仮初の死
VRMMO『Another・Color』。
最初に選択する役職による一定の制限はあるものの、プレイしていくと獲得できる許可証や称号などによっては、九つの国の大半を行き来出来る。
故にどの役職に就いていても、許可証も称号も手に入らず、行くことの出来ないヘヴンズ・タワーの麓の森には、何かあるのではないかと勘繰る者は少なくなかった。
「なんか拍子抜けだな。まるで何もねぇ」
五人パーティで最後尾を歩く弓兵は、モンスターが跋扈する森を想像していたのだが、モンスターどころか獣さえ存在せず、むしろ木漏れ日と木陰の冷暖が心地良く感じられる静寂に不気味ささえ感じていた。
それこそこの世界に最初に送られる村近くの森くらい、害なんて感じられないくらいに静かだった。
「ここに何かあるなんて、とても思えねぇよ」
「まったくだな。これじゃあ、こいつを引っ張り出して来た意味がねぇや」
左右を警戒して歩く右側の男は、筋骨隆々とした肩に担ぐ大剣を指して言う。
禍々しい赤で光る眼玉がグルリと周囲を見渡す獣のような剣――もはや剣の形をした獣が、未だ現れない敵に苛立って、低く唸っていた。
身に着けている鎧といい、かなり気合を入れて来たのは見てわかる。
それは、隣を歩く男にも言えた。
巨大な片手斧と大盾を持ち、盾を持つ右手には装備することであらゆる耐性を得られるブレスレットを可能な限り身に着けている徹底ぶりだ。
それだけの装備を引っ張り出してだけあって、何もないことに若干苛立っている様子である。
「ルイブトン、バクラさんが機嫌悪そうだぜ? 本当に大丈夫か?」
皆を誘い、ここまで率いて来たリーダー、ルイブトン。
その正体は日本でも有数のプロゲーマーであると同時、裏ではゲームとなると歯止めの効かなくなる迷惑ハッカー。
過去三度、別のゲームでアカウントを凍結された経験さえあったが、此度、四度目のハッキングによって侵入したのだった。
彼の装備はもはや、重課金勢と呼ばれるそれ。
ゲーム購入後、運営に追加課金することで強力な装備や武器を手に入れることが出来たり、ペットにするモンスターを手に入れる、いわゆるガチャを行う権利を得たりできるのだが、彼の意匠は課金に課金を重ねた末に辿り着く、現状最強の装備ばかりで飾られていた。
もはや人を辞めた鬼のような異形である。
「日曜の18時から4時間の間しか入れないヘヴンズ・タワー。唯一入れるそのときでさえ、森の中は進入禁止。課金さえすれば行けないところなんてほとんどないこの『Another・Color』で、条件なく入れないのはここだけと言っていい。しかもマップもちゃんとあるし、なんなら警告文さえない。ただのバグにしたって、出来過ぎてるだろ?」
大抵の不法侵入者が勘繰ってしまう理由がそれだ。
進入禁止とされていながら、ハッキング次第で入れてしまう上、その先のマップも確かに存在しているものだから、何かあると思ってしまう。
伝説の武器か。倒すと超レアアイテムが手に入るモンスターの登場か。正体こそわからないものの、何か奥にあるのではないかと思わざるを得ない。
皮肉ながら、未知の探求を求める彼らにとって、入るなと言われる場所ほど入りたくなってしまうのは、必定と言えた。
「ここが隠しダンジョンか何かだとすれば、さっさと入るに越したことはない。最奥まで行った時に化け物がいないとも限らないし、焦らず行こうじゃねぇか」
このとき、彼が想像していたのは獣人のような怪物か。はたまた巨大かつ異形の悪魔か、それとも火を噴くドラゴンか。いずれにせよ、彼の想像はどれも不正解。
前提条件として、最奥に潜むのは化け物ではあるものの、文字通りの獣ではない。イベント発足から一度として負けを知らぬ怪物――死神である。
「おい、グッティ。まだなんの反応もないのか?」
「あぁ、特に何も――」
