第6話【カティアの日記】

「あら、カティア、早かったのね。でも、突然戻って来るって言うから、晩御飯はたいして何も準備出来てないわよ?」

「ありがとう、いつもみたいなヴルストとケーゼのサンドで構わないわ、好き具を自分でパン乗っけて食べるやつ。 それより、マーシャとシュテフを見ててもらえると嬉しい!」

「あら、どっか行くのかい?」

「ううん、ちょっと部屋で探し物! あの二人がいると、グチャグチャにされちゃうから」

「アレックスは一緒に来てないの?」

「ああ、彼は、今週、フライブルグに出張でいないから!」

 アウトバーンで3時間、片道400キロ。久しぶりの我が家のドアを開けると、母さんが出迎えてくれた。『いつもと変わらない』と、お世辞にも言ってみたいけど、正直、すっかり真っ白になった髪や、前かがみになった丸い背中を見ると、我ながら、本当に随分と久しぶりに実家に帰ってきた親不孝娘だと実感する。

「おばあちゃん、こんにちは!」

「おばあちゃん、おじいちゃんはいる!?」

私の背中に隠れるようにしてた子供達も、久しぶりに見るお婆ちゃんの姿に喜んで、駆けだすように家の中に飛び込んで行った。奥のリビングから、定年退職してからは毎日家庭菜園とサッカー観戦で時間を潰してるお父さんの楽しそうに二人を出迎える声が聞こえたから、私は『ほっ』と、胸を撫で下ろした。この調子なら、落ち着いて探し物に集中できそうだ。

「じゃあ、二人をよろしくね、お母さん!」

私は手短に、子供達を両親になすりつけると、懐かしくも慣れ親しんだ階段を登って、二階にある自分の部屋へと向かった。

 久しぶりに入るこの部屋も、さすがに昔のまま…とは、言い難かった。なんせ、開けた途端にほこりが舞うわ、ところ狭しと山のような段ボールや木箱が積んであるわ。しかも、そこらじゅう蜘蛛の巣が張ってて、完全に物置と化していたのだから。それなりに覚悟して帰郷したものの、さすがにこれは想像以上で、私は長期戦を覚悟した。

「とりあえず、一番手前側の箱って事はないわよね?」

圧倒的な物量に、総当たりするのは見ただけで心が折れた。なので、まずは、部屋の入り口付近はおそらく新しい荷物だろうから除外。選択肢から外してみた。そうなると、やっぱり部屋の奥の方が怪しいのだけれども、とりあえず、あそこまで行き着くのは、かなり至難の技に思えた。

 目の前にある頑丈そうな木箱を踏み台代わりにして登ると、次は、ジーンズの膝を、高く詰まれた段ボールの上に乗せて、よじ登る感じで体重を移動した。すると、そこらへんはさすがに段ボール。いともたやすく角の部分がぐにゃりと凹んで、バランスを崩した私はそのまま下に転がり落ちて、背中をしこたま打ちつけてしまった。

「カティア!? いったい上で何やってるの? 整理じゃないの?」

「ご、ごめーん! まだ、その前段階で…」

と、言いかけた途端に、咽て言葉が出なくなった。慌てて段ボールの上に転がったまま顰めていた目を開けると、カーテンの隙間から差し込む明りに照らされて、とんでもない量の埃が舞っているのが見えた。さすがに、この状態は、体に悪いとかいうレベルじゃない。私はさながら逃げるゴキブリのように、四足のままカサカサと部屋の外に避難すると、お母さんからタオルを貰ってそれをマスク代わりにキツく顔に巻いた。膝から肘から背中から、そこら中が真っ白になっていた。まったくもって、安請け合いはするものじゃない。今度マイケに会うときは、ビールの一杯や二杯おごってもらう程度じゃ割に合わないわ。私は、もう一度覚悟を決め直して、再び戦場へと赴く決意を固めた。いや、違う。魔物がひしめく遺跡を探索する冒険家のような心境だ、これは。

 もう一度、扉を開ける。見れば見るほど、高く積まれた無数の箱は手ごわく見えた。確かに、手前から整頓しながら前に進むという手もあるかも知れないけれど、それだと目的のブツが見つかるまで何日かかる事やら見当もつかない。それに…

