第八話
声がかかると、二人は身構えた・・・・というのは正確じゃないな。
構えたのは、チャールズ君の方だけだった。
雲居は両手をだらりと脇に下げ、足を肩幅くらいに開いて、立っているだけである。
俺は空手は全く経験がないので、彼の構えがどんなものか分からないが、右足を前に、左足を後ろに引いて立ち、右の拳を縦拳にして真っすぐに構え、左拳は水平にし、脇に付けている。
しばらくは何も起こらなかった。
しかし俺には分かった。
”ああ、もう勝負は決まったな”
(別に黒澤明を気取った訳じゃない。本当にそう思ったんだ)
チャールズ君は全身が緊張しまくっている。
構えを取りながら、目を大きく見開き、甲高い叫び声をあげた。
本人は気合か威嚇のつもりだったんだろうが、雲居は微動だにしない。
最初に仕掛けたのもチャールズ君の方だった。
一旦後ろに下がり、それからすぐに間合いを詰め、いきなり前蹴りを放った。
だが、雲居はそれを軽く、本当に軽くかわす。
左右の正拳、膝蹴りと次々に攻撃を繰り返すが、彼はかわし続けるばかりで、自分から攻撃を仕掛けようとは全くしない。
一分ほどの間、同じことの繰り返しだ。
道着姿の人間の内、空手衣を着た観衆の中から、お世辞にも上品とは言えない野次が飛んだ。
しかし雲居は全く動じることなく、相変わらず肩をだらりと下げ、最初の姿勢を維持し続けている。
チャールズ君の呼吸が荒くなった。
彼の緊張は恐らくMAXに達しているんだろう。
『次だな・・・・』俺が呟くと、隣にいたマーガレットが、
『えっ?』と声を上げた。。
額の汗を飛び散らせながら、チャールズ君は畳を鳴らして飛んだ。
雲居はかわさなかった。
チャールズ君が長い右脚を高く上げて踵落としに来た瞬間、一気に間を詰め、一本足になった左脚を内側からかけ、開いた右の掌で後ろに押しながら、脚を払った。
チャールズ君は背中から見事に畳の上に落ち、痛さに顔を歪め、立ち上がろうとした時、直角に雲居の肘が彼の
チャールズ君は、壊れたトランペットのような呻き声をあげるが、彼も中々のものだ。
無理をして立ち上がりかけ、雲居につかみかかろうとする。
だが、彼の手が雲居の道衣にかかる一瞬の内、身体をねじる。
と、チャールズ君の巨体が宙を飛んだ。
(大袈裟な表現じゃない。本当に飛んだのだ)
彼は再び物凄い音を立てて、畳の上に落下した。
なおも立ち上がろうとするが、受け身を知らなかったのだろう。
どうやら後頭部を派手にぶつけたらしい。
酔っ払ったようにふらふらになり、そのまま膝をつき、両腕で身体を支え、畳の上に突っ伏した。
『それまで、それまで!』
ワイシャツ姿の柔道部顧問と、空手衣姿の二人の立会人が同時に声を上げた。
道場の中はたちまち歓声が沸き上がる。
雲居はまだ突っ伏しているチャールズ君、そして立ち合い人二人、最後に正面に深々と礼をした。
すると、チャールズ君は仲間に助けられながら、腹を押さえて立ち上がった。
再び道場が緊張に包まれたが、彼は肩で荒い息をしながら雲居の元に歩み寄ると、彼の目を見ながら礼をし、その手を握りしめ、何事か早口の英語で話し掛けた。
『私の負けです。コブドウは素晴らしい。彼はそう言ったんです』
マーガレットが感激を抑えきれない。という表情で俺に説明をしてくれた。
続けて彼女は、まるで乙女のように目を輝かせ、今度は日本語でこう付け加えた。
『やっぱり・・・・あの人は”ミヤモト・ムサシ”です』
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