ふと、声が途切れる。
皆で一斉に振り返ると、今の今まで最後尾を歩いていたはずの弓兵の姿が消えていた。
周囲を見渡してみるが、弓兵どころかなんの生き物の気配さえない。
「おい、グッティ?」
「……ダメだ。ロストしてる。ヤられたな」
「は? なんだ、強制排除か? でも、なんであいつだけ」
「仕方ない。エルメル、マッピングはおまえが代われ。それと周囲の索敵もな」
「わ、わかった。じゃあ――」
今度は、全員が目撃した。
プレイヤーがやられてから、消滅するまでにおよそ二秒フラット。
そのわずかながらに長くすら感じられる時間で、首と胴体が分かれている仲間の姿を見てしまった。
ただのゲームのバグではない。
確実に、何かが自分達を仕留めに来ていることを察する。
剣と戦斧を持っていた二人は、すかさず構えていた。
今までの経験と持ち合わせているスキルを駆使して、自分達を狙う敵を探す。
索敵スキルでは先にやられた二人の方が長けていたが、今はそんなことを言っている場合ではない。気を抜いた一瞬で、首を両断されかねない。
「おい、バクラ。おまえ、即死耐性はちゃんと付けてあるんだろうな」
「もちろんだ。全属性防御力アップに、状態異常耐性に精神汚染耐性もある。俺が持ちこたえた隙におまえがっ――」
「バク――!」
持ちこたえる、などもはや論外。
即死の特殊攻撃ではない。純粋な一撃で、重ねた防御さえも貫通し、叩き斬った。
さらに側にいた大剣をも砕き、頭蓋を粉砕する一撃にて屠ったそれの姿を、四人の仲間を代償にようやく見据えた。
「なん、で……なんでここに、あの塔の死神がいやがる!!!」
【何故、と問うか。汝にはあの塔が見えぬのか。我があの塔にて番人である死神と知りながら、その問いが出ることに些か疑問が生じるが――我が問いを返したところで欲する返答が来る期待も空しい。即座、斬って捨てるとしよう】
「ま、待て待て、待て!!!」
死神がいることは想定外だったが、所詮はNPC。
運営の管理するパソコンがプレイヤーの言動から計算し、動かす計算式の回答の具現。
ダンジョン深層のラスボスでもあるまいし、こちらが退散する姿勢さえ見せれば、追ってはこないはず――
【待つとどうなるというのだ】
そう考えていたから驚かされる。
逃がす素振りも隙もない。今にも斬りかかって来そうでさえある。
彼の読みは、確かに普通のNPCならば通じただろう。
が、生憎と死神を動かすのは、運営の操作する大容量のパソコンではない。
日本中のスーパーコンピューターを何台と導入して作り上げた、世界有数の人工知能。もはや『Another・Color』という電脳世界に住む人間である。
そんなことをただのゲーマーで、日本国内で治まる迷惑ハッカーが知る由もなく、死神が一歩踏み出して、彼は酷く怖気づいた。
が、すぐに武器を構える。
龍殺しに悪魔殺しに神殺し――家一件が買えるほどの大金をつぎ込んで買った最高攻撃力を誇る剣に、データをイジって本来あり得ない数にまで重ねて付与した、異形殺しの特攻効果。
普段イベントに参加するときは運営に見つからないようにと隠していたが、どうせ凍結されるなら、もはや隠す意味はない。
「待つと、こういうのが出て来るのさ!!! そこらのブランド時計が変える値段課金して手に入れた、魔剣ダーイン・ブレイヴ! 998階層、つまりおまえの手前までなら一撃で進めるだろうぜ! さすがのおまえも三回、いや、五回斬れば――」
【まだ、待てというのか】
思わず口ごもって、そのまま黙ってしまった。
今までNPCに会話を遮られたことなどなかったし、ましてや、死神の声など初めてまともに聞いたから驚かされた。
【これ以上待って、次は何が出る。聞くところ魔法の詠唱でもなし、己が財力を誇りたいだけであるのなら、
髑髏の面の下、赤い眼光が鋭く光る。
