第肆話

 その町は東京都下とはいえ、比較的まだ豊かな自然が残る牧歌的な雰囲気が漂っていた。

 駅舎は流石にコンクリート造りではあったが、昔の木造の味わいを残していて、しかも驚いたことに無人駅ではなかった。


 俺は駅舎の前で箒をかけていた、人の好さそうな駅員に”ミヤモト・ムサシ”氏の写真を見せて訊ねると、直ぐに教えてくれた。


『ああ、先生の治療院ですね。ここいらじゃ知らない人間はいませんよ。ここを右にまっすぐ行くと川沿いの土手に出ますから、そこの道を西に向かって、最初に見えた橋を渡って、そこを30分ほど歩くと、直ぐに分かりますよ。』と、親切丁寧に教えてくれた。


 彼に礼を言って歩き出す。


”タクシーでも行けますよ”と付け加えてくれたが、こんな春先のいい陽気の日は、暢気に歩いてみるのも悪くはない。


 コートを脱ぎ、肩にかける。


 もう冬物の時期じゃないんだな。そう思って空を見上げると、雲がゆっくりと流れて行くのが見え、青空が全体に広がっていた。


 こうみえても俺は人よりも歩く速度は早いんだ。

 

 程なくして、目的の家が見えてきた。


 畑に囲まれた中にその家はあった。


 軒の低い、がっしりした、昔風の瓦屋根の家である。


 家のすぐ隣は丘のような山になっていて、成程、駅員が言ったようにこれが目印になっているから直ぐに分かった。


 立派な門の左側には、

『雲居』と書かれた表札があり、


 右側には、

『雲居治療院』という筆文字の看板が掛けられてあった。


 門は大きく開け放たれてあり、中を覗いてみると、玄関に何足かの靴が並べて脱いであった。


 遠慮なく俺は中に入る。


 そこは待合室のようになっていて、十二畳ほどの広間に絨毯がひいてあり、幾人かの老人と子供が、大きな火鉢を真ん中に何やら会話をしながら待っていた。


 俺の姿を見ると、みんな一斉に愛想よく頭を下げる。


 それにつられて俺も頭を下げ、空いている座布団に胡坐をかいて座った。


『山田さん、山田さん、どうぞ』


 奥から白い割烹着を着た若い女性が顔を出し、部屋を見渡すと、腰の曲がった70歳ほどの老婦人(老婆と書きたいところだが、自主規制だ。悪しからず)が腰をさすりながら立ち上がる。


『あの、すみません』割烹着の女性が老女の背中を支えるようにして奥に連れて行こうとした時、俺は立ち上がって声をかけた。


『初診の方ですか?済みません。もうしばらくお待ちになって下さい。』

『いえ、そうじゃないんです。実は・・・・』


 俺は認可証ライセンスとバッジを見せ、訪問の主旨について話す。

『ああ、先生に御用ですね。でもこの通りですから、いずれにしてもお待ち頂くことになりますが』


 俺がまた座りなおすと、隣にいた六十代半ばと思われる男性が、火鉢にかかっていた薬缶を取り上げ、盆の上の湯飲みに、茶を注いで出してくれた。


”ここの先生は医者より信用できますよ”とか、

”お世辞にも愛想は良くないが、腕は天下逸品です”

などと、まるで昔の時代劇の一場面のような口調で話し掛けてくる。

 俺は茶を啜りながら、のんびりとした気分で順番を待っていた。


 やがて俺以外の患者が全部治療を済ませて帰った後、さっきの割烹着姿の女性が再び顔を出し、

『お待たせしました。先生がお会いになるそうです』


 と、俺の前に膝をついて丁寧に頭を下げて言った。





 


 

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