死神と女神 ――イベント直後~その後――

湖畔の畔まで

 うん、と女神は背筋を伸ばす。

 戦いのために広がっていた翼は収縮し、小さく折りたたまれて、肩が凝ったと言わんばかりに首を傾けてポキポキと鳴らし始めた。


 人工知能ながら、そこまで再現しなくていいのではと思わなくもない。


「ん」

【なんだ】

「……ん!」


 何かして欲しいのだとは察しているのだが、死神を構築するプログラムの中に、少女が両腕を伸ばして求めてくるものが何なのかを導き出すものは存在しなかった。


 女神は少しムッとなって、折りたたんだばかりの翼の一組を羽ばたかせて自分から死神へ飛び込み、受け止められる。

 死神が下ろそうとすると、また強い視線で面の奥の眼光を睨んだ。


「このまま抱っこして」

【汝は飛翔出来よう。ましてや抱き上げることに意味はないと――】

「い、い、か、ら! 抱っこ!」

【……了承した】


 これ以上の反論は意味を成さないと判断した。


 彼女が何故、唐突にも抱いて運べと言い出したのか理解できないし、これに何の意味があるのかもわからない。

 だが今の彼女が幸せそうであることと、抱いて運べば大人しいことも加味すると、これ以上議論しても仕方ないし、そもそも議論することですらないと思ったので――端的に言ってしまうと、もうどうでもよかった。


 イベントが終了し、プレイヤーは強制退去。

 各階層を護っていたモンスターらも元のダンジョンに送られ、4時間にも及ぶ喧騒と闘争が繰り広げられていた塔の全階層が、一挙に静寂に包まれる。


 モンスターの咆哮、断末魔。

 プレイヤーらの士気を昂らせるための咆哮、剣撃、魔法の数々。わずか五分前まで絶えず繰り広げられていた戦いの痕跡さえ綺麗さっぱり消え去って、塔には何も残っていない。


 塔を登ったプレイヤーらのポケットに入ったアイテムだけが、この塔で起きた戦いの証。

 塔には何も残らず、死神が今回退けたプレイヤーの数に対してもまた、何の褒章も勲章もなく、2人の手元には何も残らない。


 そのことに一抹の寂しささえも感じないのは、一度も彼らが満たされるような経験をしたことがないからで、何もないことこそが当たり前だからだ。

 求めるものはただ一つ。誰にも邪魔されず、侵されることのない平穏だけである。


 いつまで続くかわからない。

 いつか、強制的に終わらせられてしまうかもしれない。

 人工知能の自分達には、そもそも用意されていないかもしれないけれど――称号もなく、褒章もなく、プレイヤーらが求めるものは貰えないと言うのなら、もう、それくらいしか、求めるものはない。


「来週、厳しくなるって?」

【そう言っていた。詳細は語らなかったが、向こうからわざわざ言ってきたということは、言うだけの物を用意しているのだろう。今まで前例もない故、油断できぬ】

「そっか……でも、負けないわ。あなたは」


 何か言いなさい、と肘で突く。

 装甲ということを忘れて強めに突いたため、涙目で肘を撫でる女神を見下ろす死神は、何が言いたいのかわからず、むしろ何をしているのか問い掛けるように女神を見下ろしている。


「今のは、あなたが何か返さないと、私が恥ずかしいところでしょう?! 察して!」

【フム】

「……あなた、もしかして思考回路に割くリソースを筋力に回してない?」

【そのような自由は我にない】


 現実ならば「脳みそまで筋肉で出来ている」だとか「単細胞生物」だとか、揶揄する言葉も豊富だろう。

 だが生憎と『Another・Color』には単細胞生物が存在せず、頭ではなく、自分達を構築するデータそのものが物事を考える人工知能たる2人には、これらの表現は思い浮かばなかった。


「あなたは負けちゃダメよ。私をこうして運んでいいのは、あなただけなんだから」

【死神の戦いに勝敗の概念はない。我が死を与え、奴らが拒む。そして、今まで拒絶し切れた者はない。これからも、そう在り続ける――それ、だけだ】

「そう。だから、そのままでいてね?」

【――言われるまでもない】


 そうじゃない、と言いたくてまた肘で突く。

 また装甲であることを忘れていたため、更なる痛みで痺れる腕をさすりながら、泣くまいと耐える女神をずっと見下ろす死神は、無言だった。


「何ですか」

【帰ったら、治癒の回復薬ポーションを用意しよう】


 なんでそういうことはすぐに言うのですか。

 そんな意味を籠めて胸座をポカポカと叩いていた手も痛め、結局帰ってから3つの回復薬ポーションを消費した。

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