僕と彼女の肝試し

剣とペン

冷たい夏

「ねぇ、肝試し、行かない?」


 ある夏の暑い夜、僕は森の中へと誘われ、入り口の前で立っていた。


深夜零時。周りの住民はとうに寝静まっている時間帯である。


 寒気かんきがひっきりなしに肌に染み込み、非常に冷たい。時間が時間なので辺りも黒く染まり、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。


今日は待ちに待った夏休みで、仲の良い彼女と田舎に遊びにきていた。僕はホラー系統の催しが基本的に好きだ。だから本来、そういうことは大歓迎なのだが。

 

「……いいけど、どうして?」


 彼女はお化けなど、そういう類いのものが苦手だった筈だ。


 そう、あれは中学校の頃。


 仲良くなった彼女に肝試しに誘ったら大泣きして、自分の母にしがみついていたのがよい思い出である。


まるで別人だ。


 どういう心境の変化なのか知らないが、ホラー好きの僕からすれば克服してくれたのかと、感慨深いものがある。


「そう、それじゃ、行きましょう」


 彼女は笑顔で答えると、僕の手を鷲掴みにし、暗闇の森へと向かおうとする。


「ちょ、いきなり手を引っ張らないでくれよ」


「あら、ごめんなさい。早く行きたくって」


 ……今日の彼女は、なんだかおかしい。いつもはこんなに積極的ではない。基本的に内向的で、家で過ごすタイプだ。


 今日、泊まりにくるというから、家での遊びを準備しておいたというのに。


 僕のために、合わせてくれているのだろうか。いや、余計なことは考えないようにしよう。折角、気を使ってくれているのに申し訳ない。


 僕は彼女に疑念と喜びを感じつつ、闇の中へと歩を進めた。


森の中は、まさに暗黒と形容するに相応しかった。かろうじて見えるのは、自身の手の届く範囲くらいだ。


それもそのはず、全く手入れがされていない。木々が無造作に生え、カーテンのように光を遮断している。これでは日中でも暗いだろう。


その上、土も水捌けが悪く、水っぽい。油断すると足を滑らせて転んでしまいそうだ。


 何故こんなことになっているのかというと、この森で一人の女性が自殺した、という大変不吉極まりない噂が世間に広まったからである。


 噂が本当かどうかは定かではない。ただ、それによってここがかなり有名な心霊スポットになったのは事実だ。


しかしこの場所、ホラー以外の無駄な要素が多すぎる。かなり危険な要素が満載なのだ。もう夜も遅い。今日はここでお開きにして、帰ろう。


「なぁ、やっぱり肝試しはやめにして、帰ろう」


 ここまで暗いと、肝試しどころの問題ではない。足下がよく見えないから転倒する危険があるし、クマなどの動物が出てくる可能性もある。


 何より、今回は寝ているときにいきなり呼び出されたものだから、必須ともいえる懐中電灯を持ってきていないのだ。


 ここは電波の届かない圏外だ。帰り道が分からなくなったら、助けを求めることもできないんだぞ。


……あと眠いし。


「あら、怯えてるの? なら先に帰ってもいいのよ」


 彼女はこちらを馬鹿にしたような目で煽り文句を並べてくる。なるほど、面白い。そんなことを口にするなんてな。僕が引き下がれるものか。


「いや、前言撤回だ。僕もついていく」


「あなたならそう言うと思ってたわ」


彼女は長い髪を手で後ろに纏めながらやや含みのある口調で言葉を発した。


--何か、違う。


この時点で僕は、この森を取り巻く不穏な空気に飲まれていた。


冷たい風はより一層勢いを増し、隙間を通り抜けながら肌を震わせる。


周りに乱立している木々が揺れ、まるで僕達に立ち退きを命じるかのような声を上げていた。


これまでに心霊スポットには沢山行ったが、どれも名ばかりのものだった。


だが、今回は違う。明らかに直感で分かる。


生まれて初めて、恐怖を感じていることを実感した。この森もそうだが、何より……彼女に対して。


僕には霊感というものがないのではっきりとしたことは言えないのだが、この淀みが、全て彼女の元に収束しているような気がしてならないのだ。


「どう? 私おすすめの心霊スポット、気に入ってくれた?」


「ああ、気にいった。……とても」


こんな気持ちになるのは初めてだ。本当は逃げてしまいたい。この場から立ち去りたい。しかし、僕は彼女の前ではよくありたいというプライドを捨てることができなかった。


即ち、進むしか選択肢はないのである。


「……何だ、これ?」