「えいッ!」

私は勢いをつけると、さっき潰してしまった段ボールによじ登った。

そう、手前から片づけるにしろ、何にしろ、まずは窓を開けるのが最優先なのだから。

「カティア? 大丈夫? また揺れたわよ?」

「フゴー、フゴフゴ!!」


 何度目かの挑戦で、私は何とか窓辺までたどり着いた。勢い任せにカーテンを薙ぎ払うと、思いっきり左右の窓を外に向かって押し開けた。その途端、もう四月になったというのに、少し肌寒い新鮮な空気が流れ込んで来て、改めてここはベルリンよりさらに緯度が高いのだと思い知った。マスク代わりのタオルをずらして、体いっぱいに空気を吸い込むと、何だか懐かしい匂いがした。窓の下に見えるお父さんの家庭菜園からは、野菜の苗の植え付けを手伝う子供達の楽しそうな笑い声が聞こえた。

 第一関門を突破して肩の力が抜けると、全体重を乗せていた右足のつま先に妙な安心感がある事に気が付いた。いや、なんというか、今までの木箱や段ボールより、随分と頼りがいのある感触がするのだ。不思議に思って覗きこむと、私の足が勉強机の角っちょに乗っているのが見えた。

 何となく、昔の記憶が蘇って来る。そう、たしかアカデミーを卒業してからベルリンのホテルに入社するまでの間、一カ月程実家暮らしをしていたんだった。

「―ん?」

ちょっと待って、机の位置が変わってないぞ? それどころか、カーテンと窓を開けて明りが射した部屋をよくよく見たら、荷物の隙間から覗くベッドからタンスまで、全てが当時、私が使っていたままだった。

「お母さん、荷物をそのまま私の部屋に突っ込んだわね…」

思わず、母親のざっくばらんさにため息が出たけれど、そのすぐ後に、これはむしろ、幸運な事なんじゃないかと気が付いた。

「うん、ありがとう。おかげで助かった!」

 私は慌てて机の周りの箱だけを違う箱の上に積み上げて、何とか引き出しを開けるスペースを確保した。そう、あの1カ月間も、ここで色々書きものをしていたのだから、目的の探し物も高確率で引き出しに入ったままじゃないかと思い付いたんだ。

 深呼吸をして、机の引き出しに手を掛けると、なんだかタイムカプセルを開けるような感じがして気持ちが高揚した。そして、何十年ぶりに引き出しを開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは見覚えがある表紙だった。私は思わず懐かしくなってしまうと、ついついそのノートを手に取った。

 最初のページをめくると、日付は1991年の4月8日になっていた。そうそう、初めて親元を離れて生活するにあたって、せめて日記くらいはつけようと思い、買ったノートがこれだった。

 こうして私は、木箱の上に腰かけると、探し物の間の小休止に日記を読み返し始めた。



  第六話 【カティアの日記】


8日、4月(月)

 遠い、むちゃくちゃ遠かった。バイエルンだと言うから、もっとミュンヘンの近くかと思ったのに、これ、ほとんどザルツブルグだ。て、言うか、ドイツと言うより、もうオーストリアじゃない。

無理して「引っ越しは一人で大丈夫」なんて言って、荷物を車に詰め込んだけど、ここまで来るのにアウトバーンを走り続けて2日かかった。でも、よくよく考えれば、今まで、こんな遠くまで一人で来た事なかったから、新鮮と言えば新鮮。ただ、お尻が痛い。すごく痛い。車から降りたら、座りっぱなしで腰も曲がったまま伸びなくて焦った。それにしても凄い田舎。さすが、アルプスの麓。

 寮長の、ビッチさん、めちゃくちゃ怖い。せっかく到着したのに、「今日は遅いから、荷物を入れるのは明日にしてくれ」と、怒られた。仕方なく、近所のペンツィオンを紹介してもらった。夜は学校の向かいにあるケーゲルバーでピザを食べた。15マルク50ペニヒ。


9日、4月(火)

 ペンジオンの朝ごはんの時、パンの事をブロートヒェンじゃなくて、ゼンメルと言って出された。改めて、バイエルンに来たのだと実感。それに、訛りも凄い。これは本当にドイツ語か? とにかく、ここから私の新生活が始まるんだ。

 ホテル学校に行くと、部屋の説明を受けた。私の部屋は3階の306号室、階段を登ってすぐの部屋だった。同室は9月入学組のマイケ、割と良い子で嬉しいかも。しかし、部屋が狭い。ベッドとベッドの間が1mもない。

 学校は面白い造り。地下、1階、2階の半分が教室棟。教室、職員室、厨房、レストラン、フロントが入ってる。2階の半分と3階の半分が男子寮。3階の半分と、4階が女子寮らしい。マイケ曰く、夜9時を過ぎると、3階の男子寮と女子寮の間にある扉を寮長のビッチさんが施錠するので、門限を過ぎると、部屋に戻って来れないから要注意なのだとか。それって、いつディスコに行くの??

