第14話 母の入院
私の少年野球チームの監督の弟さんが弁護士をやっていたので、弁護士に相談しに母と兄と私で行った。
兄は、あまり母から説明をされていなかったのか、私から説明をした。
弁護士さんは、
「とりあえず、あかりさんが退院できるように安心できるように新しい家を見つけてから、父の罪について考えていきましょう。」
と言われ、兄が、とりあえずウイークリーマンションを3月いっぱいまで借りることになった。
主治医のM先生と話し、
私は、2月21日に退院する予定だった。
しかし、兄が母の異変を感じていた。私自身も母が躁状態で、夜寝れていないときいていたので、「私の退院どころじゃないな。」と思いました。
そして、2月17日、母が精神科に受診して、母も入院することになった。
私は、「やっぱりそうなるだろうな。」と思っていたが、本当に入院が必要になるほどになるになったと聞くと、私は心配で仕方がなかった。
入院中は、仲間ができた。家族と会えない分私は、本当の家族のように接していた。患者同士だったが、みんなで頑張ろうという気持ちがみんな強く、私が泣いていると、
「泣いていいよ。泣けなけ。泣けば後は、這い上がっていくだけなんだから。」
と、ママと同じ年のゆきちゃんが言ってきてくれた。
YouTub で泣ける動画をみながら、ゆきちゃんと号泣したのを覚えている。
もう一人、仲間がいた。それは、お兄ちゃんと同い年のるなちゃん。いつも手をつないで廊下をあるいていた。
母の様子は、悪化し、次の日には違う病棟に変わってしまった。
そして、電気の治療を行うことになった。
電気治療は、辛い記憶を飛ばすというような治療らしい。
私は、これからどうなるかがほんとに心配で心配で仕方がなかった。
毎晩、泣く日が続いた。
ある日、私は、今までの楽しいかったことがなくなってしまうのだ、もう家族が戻ることはないのだと思うと絶望感で、自傷行為をしてしまった。
首にタオルを巻くという。
看護師さんに止められ、眠くなる注射を打たれた。眠くなって寝てしまった。
その後も、首がギューッと絞めつけられるような症状があり、自傷行為をしてしまった。この首が絞めつけられる症状は、解離性障害の症状だと看護師さんから言われた。
一番大好きな看護師さんOさんは、
「もう自分を傷つけたりするのはやめましょう。もっといい方法があるはず。一緒に探していこう。」
と、いってくれました。
その後は、自分なりに考えて、
ノート書いて、看護師さんに見せること
が一番効果的なのではないかと思い、ノートを書いていた。
毎晩、夜泣いていた。
私は、家族をバラバラにした父への怒り、母をこんなふうにした怒りもノートに書いて、看護師さんに見せた。
看護師さんたちは、やさしく
「受け止めました。」
と、ノートを読んでから、言ってくれました。
私は、看護師さんたちの助言でどれだけ助けられたか、感謝しきれません。
看護師さんたちにノートを介して感情をぶつけることしかできなかった。
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