死神と女神 街へ

 ヘヴンズ・タワー麓の森。

 ただいま現在進行形で、なんとも奇妙な――いや、希少な光景があった。


 ヘヴンズ・タワーに君臨する999階層の死神が、そこら辺に落ちていた若干太めの枝に括りつけた糸を湖規模の水たまりへと落とし、釣りをしていたのだ。

 彼に幾度となく返り討ちにされているプレイヤーからしてみれば、想像もできないだろう。


「どう? 釣れた?」

【言うまでもなく、見せるまでもない結果である】

「まぁあなた、その恰好だものね」

【……恰好に、関係があるのか】


 漆黒の甲冑に髑髏の面。

 死神としての威圧感を前面に押し出した意匠が、魚を怯えさせて近付かせないことに、死神は気付いていなかった。

 魚にまで死を予感させるとは、死神としては誇らしいことかもしれないが、今はそれどころではない。


「今晩のおかずが釣れないと困るのですけど?」

【我らに餓死という結末は存在しない】

「それでもお腹は空くし、ずっとこのままなんてイヤだわ」


 この世界において、物を食べるのは外から来たプレイヤーくらい。

 元々この世界の住人であるNPCやモンスターはデータに過ぎず、餓死どころか死という概念さえ存在しない。

 しかし、より人に近しい存在を追求して作られた二つの人工知能には、不要な食事さえ必要と誤認させる食欲と空腹感が存在した。


 特に女神はスコーンを作ったりジャムを作ったりと、食事も調理も好きなようだ。

 故に今晩のおかずにしようと思っていた魚が一向に釣れず、ふてくされている。


「よし。じゃあ、お買い物に行きましょう」

【買い物……金銭と物品のやり取りだな】


 搭載された知識では知っていたものの、今までしたことはない。

 それどころか、街に行ったことすらもない。今まで、わざわざ行く用事がなかったからだ。


「お金はホラ、あなたがイベントで返り討ちにしたプレイヤーが落としていったのあるでしょう? だからお買い物行きましょう。私、一度行ってみたかったの」

【そこまでして、空腹を満たしたいか】

「満たしたいわ。そして今日はお魚が食べたい」

【そうか。では行ってくるがいい】

「何を言ってるの。あなたも行くのよ。女性を一人で行かせる気?」

【汝には護衛など必要なかろう】

「けど荷物持ちは必要なのよ。わかったら支度! はい!」


 何故そこまで行く気満々なのか、理解できない。

 が、こういった状態の彼女には何を言っても意味がないことを知っていたため、渋々立ち上がり、釣り竿の代わりに剣を持ったのだが。


「ちょっと? あなた、どこに行くつもりでいるの?」

【街に行くのであろう。我が姿を見たプレイヤーが、何かのイベントと勘違いして襲って来ないとも限らん。故の装備だ】


 女神は深い吐息を漏らす。

 なんとも妖艶で、異性を魅了すること間違いなしの甘い吐息は、死神には効果がなかった。


「そういえば、ここを出ると言ったら戦う用事しかなかったものね……」


 しかし女神もまた、出掛けても森を散策するか、タワーの最上階で4時間、死神が扉を死守し続けるのを待つしか経験がない。

 だから初めて街に行けるとウキウキしていたのだが、まずはこの堅物死神をどうにかせねばならなかった。


「とりあえず、着替えてみれば? 要はあなたが死神だって、プレイヤーにバレなければいいんだから」

【生憎と、これ以外に持ち合わせているものはない。仮に持ち合わせていたとしても、プレイヤーに隠匿は出来まいて】


 死神も女神も感覚でしか知らないが、プレイヤーはNPCの最低限の情報を指定するだけで知ることが出来、まず最初にわかる情報こそ名前だ。

 まずは名前をこそ隠さなければ、確かに騒ぎは免れまい。


 と、ここで女神は知恵の権能を司るという設定の元、思い付く。


「ねぇ、あなたって霧になれるのよね。そのときって情報……ステータス、だっけ? それって相手に見えるの?」

【否。我が身体は霧と化すことで相手の感知、情報干渉を掻い潜る。また物理攻撃を寄せ付けぬが故、後衛の回復を担う術士を狩るには最適の能力である】

「そうではなくて、霧の状態なら一緒に行けるでしょう? ね?」

【……汝は、我を荷物持ちとして行かせたいのではなかったか】


  *  *  *  *  *


 『Another・Color』

 世界を統べる九つの国はそれぞれ色の名を冠しており、各々の特色を持つ。


 ゲームプレイヤーが最初に入国する始まりの国、ホワイト・フロント。


 世界中のゲームプレイヤー同士が決闘する闘技場コロシアムのある、レッド・フラクション。


 豊かな緑と美しい海が広がるリゾート地、ブルー・アルゴノア。