 あと、フロントで黒服のフロントマンから部屋の鍵を渡された。普通に、ホテルで使ってるような大きくて、部屋番号が刻印してある鍵だった。これは、外出時には、フロントに預けないとダメらしい。

…何て言うか、ここ、学校自体が大きなホテルになってるみたい。

 夕食は、マイケと歩いて街に出た。ピッコロモンドというイタリアン。片言で喋るイタリア人のご主人が、事あるごとに「俺はスイスイタリアじない、れっきとしたイタリア人だ!」というのが面白かった。今日もピザ。せっかくバイエルンに来たのでヴァイツェンも飲む。あ、バイエルンなので、ヴァイスビアーって言わないとだわ。25マルク。

     

10日、4月(水)

 いよいよ学校が始まる。D組。と、言っても、4月からのコースはD組だけらしい。他の、ABC組は、通常通りの9月コース。…て、いうか、うちのクラス、ヤバい。なんか、このクラスだけ、雰囲気違う。めっちゃアウトロー。やっぱり、通常通りの9月スタートと違って、半年遅れのコースだから、高校からそのまま上がって来た人達、という感じじゃない。凄いおじさんもいたし、中国人の子供までいた。

 食事は驚いた。昨日紹介してもらった時は、レストランの入り口だけしか見せてもらえなかったけど、実際中に入るととんでもない。だって、学校の中にガラス張りの高級レストランがあるのだから。

昼食はコース料理だった。レストランに入ると、手にナプキンをぶらさげたウエイトレスと、ウエイターさんが左右に並んでて、私を席まで案内してくれた。食事はクラス単位で時間制の交代制。夕食はバイキング形式だった。これから食事は毎日これだと思うと、太らないように注意せねば…。

 


私は懐かしい日記のページをめくる度、瞳を閉じて、あの頃を思い出していた。不思議な事に、あの、初めて親元を離れた時の解放感と、心細さまで蘇ってくる。当時、日記っていうのは書くもので、読み返す事は無いと思っていたけれど、こんなにも時間が過ぎてみて、初めて日記の本当の意味を知ったような気がした。そして、またページをめくった。



11日 4月(木)

 授業が始まる。私達D組は、4月の1カ月間は座学組。商用ドイツ語、英語、フランス語、簿記、マーケティング、食品系は、食品学と、食品衛生学まであった。あとは、一応、タイプライターの授業。もちろん、私の好きな体育や、音楽なんてものは無かった…

 5月からは、実務組らしい。こんな感じで、クラス単位に1カ月交代で、座学と実務を交互に勉強するらしい。具体的に実務組は何をするのかマイケに聞いたら、調理組と、サービス組に分かれていると教えてもらって驚いた。どうやら、従業員だと思っていたホテル学校のフロントの黒服さんも、学校への電話応対も、レストランのウエイトレスや、ウエイター、調理、製菓、お掃除係に至るまで、実は一流ホテルから引き抜かれた先生の元、全部実務組、というか生徒がやってるらしい。さすが、ドイツで一番のホテルアカデミー…。て、言うか、まさか、来月からあのフルコースを私がつくるの? 料理なんて、カイザーシュマーレンくらいしか作った事ないよ?


12日 4月(金)

 クラスメイトの正体が、続々判明する。

 一番おじさんなのがゲアト。聞いたらもう45歳で、少し前まで警察官だったらしい。しかも、結構危ない仕事する方の。これから先の人生を考え直して、ホテルマンになる道を選んだらしい。

 あとは、やっぱり年齢はまばら、中途半端に始まるコースだから、私と同じで、違う職種の修業の途中から業種換えでホテルを選んだ人達が多かった。あと、高校を卒業して半年バックパッカーしてたとか、兵役終わらせてからってのが何人かいた。て、言うか、ホテルマンになるんだから、まずはそのもじゃもじゃの髭を剃れ。

 中国人の少年の正体も判明。実は日本人だった。名前は、名前は…。2回くらい聞き直したけど、忘れた。アジア人の名前は耳慣れないから覚えにくい。あと、歳は、意外にも19歳だった。アジア人、若く見える。


15日4月(月)

