正義の味方② 2話

 はたして図書室という空間の居心地の悪さよ。単に慣れていないせいか、静かに図書室の扉を開いて体を滑り込ませた姿はさながらジェームズ・ボンド。だなんて楽観的な思考でいないと、放課後の閑散とした世界に呼吸音でさえ発してはいけないような空気に耐えられない。しかも、今は誰もいないが、いずれ訪れるかもしれぬ存在を思うと動悸が激しくなって倒れそうだ。というか今気付いたがあの子と会えたとて何をすればお見知り置きになれるのだろうか。今更になって気付き、一気に途方に暮れた。とりあえず、適当な席に座るか。と、入口から離れた机に鞄を置き、音を立てないように静かに椅子を引いて座った。

「(とりあえず復習でもするか…)」

 小さくため息をつき、返ってきた忌々しい解答用紙と問題集を机に並べた。

 

 予想外に集中していたらしい。男子の大きな笑い声でペンを止め、時計を見たら図書室に来た時間より三十分ほど経っていた。今度は息を長く吐き、伸びをした。しかし話し声煩いな、場所をわきまえない男はモテないぞ。軽く自然に周りを見渡すと、離れた席にちらほら本やら鞄やら教科書などが転々と置かれていて、なるほど確かに図書室で自習する生徒は多いのだな、と思うと同時にあの子の姿を探す。が、そう上手くはいかない。集中が切れてしまったので折角だし小説でも探すか、と思い椅子を動かすと背後から「わっ」と少し驚いた声が小さく聞こえた。この声は、

「す、すみません、ちょっと驚いただけで…」

「あああいや、こっちこそいきなり動いたから、ごめん」

 待ちわびた姿なのにお腹が痛くなってきた。何故だ。緊張しすぎだろ俺。

 中途半端に椅子を斜めに倒したまま半ば反射的に返事をすると頭ひとつ分くらい低い位置にある丸い天使の輪っかが数歩動いて、邪魔してごめんなさいと髪を揺らした。最近暑いせいか、肌触りの良さそうな長い髪を高い位置で結って揺れるのがなんとも愛らしい。これは持論だが、美少女はポニテにセーラー服に限る。ってうわ変態か俺は。

 椅子を机の下にしまうと、思わず頭を抱えてため息を着いてしまった。無意識な行動だがあの子には重大なポーズに見えたらしく、はわわと少々間抜けな声が聞こえたと同時に下を向く俺の肩に何かが触れた。

「…はい?」

 俺の反射は役に立たないようだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 さらりと髪がまた、揺れる。

 じわじわと熱が頭にのぼってきてやっと己の立場に気付き、その時はもう声も出なくなっていた。

「どこか具合悪いですか?保健室とか…」

「あ、いや、」

 無理矢理口を開くと、また喧しい笑い声の後にカシャン、と軽いものが複数落ちた音がした。ぱっと音の鳴った方へ向くとさっきの奴等が誰かのペンケースを落としたらしく、落としたことについても笑っていた。なんだコイツら、幼稚園児か?ペンケースの持ち主は女子だろうか、淡い水色のペンや幼女向けキャラクターが描かれた消しゴムに蛍光マーカーが散らばっている。勿論落とした奴等は拾う気配すらない。けたけた何がおかしいのか、止まらない笑いに悶えるように机にもたれかかっていた奴の足が水色のペンに影を落とし、

「あ」

 パキ、と乾いた音に被さるように背後から怯えたような声が聞こえた。咄嗟に振り返ると、口元に手を当てたあの子が若干顔色を悪くして、気のせいか瞳も揺れていた。今度こそ役に立て俺の反射よ。

「随分楽しそうだな」

「は?なに?」

 大股で数歩、ひれ伏すみたいで癪だが、しゃがみ込んでペンケースから飛び出したもの達を拾い、最後ににっこり、顔を上げた。

「それ、返してくれる?」

 そんなにおどろしい顔をしていたのか、一瞬不意打ちを食らったような表情をして、

「これ、あんたの?」

「違うけど」

 椅子に座っていた奴が頬杖をついてニヤニヤと気持ち悪い笑い方をした。

「気持ち悪、あ」

「なに??」

「ごめん素直に言いそうになって」

 イライラと眉間のシワが物語っている。両者笑みを引っ込めて睨み返しあう。俺は苛立ち以上の感情が湧き上がってきて、口を開こうとすると、小さな影が立ち塞がった。

「はい、終わりです」

 その場の誰もがぽかんとあっけに取られたであろう。ふわふわと柔らかな声が凛と淀みかけた空気を奪い去った。

「それわたしのです。拾ってくださりありがとうございます」

 先程わたわたと慌てていたはずの姿はどこへやら。しゃがんでいる俺と目線をあわせるためにあの子もしゃがみペンケースの中身を握っている俺の手を両手で包み込みながら、騒いでいた奴等をひとりひとり眺めるように視線をなぞる。

「邪魔なところに置いてごめんなさい、片付けるので足、退けてもらえますか?」

 にっこり。逆らってはいけない本能のような何かが疼く。す、と足が退くと俺の手から両手を離し粉々になった水色のペンを拾い始めたため、俺もハッとなり続いて細かい破片を拾う。水が充ちた海の底のようだ。こんなに近くに居るのは球技大会以来。横に垂らした髪で表情が見えない。世界で二人きりのようで、近くて遠い。そんな感じだ。

 気付けば、騒いでいた奴等は戻ってきた司書さんに怒られて居なくなっていた。他の生徒が司書さんに報告したらしいが、その辺はあまり記憶が無い。やっと望んだ機会。鞄に教科書等をしまう横顔を横目で見ると、ようやく顔が見えた。思わず指が伸びる。

「…あのペン、お気に入りだったんだね」

 言われなくてもわかる。破片を高級そうなハンカチで包んでいた。水滴が零れそうな目尻をそっとなぞる。

「べっ別にあれは百均で適当に買ったやつでしてそんな大切とかでは」

 一度目をぎゅっと瞑ってから首をぶんぶん振って否定をする姿にぎゅっと胸が痛む。

「適当に買ったやつでも大切なものはあるよ。俺なんか百均で買ったシャーペン中学の時から愛用してるし」

 また目をぎゅっと瞑る。まるで、そうしていないと何かが零れそうになるみたいに。

 するすると鍵を開けたように今までとは全く別人のように凪いで落ち着いて話が出来るのは何故か。この子が、とても愛しいから。

 今ひとつ、素晴らしい提案が浮かんだ。しかし口に出していいものだろうか。突然馴れ馴れしくないだろうか。心はまださっきまでと変わらずどきどきと早鐘を打っている。これを言ったら、確実に何かが変わるかもしれない。でも、もしかしたら離れてしまうかもしれない。憧れは憧れのままで。変わるくらいなら物言わぬ群れの中から眺めているのがいいかもしれない。でも、でも。

「っあのさ、」

 変わることを恐れては、いけないと思った。

「駅前の文房具屋、行ったことある?」

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