第2話


 学校からの帰り道はもうすでに閑散としていて、女子だけの華々しい感じはとても見られなかった。彼女たちと同じように、この時間帯に帰っている生徒もちらほらといたが、とてもピーク時には並ばなかった。

 奏とメイの前を歩くものうちに、一際目立つ二人の生徒がいた。奏は自らの袖が引っ張られているのに気付き、奏の目線まで屈んだ。


「ねぇ、あの人たち、手をつないでるよ」

 メイがひっそりと耳打ちをする。かかる吐息はくすぐったく、奏の心を甘い気持ちで満たした。

「付き合っているんじゃないの?」

 奏もメイに囁き返す。サラサラの髪の毛が顔にかかり、奏の心臓はドキリと跳ねた。しかし、これは恋ではないと、奏は己に言い聞かせる。

「でも、女の子同士だよ?」

「そういうものなの。 本人らが好き同士なら、二人の間に問題はないの」

 メイは奏の言葉にうなずきながら、相槌を打つ。そして、奏の言ったことを繰り返すように呟いた。


「好き同士なら、二人の間に問題はないんだ」


 意味ありげにその言葉を口にするメイに、奏は胸がギュッと掴まれるような思いを感じた。

 女子が女子を好きだなんて、常識的に考えればおかしなことだ。同性婚が認められている国もあるこのご時世だとしても、奇異の目で見られるのは間違いない。それでも、好きならば何も問題がないだなんて、それはとても夢見がちなことだろう。