 凄い先生と話した。ミュラーパパ。あ、本当はただのミュラーさん。いや、だって、なんだかパパっぽいから。普段は、食品衛生学の先生なんだけど、いつも蝶ネクタイしてて、ブレザー着てる年配の洒落な白髪のお爺ちゃん。でも、お腹が凄く出てて、何だか、テディベアみたいなので、皆でミュラーパパと命名したんだけど、後で聞いたら、教頭先生だった。て、言うか、教頭先生ってのも名誉職でなってるだけっぽくて、本当は、ドイツの調理師連盟のプレジデントだって言うから、ドイツで一番偉いコックさん?? マイケに教えてもらって、レストランに飾ってあるミュラーパパの写真を見たら、確かにコック服着て写真に映ってた。胸にいっぱい勲章が付いてておったまげた。

 夜、マイケと、校内のバーに行く。ビールが1マルク50ペニヒで飲めた。激安。バーテンダーも生徒さんで、サービス部門のシェースナー先生が、残業で手ほどきしてた。色んなカクテルも作ってた。担当してた子にレシピは全部覚えたのかと聞いたら、カウンターの中を見せてもらった。そこらじゅう、レシピの書いてある付箋が貼ってあった。ガッカリ。屋台裏は見るもんじゃない。


16日4月(火)

 タツジの事がクラスで問題になった。ドイツ人の私達ですら、社会学とか食品衛生学とか、専門用語のオンパレードで頭を抱えるだから、日本人の、しかも、この国に来てまだ1年の彼にとってはチンプンカンプンに違い無い。実際、授業中も上の空の様子で窓の外ばかり見てる。このままだと、確実にうちのクラスから落ちこぼれの脱落者が出る。

 最年長のゲアトと、アンドレアス、ドミニク、モニカ、トーマス、私の6人で、放課後彼の部屋を襲撃。

扉を開けると、驚いたタツジはベッドの上で震えながら、「イ、イジメに来たのか!?」「学校から追い出したいのか!?」「ヤキ入れるのか!?」みたいな事言ってたけど、全くもって意味不明。まあ、確かに元警官のゲアトの顔が怖いから驚くかも知れないけれど、落ちこぼれをいじめるとか、そんなの常識的に考えてあり得ないじゃない。

 とりあえず、私達6人が持ち回りで、放課後タツジの家庭教師をする事と、D組皆でそろって卒業したいと思ってる事を説明した。「ドイツ人わけわからん」と、逆に驚かれた。


18日4月(木)

 タツジの得意科目が判明。タイプライター。今日やった、手元を見ないでテキストを入力する小テストで、タツジ、まさかのクラスで唯一の満点。こっそり、経験があるのか聞いてみたら、全くの初心者らしい。恐るべし、日本人。担当のシュミッティー先生曰く「日本人は欧米人と違い、湯船に浸かる習慣があるから、集中力が高い」のだとか。その説はどこから出た??



 私は、開いていた日記を閉じると、天井を見上げて瞳を閉じた。不思議なものだ、こんなにも時間が経っているにもかかわらず、あの日の光景が、まるでつい先日の出来事のように思い出されるのだから。そして、ページをめくる度、日に日に日記に名前が登場する事が多くなった日本人の少年の事を思い出していた。

 一旦、日記を閉じて、木箱の上に置くと、私は山のような荷物から飛び降りた。

そして、部屋を出て、キッチンへと降りると、

「カティア、今ね、子供達にカイザーシュマーレンを焼いてるんだけど、あなたも食べるでしょ? 好きだったわよね?」

と、尋ねられた。一瞬、「ヤア…」と、返事をしかけたけど、ちょっと考えて踏みとどまった。もちろん、母さんのカイザーシュマーレンは大好物だけど、今はここに座ってそれを食べる時間があるなら、日記の続きを読みたかったし、ましてや、持って上がって、あの埃だらけの部屋で食べる気にもなれなかった。

「あ、ありがとう。でも、今はいいや。コーヒーだけ淹れに来たの」

それだけ、告げて、お菓子を作り始めたお母さんの隣に立つと、隣から甘いラム酒と、溶けたバターの良い香りがした。そう、これが、お母さん直伝、我が家のカイザーシュマーレンだ。パンケーキの生地に、溶けたバターを入れて焼くから、仕上がりがしっとりする。そして、噛むごとに、まろやかな生地に隠れたラム酒の香りと、甘いレーズンの味が口いっぱいに広がるんだ。

