999階層の死神vsソロプレイヤー

vsブラック・ダイヤ

 イベント開幕。


 此度も多くの挑戦者が、999階層の死神に挑み、破れていく。

 相手が少数だろうが百人規模の過剰人数だろうが関係なく、死神は悉く、殺すと宣う首の一切を叩き斬る。


 1週間中、4時間の限定イベント。

 半分の2時間が経過したところで、999階層に到達したのはおよそ60組。総勢、209人。

 ヘヴンズ・タワーに挑んだおよそ3分の1が到達したものの、1人として踏破出来た者はない。


 そんな中、今回のイベントでは初めてとなる、ソロでの挑戦者が現れた。

 ソロでの挑戦者自体は珍しくもないが、此度現れたのは、死神も知らぬ新顔だった。


「ハロー、君がジャパンの死神かな」


 自動翻訳機能ですぐさま日本語に変換されるものの、アメリカのプレイヤーのようだ。

 諸外国からの挑戦者もまた、珍しいものではない。

 が、レベル400に到達しようというハイレベルながら、初挑戦。しかもソロで挑んできたことが、死神には不思議に見えた。


「私は、ブラック・ダイヤ。ここではアカウント名だが? 現実でもそう呼ばれている」

【傭兵か?】

「いや、そういうわけではない。私はプロレスラーでね。現役は退いたが、ブラック・ダイヤのリングネームで、今も若手を教えている。そんな私だが、趣味がゲームでね。普段は家族と一緒に遊んでいるのだが、今日は生憎とソロプレイになってしまって、せっかくだから挑戦しに来たというわけだ」