 数多くのモンスターが生息し、九つの国の中でも最大の広さを誇る、グリーン・ピース。


 多くの遺跡が現存し、宝探しのイベントが多く開かれる古代都市、ゴールド・トレジャー。


 昼と夜とで姿を変え、難易度をも変える生きる国、アメジスト・レムナンス。


 出現モンスターのレベルが高く、難易度も高いダンジョンが多い、ブラック・ゲイザー。


 プレイヤーが学生となって、NPCや他のプレイヤーと交流できる学園のある、イエロー・ブレイヴ。


 そして数多の種族が暮らし、各国の物品が集まる市場、スキンズ・コミュニティ。


 これらの名前はゲームを開発した会社が開発段階で応募して決まったもので、女神と死神が向かったスキンズ・コミュニティは、あらゆる肌色の種族が行き交う場所という意味合いから、その名が選ばれた。


「フフフフン、フフン、フン」


 陽気な鼻歌交じりに、スキップさえしそうな軽快な足取りで歩く女神。

 周囲は彼女が単なる天使のNPCだと思いこそすれ、まさかこの世界にて最強に位置する存在として作られた人工知能とは思うまい。


 付け加えて言えば、その周囲を見えない霧となって、未だ誰も看破し得ない死神が巡遊していることさえ、知る由もないだろう。


 初めての街、初めての市場に興味津々の女神は、初めてのおつかいに出掛ける子供のよう。

 それこそ周囲を漂う死神からしてみれば、『Another・Color』へログインして来るプレイヤーの誰よりも楽しそうに見える。


 そんな彼女が、最初にまず何を買うのかと言えば、死神の甲冑に変わる衣装だった。


「どう? いいセンスしてるでしょ?」

【我に意匠の感想を求められても困る】


 と、試着ルームで死神は渡された意匠を見下ろしながら漏らす。

 試着ルームはプライベートを配慮し、周囲から見られることもないため、このときばかりは姿を晒している――というか、そもそも霧のままでは試着も何もない。


 そして、女神から渡されたのはシャツとズボンという、外の世界では常識であるものの、死神からしてみればとてつもない軽装。

 ましてや戦場にばかりいた頭では、あまりにも戦うのに適してない恰好のため、試着自体の意味さえも考え始めていた。


【我が、これらを着るのか】

「何よ、不満? 外の世界の知識は知ってるつもりだし、あなたに合わせて髑髏の柄にしてあげたのよ?」

【我が髑髏の面は好みではない。創造主らの勝手な都合である】

「まぁ、死神っていう設定だしね。そうだわ! だったらこの際、仮面を変えたらどう? もしくは、素顔を晒すとか」


 その発想は確かになかったものの、死神は唖然となった。

 というのも、仮面を取ったことがなかったし、取る必要もなかったし、ましてや現時点においても取る必要性を感じていなかったからだ。

 そもそも、創造主が仮面のない死神を――つまりは、死神の素顔を構築するプログラムの中に入れているのかさえ、死神は知らなかった。


 そしてだからこそ、女神が本人さえも知らない死神の素顔を見たがっているのだとも、気付けなかった。


「ねぇ」

【……素顔を晒すことには、賛同しかねる】

「どうして? 別にこだわりも何もないんでしょ?」

【固執するものはないが。いつしか、我が敗北した際、素顔が晒されんとも限らん。そうなれば、その後素顔で街に出れなくなるだろう。汝にとって、それは不都合ではないのか】


 女神は、目を丸くする。

 周囲に聞かれまいと抑えてはいたが、とても楽しそうに、また、嬉しそうに笑った。

 何が可笑しいのかと、死神が問うより前に女神が目尻に涙を拭いながら答える。


「嬉しいわ。あなた、また私と一緒に出掛けてくれるの? ありがとうね」


 死神は、言われて気付いた。


 今後、また彼女の我儘に付き合わされて、外出に付き合わされることは確かに想定していた。

 恥ずかしいことではないし、特別指摘されてから恥ずかしくなったこともない。

 が、言われてみて、自然と女神とまた出かけることを想定して考えていることには、不思議と違和感を感じていなかったことに、今更違和感を感じ始めた。


「じゃあ仮面は他のに変えるとして、とりあえずこれ着て頂戴?」

【……やはり軽装に過ぎないか】

「お買い物に甲冑を着る方がおかしいの!」


 結局、その後も着る着ないのやり取りを何回も続けて、死神の意匠が決まったのは、およそ一時間半後のことだったのだが、それが外の世界の平均時間より長いのか短いのかまでは、二つの人工知能の知るところではなかった。

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