  私はコポコポと音をたてて落ちて行くコーヒーの滴を眺めながら、横目で母さんを盗み見る。すでにレーズン入りのパンケーキは最初の数枚が焼けていて、まな板の上に広げてあった。そして、母さんはフライパンに次の生地を流し込むと、焼けるまでの間に粗熱が取れたパンケーキを選んで、スプーン2本で一口大にちぎり分けていた。思わず手が伸びて摘まみそうになったけれど、ぐっとその衝動を我慢をした。だって、これではただの『ほぐしたレーズン入りパンケーキ』であって、カイザーシュマーレンじゃないのだから。

 ドリップし終わったコーヒーをマグカップに注ぎ入れた頃、母さんはお皿に盛りつけたパンケーキの山に、たっぷりの粉砂糖を振っていた。そう、この瞬間、パンケーキは、カイザーシュマーレンに生まれ変わるんだ。

「カティア、何やってるの、はしたない!」

「ごめん! さすがに我慢できなかった!」

コーヒーの入ったマグカップを片手に持った私は、食卓テーブルを通り過ぎざまに、まるで初雪が積もったばかりの雪山みたいなお菓子の頂上から一かけを摘まみ取ると、そのまま口に頬り込んだ。やっぱり、同じレシピで作ってるはずなのに、母さんのは丸くて、優しい味がした。そして、私はどこかで母さん以外が作った、この丸くて優しい味を食べた事があるのを思い出した。階段を登りながら、想いを巡らす。あれは、いつ、どこで、どんな料理だっただろうか?

 

 再び、木箱の上によじ登り、一口、コーヒーを口にする。口の中にかすかに残るラム酒の香りと、バターのコクが、ブラックの苦みと絡み合って喉の奥に消えていった。見下ろした庭では、苗の植え付けも途中に、母さんに声を掛けられて喜んで家へと駆け出して行く子供達の姿が見えた。

「ちゃんと、手、洗ってから食べなさいよね…」

私は小声でそれだけ呟くと、再び日記を開いた。そして、気が付くと『タツジ』と書かれた日ばかりを選んで読んでいた。


2日5月(木)

 いよいよ厨房での研修月になってしまった。私達のクラスは2班に分けられて、料理班と、デザート班になった。私は残念な事に料理班になってしまった。お菓子が良かった…

 そして、もうひとつ残念な、と言うか、めちゃくちゃがっかりした事がある。それは、てっきり料理科の先生は、あの優しくて可愛いミュラーパパだと思ったのに、えらく強面ですぐ怒るハンスという人が先生だった。マイケ曰く、あくまでミュラーパパは名誉職で学校にいるようなもので、半年以上学校にいるけど、色んな来賓がパパを訪ねて来るばかりで、彼が料理する姿は誰一人見た事が無いのだそうだ。

 て、いうか、それ以上に大事件があった。いや、大事件と言っても、私の中での大事件なのだけれど…。それは、タツジだった。クラスの大半が料理初心者で、おっかなびっくり包丁やフライパンを使っている中、タツジ一人が物凄い勢いで野菜を刻んでいた。また、その精度が半端ない。まるで精密機械で切ったみたいに野菜がどんどん刻まれて行くのだから。やっぱり、日本人は人間もコンピューターみたいなんだろうか?


6日5月(月)

 タツジの隣で料理をする機会があったので、どうしてそんなに手際がいいか聞いてみたら、どうやら、彼の家は、日本で100年くらい続いてる小さな和風ホテルらしい。よちよち歩きの頃からホテルを手伝っていて、小学校に上がる頃には厨房で調理を始めたのだとか。で、高校生の頃には料理は全部一人で作れるようになったそうだ…。日本人は働きすぎる。『じゃあ、ドイツには料理を勉強にきの?』って聞いたら『ホテルを継ぐから、マネージメントを勉強に来た』と、言っていた。うーん、まあ、応援はするけれど、君の座学の成績だと、絶対料理に進んだ方がいいと思うよ、私は。


7日5月(火)

 研修3日目で、おそらくクラスの全員がハンス先生に怒鳴られたと思う。いいや、一人例外が居た。タツジ。彼一人だけ扱いが違うような気がする。だって、あの怒りんぼ先生が「お前には学校の包丁はなまくら過ぎて使いづらいだろう。研ぎに出してやるから、何本か好きなの選んどくように」とか言ってるんだもん。

ただ、やっぱりタツジの料理は凄いと思う。だって、日本人なのに完璧にドイツ料理を作ってるのだから。聞いてみたら、「切る、煮る、焼くは日本料理でも同じだし、レシピ通りに作ってるだけだよ」と、シレっとした顔で言っていた。こんちくしょう。

