第六話
本当ならこれで終わりでもよかった。
”分かりました。じゃあこれで”そう言って帰り、依頼人である彼女には、
”折角ですが断られました。悪しからず”
それでも何の問題もないだろう。
だが、俺だって子供の使いで来た訳じゃない。
これでも免許持ちの、プロの探偵だ。
金が発生している以上、やらずぶったくりみたいな下衆な真似は職業倫理にもとる。
『その信念は立派だ。俺だって敬服する。だがな、一度くらい依頼人に逢ってやってくれないか。逢って話を聞いて、断るなら本人に直接断わったらどうだね。それくらいしてやっても、罰は当たるまい』
雲居はコーヒーを飲み干し、半眼を閉じて腕を組み、考え込んだ。
しかし結論を出すのに、さほどの時間はかからなかった。
『分かりました。それじゃ彼女に伝えてください。来週の土曜、午後三時にこの町の武道館に来てください。そこで返事をします。と』
『何があるんだね?』
だが、彼はそれには答えない。ただ
『来れば分かりますよ』
そう答えただけだった。
狐につままれたような答えだったが、曲がりなりにも彼も元自衛官だ。
俺は同じ釜のメシを喰った人間の言葉は、信じるに足ると確信している。
『分かった。そう伝えよう。ついでだが、俺も同行しても構わんかね?』
『ええ、是非』
彼は鼻の下をこすり、にやりと笑って見せた。
正確に一週間後、俺は彼女を連れて、その町にやってきた。
小さな町だったので、駅員に訊ねると、武道館の場所は直ぐに教えてくれた。
『今日は何か特別な行事でもあるんですか?』
そう訊いても、
『さあ、何かあったかなぁ?』と、とぼけたような答えが返って来るのみだった。
駅前にタクシーが二・三台停車している。
女連れだったので、タクシーで行こうかとも考えたが、マーガレットは、
『いえ、大丈夫です。私、歩くの得意ですから』と返された。
流石に柔道参段、生半可ではない。
途中で二度ほど住民に道を聴いたが、場所は直ぐに分かった。
町の西の外れ、コンビニ(というよりよろず屋に近い)と、農協と郵便局の並んだ交差点の真向かいに、日本武道館を小型にしたような外観の建物があった。
ここがこの町の『武道館』らしい。
中に入ろうとすると、何だか妙に騒がしい。
聞いたところによると、畳敷きの柔道場と、板敷きの剣道場があり、彼は今日柔道場の方にいるという。
俺達二人は人垣をよけながら中へと入ってみる。
沓脱で靴を脱いで上がり込む。
人垣はどうやら柔道場の方に集中しているようだ。
俺が一歩中に踏み込もうとすると、マーガレットが俺の袖を引く。
彼女が何を言わんとしているか、俺にも分かった。
武道をやっていた身としては、いささか失格だな。
立ち止まって入り口で礼をする。
しかしそこにも人垣は出来ていた。
ようやく中に入ると、そこは百畳ほどの広さの道場で、周囲を観覧席が取り囲んでいて、正面には馬鹿でかい日章旗が掲げられている、一段高い師範席のような場所が設けられてあった。
観覧席も、畳の端の方も一杯で、そこには道着を着たり、私服姿の観客が大勢正座をしていた。
しかし、道場の中央に向かい合っていたのは二人きり。
一人は白い空手衣に黒帯を締めた背の高い金髪の白人。
そして彼と対峙していたのが、
”ミヤモト・ムサシ”こと、
雲居忠臣だった。
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