行方不明になった毛根
「すまん。遅くなった! 土産があるから勘弁してくれ」
帰宅すると、部屋がすっかり片付いていた。散らかっていた洋服も選択され、ベランダに干されている。床には掃除機が当てられ、テーブルの上も整理されているではないか。
華撫がやってくれたに違いない。
「世話をかけたな」
ところが、当の華撫は俺の帰宅に気づいてないらしく、ずっとTVにかじりついていた。
なかなか帰ってこなかったのを怒っているのかも、と考えたが、違うみたいだ。
華撫が見ているのは、VHSのビデオである。
ハードディスクレコーダーは、古いメディアも見られるタイプなのだ。
「ああ、見つけちまったのか」
スピーカーからは、懐かしい歌声が。
高林 健のヴォーカルだった。
オレはリードギターで、健はサイドギター兼ヴォーカル。
深歌がベースを担当している。
煮込みの入った容器を開けて、オレはドラムを指さした。
「このドラムのアフロな、稲垣ってんだ。今、こいつの髪はすっかりなくなっている」
スマホの画像を華撫に見せてやる。
ようやく、華撫がプッと吹き出した。
「コイツな、ライブハウスを経営してるんだ。経営難で潰れかけていたのをオレが買い取って、コイツが経営している」
「どうして、そこまでするの?」
「オレらが始めて、人前で演奏した店だったからだ」
オレは華撫の隣であぐらを掻いた。
華撫に聞かれているわけでもなく、一人で話を始める。
二〇年前の頃だ。高校生だったオレたちのバンドは、メチャクチャながらも実力はあったように思う。
「オレたちの演奏で、オーディエンスは盛り上がっていたし、長く続けていたおかげでファンもついた」
学生時代に、とあるレディースのバンドと対バンした。ヒートアップしすぎて店が火事になり、レディースのリーダーが取り残されてしまう。
稲垣は単身、水を全身に被って救助へ向かったのである。
「女性は幸い助かったが、毛根が行方不明になっちまったんだ」
助かった女性こそ、稲垣の奥さんだ。
「スマホの写真だと、想像もつかないわね」
華撫が、オレのスマホを眺めながら、牛スジをつまむ。
「いい話だわ」
涙が出るほどだった華撫の笑みが、優しい笑顔へと変わる。
「ところが、そうでもなかった」
プロデビューの話が来て、健だけが引き抜かれるって話が出た。
「そのとき、オレと深歌が一緒じゃないと契約しない健がってボイコット始めた」
おかげで、オレもプロとしてデビューできる運びになった。
なのに今度は、健の結婚話が持ち上がる。
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