第2話 私が小学校の頃 父の性格

 私は、小学校の頃、父から、胸を触られたり、股を触られたりしていた。

私は、小学校の頃から、性欲があったからか、あまり抵抗はなかった。これは、日常茶飯事で、私は普通のことだと思っていた。

  

 私は、小学校1年生から野球、小学校2年生から茶道をしていました。

野球は、少年野球チームで、男の子と混ざってやっていた。

チームは台東区で優勝した経験もある。全国大会にも出場した。実は、アメトークという番組にもでたことがあって、運動神経悪い芸人の方々と野球をしたことがある。とても楽しかった。本当に楽しかった。

 半面、父から、胸を触られたりすること、股を触られることは小学校高学年ごろからあった。パソコンでエッチなビデオをみながら、触られていた記憶がある。


父は昔から、怒りっぽく、何か自分に都合の悪い話があると自分を正当化する。

それは、私が、悪いことしたときには必ずと言っていいほど、往復ビンタをされていた。顔のほうがジンジンしてその痛みは、今でも覚えている。


 小学校の時のエピソードは、駐車場で石を上に投げていた高学年の先輩の野球の男の子がいて、それを真似して、上に向かって石を投げたら、案の定、車のフロントガラスを割ってしまった。その夜、私が薄情をして、父に打ち明けると、往復ビンタをしてきた。それはしつけを超えていた。痛みは今でも覚えている。

 何年か後にも私は、石を蹴って遊んでいたら、車の底に当たってしまった。それを打ち明けてもやはり、往復 ビンタをされてしまった。一緒に誤りに行くことになり、一緒に行ったところ、車の底だと知ると「帰ろう。」と言って、帰りにコンビニでお菓子をひとつ買ってくれた。あんなにおこっていたのにどうして買ってくれるのだろうとその時は不思議でならなかった。


 私が小学4年生の時の夏休み。私は、塾に通っていたが、塾代がもったいないと、元古典の先生をやっていた父が、全部勉強を見てくれることになった。そして、私の地獄の日々が始まった。

 夏休みは、野球の朝練習があった。終わってから、父が家で二人っきりで教えてもらっていた。部屋のドアをしめ、指導が始まる。できないところがあると必ず、怒ってきて、平手打ち、ぐーで殴ることもあった。覚えている。

 覚えているエピソードは、私が、鶴亀算ができなかった時、

「どうしてこんなのもわからないんだ!」

と、なぐりつけるように言葉を発してきた。

 怒りすぎて、何度もペンをなげられたことがある。わたしは、怖くて、内容が全く入ってこなかった覚えがある。私は、泣いた。

「どこがわからないのかがわからない。」

と、いつも口癖のようにいっていた。

結局、塾にいくことになって、泣いた顔を先生に見られ、

「泣いたでしょ?」

「いえ、ただのあくびです。」

と、私は答えたが、先生は見逃さなかった。

「話を聞くから、座って。」

と、言われ私は涙が止まらなかった。その時に鶴亀算で父に怒られたと先生に言ったが、

「じゃあ、ここを中心に頑張ってやっていこう。」

という話で、父についてはなにも触れなかった。


小学生で、往復ビンタ、平手打ち、ぐーで殴られるのは、恐怖しかなかった。


高学年ごろから父は、辞職し、骨董店を始めた。

父の生活は、教師のころとは一変し、昼間で寝て、午後は店で仕事しているといいながら、たばこを吸ったり、パソコンでゲームをしていた。


野球の顔、外の顔は、いいお父さん。家の中では、たばこを吸う、晩酌をするようになってしまった。表の顔と裏の顔との差は、本当に感心するほどだった。


父と友達の家に行って遊ぶことがあった。帰ってきてから父は、

「あの子のお父さん、Tちゃん(娘)の胸をもみ放題だって言ってたよ。」

と言われ、私は、やられることは普通のことなんだと思っていました。

「私だけじゃないんだ。」あの子もやられてるのかと。

 

ここでも父が洗脳してきていると今思うと考えられる。




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