周りの視界を頼りに暫く進んでいると、木肌に奇妙なものを発見した。


何か、人の顔のようなものがめり込んでいる。最初は見間違いかと思った。だが、一つではなく、この場所一帯に広がっているのだ。


さらによく見てみると皆、全員同じ顔をしている。全て、苦痛に歪んだ表情を浮かべていた。異様な光景。そうとしか言いようがない。


それに、入ったときは薄くてわからなかったが、進むにつれて濃くなっていったものがある。


匂いだ。この森から、鉄錆のような香りが漂っている。なんとも嫌な感じだ。


昔、口を切ったときに味わった、体内の赤い液体物の味と似ている。


間違いない。この森、何かいる。さっきは自分の変なプライドが邪魔をしてしまったが、このままでは僕だけでなく、彼女も危険だ。


「おいっ! 何かいる! ここは危険だ、帰」



「ねぇ……今日、どうして私が君を誘ったのか、分かる?」


彼女は急に立ち止まり、僕の言葉を遮って声をかけてくる。


--どうしてって、僕の好みに合わせてくれたんじゃないのか?


「見つけて欲しかったの」


--何を?


「私の……カラダ


--え?


その瞬間、彼女の柔らかい肉体の半分は背後にいた生物の口の中に運ばれていた。


二足歩行の生命体だが、その姿は、とても人間とは言い難い。肌からは蛆が湧き出し、体は大きく肥大化している。対して、手は枝のように細く、短い。


なによりも、体のあちこちから、内臓とおぼしきものが露出しているのだ。生理的に嫌悪感を生じさせる。


「あ……ああ……」


残った彼女の半身を掴み、貪るように自らの口に押し込んでいく。生物の口からは血が溢れ、体を赤く染めた。


ここに来る途中から、なんとなく嫌な予感はしていた。だが、本物の怪物がこの森に住んでいることが誰に想像できようか。否。誰にもできるはずがない。


俺は体を反転させ、来た道を引き返す。冗談じゃない。肝試しにきただけなんだぞ。本物が出るなんて聞いていない。


今思えば、彼女は頑張って探した心霊スポットに俺を行かせたかったようだ。が、まさかそれが当たりだったなんて、夢にも思わなかっただろう。本当に気の毒だ。


最後に口にした、あの言葉は一体どういう意味だったのだろう。言葉通りに捉えるとするならば、あの不気味な化け物が、彼女の体ということになる。


この森で起きた自殺の件が本当だったとして、その霊が彼女に乗り移ったと仮定すれば合点がいく。どうやら僕達は、とんでもない場所に足を踏み入れてしまったらしい。


「あキュぅォ」


背後で、虫のような奇妙な鳴き声が響いた。その後、足音が徐々に僕へと近づいてくる。


「何でっ……体が、上手く動かないっ」


まるでスローモーションのように、体の動きが鈍くなった。夢の中で誰かに追いかけられるとき、途端に体が動きにくくなるが、まさにそんな状況だ。


顔からは冷や汗が出、口の渇きが止まらない。この状況で、僕はどうすればいいのかわからくなってしまった。思考すればするほど、頭の回転が悪くなっていく。


動け動けと頭に指令を送るが、その命令が実行されることは終ぞなかった。


俺の両脇に手が生え、そのまま空に持ち上げられる。首を後ろに動かすと、不敵な笑顔でこちらを見つめ、大きな口をぱっくりと開いていた。


「くそっ……放せっ!」


両脇を掴んでいる手を除けようとするが、石のように動かない。それどころか締め付ける力はどんどん強くなっていくのだ。


体を逆さにされ、口の中へと押し込まれていく。もうだめだ。喰われてしまう。まさか肝試しで、こんなことになるなんて。


「うわぁぁぁぁ!!」


奴が口を閉じた瞬間、激しい痛みが一瞬僕を襲い、意識が途切れた。





「……あれ?」


目を覚ますと、僕は森の入り口にいた。何故だ? 僕はあいつに喰われたはずだ。


「僕……助かったのか?」


後から聞いた話なのだが、この森は二、三年前から調査が行われていたらしい。なんでも、この森に入った人が、相次いで行方不明になっていたとか。


「ちょっと、どこ行ってたのよ? みんな探してたよ?」


住宅街の方から、彼女が迎えにきた。


「……何でここにいるんだ? 僕は君と一緒に森に入ったはずしゃ」


「何寝ぼけてるの。私、ずっと部屋にいたじゃない。あなたが夜中、一人でふらふらと出て行ったんでしょ」


……? では、僕が今まで話していた人物は誰だったのだろうか。


しかし、真偽を確かめる術は、何処にもない。

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