でも、なんだろ? タツジの作った料理は、本当に教科書通りの味付けで、確かに非の打ちどころは無いくらい美味しいのだけれども、食べた時、なんだか冷たくて尖った味がした。


10日5月(金)

 週末3日を使っての初めてのアインザッツ(実地研修)! 今回はかなり大きな仕事で、ほぼほぼうちの学校の大半が招集された。確かに、早朝から大型のバスが4台も学校に迎えに来てた。マイケ曰く、普段はもっと小規模で、週末大きなパーティとかで人手が足りなくなったドイツ中の有名ホテルから、うちの学生指名でお呼びがかかるのだとか。さすが、この国一番のホテルアカデミー。

 事前に指示されたようにメイド服とナプキン、黒い革靴と3日分の着替えと身の回り品だけ持ってバスに乗り込んだ。何故か、すぐ後ろにいたタツジだけ、バスに乗る前に先生に呼び止められてて、慌てて校舎に戻って行った。『外国人はダメなのかな?』と、思ったらすぐ戻って来て、バスに乗り込んだので、少し安心。席が近かったから尋ねてみると、「お前はコック服を持ってこい」って言われたと、ふてくされていた。

 会場に着いて驚いた。ホテルからの要請かと思ったら、会場はミュンヘンにあるテレビ局の大きなスタジオが集まってる場所だった。どうやら、開局数十周年の謝恩パーティで、これからの3日間、連日関係者や、一般人を呼んでの大パーティが始まるのだとか。テレビ局、お金持ち。

 一番大きな会場のサービス係に配属される。同じクラスのティムやエファも一緒だった。仕事内容は単調で、お盆に色んなドリンクを乗せて練り歩くだけ。少なくなったら空のグラスを回収して補充に戻る。それだけ。途中、お客さんにお盆の上にないお酒を頼まれたから、あわててそれだけ取りに行くと、チップもらえた。驚きの20マルク。味をしめて、何度かこれをやってみたら、一晩でチップが50マルクを越えた! アインザッツ自体、お給料が出るから、これは美味しすぎる研修かも。

 ホテルに戻って、こっそり他の子達に聞いてみたら、多かれ少なかれ、皆、チップは貰えていたみたいで、疲れているのにほくほく顔だった。

 あ、タツジだけ真っ青な顔してた。


11日5月(土)

 アインザッツ二日目。仕事内容は昨日同様。でも、個別配送は昨日より力を入れたので、チップだけで70マクル越えた!!

 仕事の合間に、タツジを発見する。会場の脇にある道具部屋みたいな所を覗いたら、真っ暗な部屋の中でコック服を着たタツジが座ってた。「なにやってるの?」と、尋ねたら「これ…」と言われて指差した先に、バスタブくらいある大きな桶に4杯もヴァイスヴルストの山が見えてゾッとした。どうやら、10メートルくらい繋がってるソーセージを2本おきに切り離す仕事らしい。「3日でこれだけ切るの?」と、聞いたら「いいや、一日分。昨日も同じだけ切らされた…」と言ってた。しかも、どうやら、仕事はそれだけじゃなくて、ソーセージ切りの前は、入れ替わり立ち替わりステージで演奏している歌手や、バンドマン、関係者用にバケットサンドを300個、たった一人で作り終わってからのソーセージ切りなのだとか。そりゃあ、顔も青くなるわ…。

 タツジ、昨夜は一晩中、ソーセージを切り離す夢を見てうなされたらしい。

 おお、可愛そうなタツジよ。 


12日5月(日)

 週末のアインザッツ終了。仕事が終わると、そのままバスに乗せられて学校に戻った。最終日のチップは今一つだったけど、何とか合計で150マルク。アインザッツのお給料と合わせると、かなりの額になりそう。

 帰りの車内で、シェースナー先生から、今回のMVPが発表された。タツジ、MVPゲット。特別ボーナスとして50マルクが出た。でも、実際のところ、サービス担当だった他の生徒はそれよりもっと多い額のチップを貰ってるはずだから、これはさすがに可愛そうなので内緒にしておこう。


13日5月(月)

 驚いた。タツジの調理のスピードと正確さがさらに上がった。恐るべし日本人。もしや、あのバケットサンドとソーセージの修業の成果か?