【そうか。しかし経緯が何であれ、汝がこの塔に挑戦した時点で、我と汝の関係は確立されている。汝は我を打倒すべく戦い、我は汝の首を斬る。ただ、それだけである】


 ブラック・ダイヤは不適にほくそ笑む。

 プロレスラーを自称していただけあって、ステータスを膂力に振り切った拳闘士スタイル。

 VRMMOだというのに、他の拳闘士とは明らか違う筋肉の量は、もはや肉塊と呼んでも過言ではない。


「ジャパンの死神は随分と、登録されている語彙が多いのだな。私とここまで正確な会話をしてくれたNPCは、君が初めてだよ。では……始めようか!」


 自慢の筋肉量に物を言わせての突進を霧となって躱し、後方へ。

 だが刃を振り上げたと同時のタイミングで裏拳が飛んできて、倒れこそしなかったものの、むしろ倒れないために一歩、踏み出させられた。

 大剣を振り下ろすものの両手で挟むように止められ、力比べになるが、一歩、また一歩と押し込まれる。


 大剣を消し、装備を変更。漆黒の鎌を振るうが、受け止められ、柄を辿って間合いに入られ、顔面を殴られた。


「硬いねぇ、その面。何より、君自身が……重い」


 真正面から殴られて、死神はまるで動じない。

 不意さえ突かれなければ、打撃で揺らぐことさえ死神にはないのだが、単純な力比べでは、どうやらブラック・ダイヤの方が上らしい。


 魔法に費やす能力値のすべてと速度に関する能力値の半分以上を、攻撃力と筋力に大きく割り振る、いわゆる極振りという奴だろう。

 珍しくはないが、彼の場合、自分の得意分野と合わさって強力な武器となっているようだ。

 元々装備に武器を持っていなかったのも理解できる。彼には、必要ないからだ。


「私も長く現役を務めたものだが、君のような奴が現実にいたらと思うとなるほど。確かに、死神と名付けたかもしれないな」

【それは薦めない。格闘技に死神が介入するようなことあれば、いつしか戦える戦士を失おう】

「言ってくれるじゃあねぇか」


 他の誰とも比較出来ないほど膨れ上がった筋肉の塊と化した腕を、力の限り振り下ろす。

 死神は躊躇なく片腕で受け、ダメージもなかったが、振り下ろされた衝撃で足の半分まで床に沈まされた。


「俺の黒い肌はダイヤモンドのように固く、握力は石を砕く。だから恩師からブラック・ダイヤと名付けられたんだが……君の鎧も、ブラック・ダイヤかね?」

【そのような石は存在しない】


 腕を振り払い、霧と化して流れるように後退。

 距離を取った先で、高々と掲げた弓の弦を弾き、放たれた矢が宙で弧を描きながら分散し続けて100近い数にまで増え、ブラック・ダイヤに襲い掛かる。


 だがブラック・ダイヤは構うことなく、降り注ぐ矢の雨の中を突進。

 回避もせず、矢に射貫かれながらも真っ直ぐに走り続けてタックル。死神をステンドグラスで飾られた壁に押し付ける。


 さらに有無も言わさず死神を反転させ、胴に腕を回すと、間髪入れずに持ち上げ、頭を地面に叩き付ける――俗にいう、スープレックスを決めた。


 すぐさま抜け出たブラック・ダイヤは、片膝を付いて深く息を吐く。

 さすがに十数発の矢の直撃を躱すことも防御することもなく受ければ、ダメージはある。

 屠られても仕方ないダメージが蓄積されていたが、攻撃力の次に割り振った体力のお陰で、何とか持ちこたえた形だった。


 そして死神は、地に背中をつけて倒れたまま、動かない。

 強がって跳び上がってくればまだ可愛げこそあったものの、特別何かあった様子もないとばかりにゆっくり起き上がってくるものだから、いい気分ではなかった。


「参った……これ以上ないくらいスマートに決まったはずなんだが」

【今のがプロレスリングとやらか……なるほど。女神の言うことも馬鹿にならぬ。情報にて知るのと我が身を以て知るのとでは、こうも違うか】


 弓を消し、仕舞う。

 次に何を取り出すかと思えば、何も出すことなく、ガントレットをまとった両手を数度ぶつけて、面の下から熱の籠った蒸気のような呼吸を吐き出し、構え始めた。


【今のダメージは実に貴重。そもそもダメージの概念さえ、実感したのは久方振りだ】


 無論、最強とされる二人を除いての話になる。

 だが、大概が武器の性能やスキル、強力な魔法などのゲーム内の技を駆使して来る中、現実の世界で磨いた技術で以てダメージを与えられるなど新鮮で、何よりそんな相手も初めてだったから、死神は気分が高揚していた。


