、読むならここで読んでくれ」
「では、少し時間をいただきます」
辰己は提示された契約書を、隅から隅までしっかりと読みこんだ。
特に辰己を欺くような内容は書かれていない。死んだらそれまで、ということもしっかりと明記されている。
一つ気になる点があるとすれば。
「……金を払いたくないがために、俺が異世界でこっそりあなたたちに殺されるなんてことは?」
「それはありえない。そもそも我々は異世界に能動的に移動する手段を持っていない。だからこその依頼内容であり、まして異世界で実際に現地調査を行った人間は貴重だ」
「なるほど。現地人は善良だから殺される心配も多分ない、と……あっちって機械使えるんですか? 通信機器の電波とかは?」
「機械類は問題なく使える。通信機器は、特定の場所でのみ使用可能なように調整中だ」
「わかりました。――なら、この異世界交換留学、受けさせてもらいます」
「本当か?」
辰己の言葉に、男は嬉しそうに立ち上がる。だが、すぐに我に返って椅子に座りなおすと、安堵した様子で言う。
「いや、よかった。なにかあっても惜しくなく、それでいてそこまで頭も悪くない、だけど性格は悪い人材(クズ)なんてなかなか居ないから」
「口が滑ってそんなこと言っちゃうあなたも大概クズですけどね。……ま、精々教えて来てやりましょう、異世界の人間に」
辰己は口元を笑みに歪めて、手元の書類に目を落とす。
そこには、辰己を異世界で案内してくれるという、鮮やかな赤髪の少女が写っている。
「――クズのやり口ってものを」
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