 交代制の夜のバイキングの調理係が当たる。珍しくハンス先生が、一品だけ好きなの作って良いぞって言われたのでカイザーシュマーレンを焼く。て、言うか、これしか実はレパートリーがないのだけど。夕食にレストランに来ていたタツジに押し売ると、凄く美味しいと喜んでくれた。してやったり。


15日6月(土)

 ミュンヘンのホテルでアインザッツ。1000人クラスのパーティ、フルコースの給仕。今回参加は30人。やっぱり、タツジだけ厨房。

 でも、メイン料理の時は、私も厨房に呼ばれた。何をやらされるかと思ったら、単に盛り付けだった。でも、その規模が違った…。だって、ほぼ同時に1000人前の料理を盛り付けなくちゃいけないのだから。

 扉を隔ててパーティ会場に隣接した厨房に横4列に並んだ長いステンレスの盛り付け台があって、それの片側に5人が並んでた。一つの盛り付け台に5人が向かい合わせに立つから、5人が8列。私は、タツジが見えたから、その隣を選んだ。

 仕事はいたって簡単。最初の一人が受け持ちの具をお皿に乗せて次の人に回すから、それぞれに受け持ちの具を乗せて次に回すだけ。私は右上にジャガイモ。隣のタツジは真ん中上にブロッコリー。あとは、ニンジン乗せる人と、お肉乗せる人、最後にソースをかけてお皿を拭く人で5人。まるでバケツリレー。それが終わると、行列を作って待ち構えてるサービスマンが、一人三皿持って、会場へと消えていく。延々それの繰り返し。でも、そのスピードがとんでもなくて目が回った。とにかく、物凄い勢いでタツジから寸部違わぬ位置にブロッコリーの乗せられた皿が回って来る。一流ホテルの厨房って、もっと優雅なものかと思ったけれど、いやはやこれは戦争だ。目の前に積まれた大量の蒸かしイモが、まるで弾丸かプラスチック製品のように見えた。ドイツ人にあるまじき発言だと思うけど、当分ジャガイモは見たくない…


22日6月(土)

 アインザッツのない週末。マイケとピッコロモンドへ行った帰りに、ビリヤード場でビールを飲む事に。すると、タツジが一人でビリヤードしてた。何だか寂しそうに見えたから、勝負を挑むと、コテンパンにやられた。基本的に、彼は手先が器用だ。ううん、たぶん、ちょっと違う。それこそタイプライターの授業の時にシュミッティー先生が言ってたけれど、彼の場合、おそらく集中力の深さと持久力が凄いんだ。

 ビリヤードをしながら、「タツジにとって、料理って何?」って聞いた。すると、「決められた時間内に、いかにソツのない物を作れるかの勝負」「次から次へとやってくるオーダーを千切っては投げ、千切っては投げるゲーム」だと答えた。正直、千切って投げるっていうのが何の例えかは分からなかったけれど、あんなに料理が上手なのに、寂しい答えだと思った。

 ついでに「料理は好き?」って尋ねると、「仕事だから好きも嫌いも無い」って言ってた。


 ぬるくなったコーヒーを一口飲み、カップを木箱の上に置くと、私は天井を見上げた。そう、日記には記されていない事まで思いだしたのだ。タツジは、「仕事だから好きも嫌いも無い」と、言った後で、小さな声で何かを呟いていた。あの時は、音楽がうるさくて上手に聞き取れなかったから日記にも書かなかった。ただ、彼がとても寂しそうな顔をしていた事だけを覚えている。でも、不思議なもので、時が過ぎて日記を読み返すと、あの時聞こえなかったはずの言葉が聞こえてきた。

そう、彼は寂しそうに

「でも、このままじゃ嫌いになるかも…」

と、呟いたのだ。

『日記を読み返す』

という行為は、本当に興味深い経験だと私は思った。もちろん、それは、あの時聞こえなかった言葉が聞こえた。というものもあるけれど、それ以上に、当時は何気に見過ごしていて、気付けなかった誰かの気持ちが今になって分かる。という経験だった。  

 これを書いた時の私は、その日、その日、ただ自分の目にしたものだけを綴っただけなのだろうけど、こうやって、タツジの名前だけを選んで読んでみると、まるで点と点が繋がって線になるように、当時は考えてみなかったような彼の変化や、心境が、彼の目線になって見えてくるのだから。そして、何となくだけど、彼の料理の経験値が上がり、速度や精度が上がるにつれて、あんなに美味しかった彼の料理が、どんどん冷たくて尖った、無機質な味になって行ったように感じたのは、単に彼が精密機械のような日本人だったからではなく、むしろ、心が悲鳴を上げていたからじゃないかと私は思った。

 私はそのままタツジの名前を探して、ペラペラとページをめくった。そして、ある日を境に日付が1カ月以上飛んでいる事に気が付いた。よくよく考えると、それは当たり前で、何てことのない夏休みだった。そうそう、私はこの日記帳を学校に忘れたまま帰省したのだ。