【暫し、付き合って貰おう】

「……回復薬ポーションを飲んでも、構わんかね?」

【赦す】


 持ってきていた回復薬ポーションは、これが最後。

 さすがに998の階層を1人で行くのは難しく、初めてだったこともあり、見込みも甘かった。

 最後に取っておいた回復薬ポーションが、体力を完全に回復できる最も品質のいいものであったことが、せめてもの救い。


 だが感覚的にわかっている。

 今の一撃が通じなかった以上、勝ち目は薄いことを。

 ただし薄いだけで、完全には諦めてない――いや、諦められてないだけなのだが。


「待たせたな」

【良い。我が勝手に待っただけである】


 風を切る速度で繰り出された手刀が、死神の胸を打つ。

 女神が肘鉄をして痛がった装甲を全力で叩いても、ブラック・ダイヤは痛いと言わなければ、肌に傷さえも付かない。

 受けた死神は鎧を通じて全身に衝撃を感じており、最後には地面に逃がしていたものの、全身に感じた衝撃は一歩後退させるに充分だった。


【……】

「カモン!!!」


 見様見真似、かつ与えられた情報を下に手刀を繰り出す。

 打ち込まれた衝撃は全身を駆け抜け、ブラック・ダイヤに歯を食いしばらせたが、倒すまでには至らなかった。

 同じく数歩後退させるに留まる。


「やるねぇ……!!!」


 再び、仕返しとばかりの平手打ち。

 死神は耐え、平手打ちで返す。


 二回打たれれば二回返し、三回打たれれば三回返す。

 それこそ本当のプロレスのように、意地と意地をぶつけ合う。

 観客がいないことなど些事にもならず、ブラック・ダイヤも漆黒の甲冑も傷だらけになりながら、相手に平手を返す。


 それこそ、ブラック・ダイヤは楽しんでいた。


  *  *  *  *  *


 現役引退から、およそ20年。

 11も年下の妻を貰い、4人もの子宝に恵まれた上、長男は「親父を超えたい」とプロレスの道に進んで、チャンピオンにまでなってくれた。

 順風満帆、これ以上なく幸せな人生。


 だが――満足としたかと訊かれると、素直に頷けない自分がいることを感じていた。

 幼少期から憧れていたプロレスラーとなり、汚泥の水を飲んででも這い上がらんと鍛錬を積み、栄光を掴んだ。


 しかし、試合中の怪我が原因で引退。

 昔は完治したような傷さえ、治らなくなるほど衰えたが故の逃れられない結末。

 人間、老いには勝てないのだと悟りながらリングを降りた。


「親父! このゲームやってみろよ!」


 誕生日でもないのに、長男が持ってきたVRMMO『Another・Color』。

 ゲームは息抜きにやっていたこともあったが、世代でなかったが故に変な抵抗があり、VRMMOには手を出していなかった。

 だからなのか、VRMMOは世界を広げた。


 もう動かないはずの体がこれでもかとばかりに動き、人間以外のとんでもない怪物や猛獣とも戦える。

 それこそゲームにありそうな、虎殺しだとか熊殺しだとか龍殺しだとか、とにかく色んな相手と存分に戦った。

 かつて誰よりも黒く、誰よりも硬く黒い肌と強靭な筋肉を誇っていた――ブラック・ダイヤと呼ばれていた頃の自分を取り戻した気分だった。


 ゲームの中だけの、仮初の力であることはわかっていたが、それでもやめられなかった。

 プロレスラーに憧れた時代の幼少期。

 必死に先輩の背中を追いかけ、パシリでもなんでもやった青年時代。

 リングで高々と拳を掲げ、チャンピオンベルトを肩に掛けた栄光の時代。

 年老いて、すべていい思い出に終わったはずだったのに、また火を点けてくれた。弱っていくだけの老人に、生きる気力を与えてくれた。


 だから感謝している。

 VRMMOに。『Another・Color』に。

 自分に付き合ってくれる、この優しい死神に。


  *  *  *  *  *


「まだまだぁ!」


 股下に腕を入れて担ぎ上げ、筋力に物を言わせて投げ飛ばす。

 宙で身を捻って着地したところにタックルし、押し倒すと馬乗りになって、殴る、殴る。

 もはやプロレスなど関係なく、力の限り力を揮う。


 だがやがて拳は受け止められ、霧となって抜け出されると、背後に立った死神からの強烈な一撃を、振り返った顔面に喰らった。


 下顎を狙った、意識を刈り取る一撃。

 確かに格闘技のリングに、死神を出すのはルール違反だ。あれは戦うためでなく、殺すためにいるのだから。


「……あぁ、立てねぇや」


 下顎を揺らされると脳も揺れ、起き上がれなくなる。

 こんなところまで再現しなくたっていいのにと思いながら、ブラック・ダイヤは引退のきっかけとなった試合を思い出していた。


 この世で最も固い鉱物、ダイヤモンドが砕けた試合だ。

 年齢もあった。打ちどころも悪かった。相手選手を怨んでもない。

 あのときは天井を見上げる間もなかったけれど、意識が途切れる最後の瞬間、見た光景は憶えている。


 長年世話になったコーチや後輩らが、自分を見下ろしている。

 自分をずっと支えてくれた仲間、友。自分に憧れてくれた、慕ってくれた後輩達。


 あぁこれで、選手生命は終わったのだと。言われるまでもなく、診断されるより前に、意識が途切れるより前に、気付いていた。

 だから今、同じように倒れていて、頭の方から死神が覗き込んでいるというのは、あのときの再現なのかもしれない。


 おまえの選手生命は終わりだ、と告げに来た死神。


【礼を言う。汝のお陰で、貴重な体験が出来た――安らかに眠るがいい】

「……礼を言うのは、こっちかもしれないがな」


 結果として、ブラック・ダイヤは負けた。

 最後はやはり、首を斬られて終わった。


 その後、彼が塔に挑戦することはないのだが、なくてよかったのかもしれない。

 もしもまた、彼が単身挑みに来るようなら、運営側はどんな報酬を用意してでも止めただろう。


 また一つ、より深く、死神の姿をした人工知能が、学習してしまうからだ。

 ブラック・ダイヤと呼ばれた、世界トップにまで至ったプロレスラーの体技を。

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