死神と女神 回復薬を作る

回復薬ポーションを切らした】


 なんで、と言おうとしてやめた。

 原因が自分にあることを思い出したからだ。


 昨日の肘鉄然り、普段の料理中に誤って包丁で切ってしまった時とか、釣った魚の針を取ろうとして魚に噛まれたりした時、勝手に使い続けていたが回って来たという話だ。


 ダンジョンにてHPやMPを回復するのに使う回復薬ポーションを、傷薬どころか消毒薬扱いで使い続けて来たツケが回って来たというだけの話だ。


 消毒も何も、毒する細菌さえ存在しないこの世界では贅沢過ぎる使い方だったと、知恵を司る女神は今更ながらに反省する。

 何より死神にずっと無言で見つめられれば、反省せざるを得なかった。


 責められない、というのが一番心に値するプログラムを抉っているのを知っているのかいないのか、死神の無言は、不戦不敗の女神に一番効果的な攻撃である。


【材料を調達し、作ってみるか】

「……買いにはいかない?」

【それでも構わぬ。が、作成に費やした時間だけ、暇も潰せよう】

「……へぇ」


 一応、気を遣ってくれているんだ。


 昨日の創造者の忠告を気にしているのかいないのか、ともかくこちらに気を遣ってくれていることだけは察せられる。

 相変わらず面の下から辛うじて見えるのは、赤く光る双眸しかないのだけれど、普段敵を見据えて光る双眸が、どこか慈悲か慈愛か、ともかくそんな類の感情で自分を見下ろしている気がしてならなかった。


 これが女神の勝手な思い込みなら、思い込みでなく思い上がりながら、恥ずかしい以外の何物でもないのだが。


「じゃあ、早速材料を調達しなきゃ! この森で手に入るかしら!」

【フム……一番簡単な回復薬ポーションの素材なら、揃うであろう。仮にも世界の中心に位置する森だからな】

「じゃあ早速行きましょ! あ、サンドイッチ持っていく?」

【不要である。ハイキングではない】

「お弁当持っていくんだから、ピクニックよ!」

【ならば訂正し、改める。女神よ、ピクニックではない】


 サンドイッチはなしで、2人揃って森へ出る。

 ただし死神の面に覆われた顔は、女神の素脚に挟まれていた。


 死神が女神を肩車しているだけなのだが、仮にも世界最強に位置されている女神が、子供のように肩車されてはしゃぐ姿はプレイヤーらには見せてはいけないなと、死神は1人思う。


 そもそもヘヴンズ・タワー999階層を守護する無敗の死神が、誰かを肩車している姿自体、プレイヤーらは見たくもないだろうが、死神の思考回路はその方向には回らなかった。

 何せ初めての肩車で、女神が女神らしからぬ子供じみたはしゃぎ方をするものだから、翼を持つ女神だというのに、落とさないよう気を配るばかりで、それどころではなかったのだ。


【何故、我の肩に乗る。汝の翼は飾りでもあるまいに】

「あら、いいじゃない。仮にも女神を肩に乗せてるなんて、これ以上なくご利益がありそうじゃないの。来週苦しいかもしれないっていう戦いも、楽に勝てちゃうかもしれないわ?」

【我も仮初ながら死神なのだが、他の神の加護とやらは受けられるものなのか?】

「私とあなたは特別よ」


 女神の豊満に実った胸部が、死神の頭に乗る。


 昔の人は子孫繫栄の証として女神の石像には多くの乳房を付けたり、絵画でも豊満に実った胸部をを描いたものだが、女神のそれが子孫繫栄を願ってのものでないことは、言うまでもない。

 ただ男の大半が羨むだろう状況にあっても、死神に発する欲情はなく、ましてや特別意識することもない。

 本来の目的を忘れることもなく、回復薬ポーションの素材となる薬草を淡々と探しているのが、女神は少し寂しく感じた。


「あ、ホラ、あったわよ」

【どこだ】

「ホラ、その右の木の根っこの辺りに――」


 集中して探していた死神より先に見つけたのはただの偶然なのだろうけれど、もしかして探してたのは気を紛らわすためだったのかなとか、実は意識してくれていたのかなとか、あり得ないだろう想像が膨らんでしまう。