 自分はなんてロマンチストなんだ、奏は赤面する。

 この世の中、うまくいくことの方が少ない。恋なんて、なおさらだ。そのうまくいかない恋の中で、さらに茨の道を進むなんて、本当に辛いことだろう。


「メイはさ、誰か気になる人とかいるの? それとも恋に恋している感じ?」

「うーん、やっぱりわからないかな」

 そう言いながらも、メイの頬が染まって見えるのは、夕焼けのためか、誰かのためか。

 メイの遠いところを向いた視線を追うように、奏もまた、空を仰ぐ。

「うん難しいよね、恋なんてさ」

 夕暮れに染まる空を見て、奏はつぶやく。電信柱が視界を遮っていて、彼女の視界は不明瞭だった。


 肩を並べて歩く通学路は一人の時のよりも輝いて見える。橙色の空に光る一番星はまるで、自分たちを祝福しているように思えた。

 確かに芽生えつつある奏の中の気持ちに、彼女は気が付かないふりをしていた。

 一緒に居たいと思うその願望は、友情と愛情の間で揺れるそれで、じわりじわりと奏の心をむしばんだ。


「ねぇ。薄雪さん」

 ふと、奏の名前が呼ばれる。それに気づいた二人は足を止める。振り返った先には緑のタイを首元につけた、長い黒髪の聡明そうな少女が電柱にもたれかかっていた。

 そのアーモンド形の瞳は深く沈んでおり、そのピンク色した華々しい唇とは対照的だった。

「……なんですか、柊先輩」

 奏は怪訝そうに柊と呼ばれる少女をにらみつける。

 冷たい風が辺りを吹き抜ける。

 どこか不穏気な空気を感じ取ってか、メイは不安そうに奏の袖口をギュッと握った。

「ちょっと、ね。 ……どうしても君に一言謝りたかったのさ」

「あなたが、謝る?」

 眉をひそめる奏。その様子を見て、柊も申し訳なさそうに眉をひそめた。

「あなたは何もしていないんでしょ?」

「そうね、でも、君が僕を振ったことと、陰で言われている噂には関連がある」

 柊はサラサラとした長い黒髪を撫でつけて言う。そのあまり悪びれていない様子に奏は少し、腹が立った。

「謝られても変わらないですよ、今は。 傷がすぐに癒えるわけでもない。 ただの自己満足なら遠慮してもらいたいんですが」

「……そうだね、これは僕の自己満足さ。 けれども、これからはあんな噂話なんておこらない。 おこさせない。それだけは保障したいんだ」

 その話を聞いて、奏は密かに安堵した。いつ頃からか流れ出した彼女達にまつわる噂話。一瞬一瞬は耐えられはしても、長く続くとそれは心をじわりじわりと病ませていく。

 奏自身、陰口はもうたくさんだった。自分に言われるだけならまだしも、隣にいるメイにまでその毒牙が向かいかけていたのだから。


「そりゃどうも」

 奏は軽く会釈する。

「僕の周りのせいで悪かったわね……」

「謝らないでください」

 奏はぴしゃりと柊の言葉を跳ねつけた。

 奏にとって柊にはずっと悪者でいて欲しいのだ。

 嫌な人はどこでも嫌な人でいいのに。どうして、こんなに人間と言うものは複雑に生きているのだろう。

 どうして、こんなに苛立たせるのだろう。

 眉間によりかけたシワを奏は瞬きをして薄くさせる。メイの前で、人に当たりすぎる自分ではいたくない。その一心が彼女を支えていた。


「それじゃ……」

 奏はメイの手を引っ張り、帰路をたどろうとする。しかし、それは柊の体によって遮られた。

「少し、待ってくれないか?」

「……もう用は済んだんじゃないんですか?」

「僕は始めから君だけに用があるんだ」

 柊のその言葉の示す意味は、『空澄メイは邪魔だ、どこかにやってくれ』ぐらいだろう。

 奏は一刻も早く、彼女から解放されたかったため、その言葉の裏をのんだ。

「メイ、ちょっと先行ってて」

 ためらいがちに頷くメイ。ゆっくりと離されるその手は、二度と戻ってこないように、奏には思えた。

 彼女の小柄な体が先に消えるのを確認してから、奏は口は開いた。


「……で、何の用ですか?」

「君には直接関係ないのだが、いや関係あるか」

 柊は頬をポリポリと掻きながら独り言のように呟いた。

 その様子が奏の癪に障る。

「なんですか、もったいぶって。 早く話してくださいよ」

 柊は事を話すのをためらうかのように、ひとしきりうーんと唸る。そうして、気が済んだのか潔く口を割った。

「単刀直入に言うが、君はさっきまでいた子のことが好きだろう」

 柊の、その艶めいた唇からでてきた真っ直ぐな言葉。それは奏の心を揺さぶった。

 自分の主観的な見方ではなく、客観的な見方。その見方は奏の中で友情と恋愛とで揺れる気持ちを、一方へと膨れ上がらせた。

「それが、何の関係が……」

「もし、好きならの話さ。 彼女のことが好きなら、日嗣青春と言う三年には気を付けた方がいい」

 ふざけた様子も見せず、淡々と述べる柊。

 奏の脳内に日嗣と言う先輩の姿が浮かび上がる。

 ナイスバディで、長い前髪が特徴的で、その髪の下もまた絶世の美形で、校舎裏で煙草を吸っている。そして、空澄メイの憧れの人。


「空澄はよく見ているだろう、日嗣のことを。 ……その、熱っぽい目線で」

 柊は照れたように頬を掻く。そのような照れる行いをこの間までやっていたのは柊自身だと言うのに。

 その羽振りのよさに、奏は内心ため息をついた。

「日嗣先輩、やっぱり危ない人なんですか?」

 そりゃ、煙草を校内で堂々と燻らせるなんて並の神経では出来ない。要注意なのは、何にしても変わらないだろう。


「まぁ、そりゃね。 君も件の光景を見ているだろうし。 でも、それだけでは足りないのさ」

 柊がわざわざ言いに来るほどだ、まだ何かあるのは察しがついていた。それと同時に、メイの見る目のなさを奏は少しばかり恨んだ。

 柊は手をパーの形に広げ、一本ずつ折りながら日嗣の危険性を述べた。

「まず、彼女はバイだ。 同性愛者だ。 それに加えて、しょっちゅう誰かを泣かすくらいに遊びが激しい。 さらに、体を売っているなんて噂もまことしやかに囁かれている。 そして、不良行為だな。 まぁ、最後のは軽いものさ」

 柊は四本目まで指を折ると、思い出したように呟いた。


「あぁ、そして、日嗣青春は空澄メイの熱い視線に気づいている」

 この一言は、奏を戦慄させた。

 初秋だというのに、肌には鳥肌が立っていたし、背中は空寒かった。


「……なんでそれを私に教えてくれるんですか」

 手で体を覆いながら、奏は柊に言った。唇は震え、それは言葉までもを震えさせた。

「余計なお世話だよ。 それに加えるとしたら、惚れたよしみと、贖罪かな」

 罪。それが何を指すのか、考えるだけで嫌気がさした。

 少なくとも奏には、悪口陰口うんぬんだけを示しているようには思えなかった。

「日嗣さんと仲がいいんですか」

「そうだね、まぁ、利害関係が一致したというか何と言うか……」

 腐れ縁だね、と柊はにっこりと笑った。

 どこか吹っ切れた様子の彼女に、奏は安堵する。それと同時に、心の片隅でなにかがざわついているのを感じた。

 そのせいか、柊にお礼を言おうと思った唇はうまく動かず。言葉未満吐息以上の何かが宙へと漏れだす。


 震えたまま黙った奏を見て、柊は憐れむように苦笑いする。

「本当に余計なお世話になればいいんだけどさ。 言いたいことはこれだけだよ」

 じゃあ、と言って柊は道の先へと消えていった。


 張りつめていた糸が切れたように、奏は地面へとへたり込んだ。

 冷汗がジワリと、毒の様に体を蝕んだ。今はなにも考えたくなかった。今まで必死に合わせていた歯車が、決定的にずれていったような気がした。

 顔を体にうずめて、奏は外界からの信号を遮断する。

 混乱する頭には暗闇は心地よかった。

 幸いにも通学路は閑散としていたわけで、彼女のそうした行為を、誰も邪魔しなかった。

 ただ一人を除いては。

「奏ちゃん!」

 奏が顔を上げると、そこには、級友の空澄メイの姿があった。編み込みのはいった可愛らしい髪に、しっかりと結ばれた赤いタイ。優しげに垂れた目じりに、大きく主張する瞳。小柄で幼さを保った身体が、体を陰で包み込む。

「……来てくれたんだ。 ごめんね」

「ううん、それよりも大丈夫なの? なにか嫌なこといわれた?」

 嫌なこと? 確かにそうだ。聞きたくもなかった。

 奏はゆっくりと立ち上がり、メイの頭をなでた。

 突然のその行為に、メイは顔いっぱいにクエスチョンマークを浮かべる。

 彼女の綺麗な目と奏の切れ長な目がぶつかる。

「えっと、その……」

「ごめん嫌だった?」

「ううん、嫌じゃないけど、その、なんか照れるかなって」

 顔を赤らめて、恥ずかしそうに笑うメイはとても愛らしく、愛おしかった。

 奏自身がメイを友愛的に好きなのか、恋愛的に好きなのか、なんてことは今の奏にはどちらでもよかった。

「よかった、じゃ、本当に帰ろっか?」

 そういって手を差し出す。

 夕闇に染まった街中に二人の影が伸びる。


 きっと、二人が近づけば、メイは泣くことになるだろう。

 だから、守るのだ。


 差し出された手と手が絡む。体温と体温がその上で溶け合い,

繋がりが生まれる。

 帰りの駅へ向かう間中、奏は思う。


 今、この瞬間が永遠に続けばいいのに。

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