確かに死神相手に虚勢など張るだけ無意味だったが、いざそれを指摘されると腹が立つ。
さらに言えば、彼は死神を単なるNPCとして見ていたため、たかがNPCに指図されていることに、猶更腹を立てていた。
「死にやがれ、この野郎!!!」
【この世界に、完全なる死は存在せず。されど我はこの世界における死神なれば――】
漆黒の甲冑を身にまとった死神。
一見。その姿は鈍重な印象さえあるものの、剣だけでなく、自身の速度さえデータをイジっていた彼が剣を振り下ろした先に、すでに死神はいなかった。
背筋に悪寒を感じさせる冷気が、厚い装甲の下を通って肌を撫でる。
全身鳥肌が立って、冷気の通過した背後に振り返ると、死神が振るう漆黒の大剣が見えて、咄嗟に剣で受けた。
が、片腕で振られているというのに一撃が重過ぎて、そこからまったく動けない。
【死神として、この世界における死を与えん】
大量の課金をして、不正行為も重ねて作った最強の剣。
だが死神の剣に押しつぶされ、亀裂を入れられ、徐々に刃が迫って来る。が、力を抜けば一瞬で両断されるだけ。耐えるしかなかったが、耐えても誰も助けになど来ない。
もはや、完全に詰んでいた。
【汝の世界にて、財力が如何なる権力の象徴かは知る術を持たぬ。されどここは汝らの世界とは理の異なる世界、『Another・Color』。この世界に身を投じたならば、この世界の理に従って力を示せ】
「ふざけっ……!!!」
反論の余裕さえない。
ただ早いか遅いかだけの話なのに、力を緩めることさえ許されない。
財産とハッカ-としての実力と、ゲーマーとしての力を結集させて作り上げた剣を徐々に斬られながら、迫り来る刃にただ怯えるばかり。
死神の赤い眼光が告げてくる。
すでに逃げ場も術もないと。
「しっにがっみぃぃぃ!!! 憶えてろ?! 次こそは必ず――!」
【次はない――この領域に入った者は、入って以降の記憶を消去される。術は知らぬが、創造主らは盟約を破らぬ。我を攻略したくば、塔を登ることだ】
すでに彼の姿はなく、遅れて砕けて折れた剣も消える。
次はない、以降の台詞は彼に聞こえてなかったろうが、それでも言わずにいられなかったのは、何故だろうか。
何故記憶も残らない相手に、塔を登れなどと言ったのか。死神は自身に回答を求めるが、答えは出ない。
男は、何やら多大な財を掛けて、より強い武器を手に入れたような言い方をしていたが、死神には、そこまでしてこの世界を攻略しようなどと考える頭がわからなかった。
この世界は彼らにとって、あくまで娯楽のための仮初。この世界を出れば、彼らにとっての現実と呼ぶべき生活があるはず。
なのにどうして、現実を捨てるようなことをしてまで、彼らは異世界の踏破、攻略に熱を注ぐのか。現実を生きるための糧を放棄するような真似をするのか、理解できない。
そんなことを問うたところで、果たしてまともな答えが返って来るのか。男を見ると、甚だ疑問であった。
この世界で死んだとしても、それは仮初の死。何度でも復活し、再来出来るというのに――何故、現実を捨てるような真似をするのか。
娯楽に何故、そこまで命を懸けるのか。
【死神が、何を考えているのだろうな】
視線を感じて振り返る。
視線の正体はわかっているのだが、振り返らざるにはいられない。
一週間のうちのたった4時間の間だけだが、その間に向けられる視線のすべては敵だから、つい過敏に反応してしまうことを、死神は悪い癖だと自覚していた。
帰ったら、私を敵だと思ったでしょなどと、笑って迎える女神の顔を思い浮かべながら、死神は小屋への帰路へ着く。
せめてこれからイベントまでの間は静寂であれと、祈りを籠めながら。
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