 しかしそうであっても、そうでなくても、ただ薬草を探しているこの時間が楽しかった。

 何でこういうことをして来なかったのだろうと、今更ながら不思議に思う。


  *  *  *  *  *


 最初は塔の玉座に居た。

 架空世界の空に最も近い場所。ヘヴンズ・タワー、1000階層の玉座に。


 知識はあった。人工知能なのだから当然だ。

 自分の情報も置かれている状況も、自分の役割も知っていた。知っている必要があるのかわからないことまで知っていた。


 今すぐにではないだろうけれど、いつか目の前の扉が開いて、現れた人達と戦わなければならないことも知っていた。

 知らないのは、その日がいつかということだけだったけれど、そう遠い話でもないだろうなと、勝手ながらに思っていた。


 だから待っていればいいと、待って、待って、待ち続けて、待ち続けて、待ち続けて――ちょっと待たせすぎじゃないかと疑うまで、一体どれだけの時間、いや期間、待ち続けたのだろう。


 一週間に一度、四時間だけのイベント。それ以外の時間、玉座から一切動かずに眠っていた女神には、時間の概念なんてないに等しかったが、さすがに思わざるを得ないほどの時間が流れ、初めて重い腰を上げることとなった。


 なんで誰も来ないのか。

 なんで毎度、誰も来ないで終わるのか。

 さすがに誰も来ないなんてあり得ない。すべての疑問を解決する答えは、漆黒の背中で語られていた。


 皮肉ながら、プレイヤーの誰もが開けることを許されなかった扉を最初に開けたのは、女神当人だったのである。


【……何故、汝が出てくる】


 あなただったのね――


 湧き上がった感情の名は知らない。

 無駄なことばっかり知っているのに、このとき知りたい感情の名は知らなかった。

 怒りでもない。悲しみでもない。なんと言えばいいのか、この気持ち、感情の名は。


 安堵。


 その単語が一番相応しいと、今は知っている。


 この世界に1人だけでなかったという安堵。自分を目指すプレイヤーはいたという安堵。扉を護る死神が無敗であっただけという事実への安堵。死神が自分と同じ境遇にあったという安堵。彼がただ戦うだけのデータでなかったという安堵。


 彼が、自分を護るため、戦ってくれていたという安堵に至っては、もはや幸福と言っても過言でなかった。


【どうした。バグか】

「違う。違うわ。でもそうね、あなたのせいよ。だから、次からイベントが終わったら、私のところに来て頂戴。そうすれば、いずれ治るから」


 そんなバグなんてなかったけれど、これが死神と女神の初めての繋がりで、以降、発展しながら続いている。

 もしもこの繋がりに、永遠が約束されたなら。そう思うと、今でも心が弾むのだ。


  *  *  *  *  *


【プレイヤーらは、わざわざ錬成スキルを取得せねば作成することさえ適わないのだったか】

「面倒よね。プレイヤーって、向こうの世界じゃ自由に技術や知識を得られるって聞いてるけれど、わざわざそんな枷を嵌めて、何が面白いのかしら」


 集めた薬草を液体化するまで煮詰め、掻き混ぜる。

 時間こそ掛かるが、一番簡単な回復薬ポーションはこれを容器に詰め、直射日光の当たらない高温多湿を避けた環境――プレイヤーが気軽に用意できるものとしては、アイテムボックスに一定時間収納しておくことで完成する。


 回復率は、使用者の最大HPを基準に5パーセント程度。

 ダンジョンを潜るプレイヤーには乏しい数値だろうが、消毒薬程度にしか使わない女神からしてみればむしろ多過ぎるくらい。

 それも、充分な数が出来上がった。


 ちなみに容器は、死神と戦う際にプレイヤーらが積もるほど使った、それこそ回復薬ポーションが入っていた容器である。

 本来は消えるのだが、不備バグのせいか、戦闘終了後に残っていた容器を拾っていた。


 勝利のためと何本、何十本と飲み、無理矢理長期戦にしようとしてきたプレイヤーもいたが、そんな者達がが知ったら、どう思うだろうか。

 勝利のためにと飲み捨てた容器に新たな回復薬ポーションが入れられ、それを宿敵たる死神と女神に、しかも日常生活の中で使われているなどと。

 皮肉だろうし、怨みさえ買うかもしれない。


 その怨みさえも首ごと断ち切る死神の手に、今現在握られているのは大剣でなく、回復薬ポーションを作るのに使った、泡にまみれる鍋。

 回復薬ポーションを床の収納スペースに入れ、後片付けをする死神の後姿を、女神はソファに寝転がって逆さまの光景にして見つめていた。


 天地が返っても変わらない。

 例え今ここで敵が襲い掛かってきても、持ってる鍋だけで充分だろうし、鍋すら不要かもしれない。

 負けるはずがない。この背中が、片膝を付いて前傾に曲がる姿勢すら想像付かない。


「ねぇ」

【なんだ】

「呼んでみただけ」

【――そうか】


 だから永遠に続いて欲しい。

 こんな平穏が、ずっと、ずっと。

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