 そして、夏休み前の最後の日記に、また、タツジの名前を見つけた。


30日7月(火)

 夏休みだと言うのに、欲を出して個人的に小さなアインザッツを入れまくっていたら、寮長のビッチさんに「寮に残ってる生徒はお前と日本人くらいなもんだ。俺も休暇を取るから、明日の昼までには寮を出て行ってくれ!」と、怒られた。

 誤字脱字無くタイプ出来たのに、メニューの書き直しさせられた。

 ミュラーパパがただの変なおじいちゃんだと判明。て、言うか、あれ、ボケが始まってるんじゃないよね? ちょっと心配になった。


 日記に綴られていたのは、それだけだけで、一見チンプンカンプンな内容だったけど、瞳を閉じ、胸一杯に空気を吸い込むと、瞼の裏には、鮮明にあの日の光景が浮かびあがってきた。



『カティア リヒター、タツジ クラタ、二人は今すぐ着替えてレストランへ集合してください。カティアは給仕服、タツジはコック服を着用の事。もう一度繰り返します、カティア リヒター、タツジ クラタ、二人は今すぐ着替えてレストランへ集合してください。カティアは給仕服、タツジはコック服を着用の事』

 まだ朝だと言うのに、窓から差し込む日差しはもう真夏で、生徒が居なくなってクーラーが切られた部屋は、まさにサウナのようです。とうの昔にマイケも帰省して一人ぼっちの私は、突然言い渡された24時間後の退寮勧告を受けて、汗だくになりながらせっせと部屋の片づけをしていると、突然、私とタツジを呼ぶ校内放送が流れたんです。最初は意味が分からなくて、思わず小首をかしげてしまいました。だって、学校にはもう私とタツジしか残っていないのに、何を今さら制服を着てレストランに行かなくてはいけないのでしょうか??

 慌ててアインザッツに持って行ったスーツケースの中から、昨日使った給仕用の黒いワンピースを取りだします。そして、ゾッとするのです。だって、アインザッツの時は夜だし、クーラーの効いたレストランだからいいけれど、私の持っている給仕服は4月の入学の時に買った冬もので、今からこの真夏の昼間にこれを着るのかと思ったらそれだけで全身から汗が浮き出たんです。しかも、これ、洗ってないし… 

 とりえず、慌ててTシャツとジーンズを脱ぎ捨てると、私は手にした黒いワンピースに袖を通しました。案の定、ごわごわした生地が汗で濡れた素肌にまとわりついて、気持ち悪い事この上ありません。本当なら、シャワーくらいは浴びたかったけれど、至急と言われてしまってはそうもいきません。とにかく、そのまま部屋を飛び出して、階段を駆け下りながら白いエプロンの紐を結びます。もう、誰の目も気にならない無人の学校です。それこそ駆け降りましたよ、3段抜かしで。


 レストランのホールに到着すると、そこには厨房教官のハンス先生と、サービス教官のシェースナー先生、そして、すでにコック服を着たタツジが立っていました。

「い、い、いったい何事です、シェースナー先生!?」

たった、それだけを聞きたかったのに、一気に3階からレストランまで走ってきた私は息が上がっちゃってて、なかなか上手に言葉になりませんでした。それを見ていたシェースナー先生は「うむ、ちょっと困った事があってな…」と、自慢の髭を撫でています。そして、

「実は、昨日からこの街で、ドイツ中のホテルのオーナーや、ホテルチェーンの社長達を集めた会合をやってるんだが、突然プレジデントが、明日の昼食はうちの学校でご馳走する。と、言いだしたんだ」

と、説明してくれたのです。思わず私は隣に立ってるタツジと目を見合わせてしまいました。

「で、でも、今は私とタツジしかいませんよ!? それに、昼食って、あと3時間も無いじゃないですか!?」

「うむ…、とりあえず、人数は20名のフルコース。人手は少ないが、とにかくサービスは私とフロイライン リヒターの2人でなんとかしよう。後は、料理だが…」

その声に合わせて、「ふん!」と鼻息荒く、胸を張ったのは、いかつい風貌のハンス先生。

「こっちこそ、ぬかりは無い。私とタツジ。二人で2時間半もあれば十分だ! それにこれを見ろ!」

そう言って指差した厨房を見て、私は驚いた。だって、いつもは生徒が並んで調理している大きな調理台の上に、ところ狭しと山のような食材が並べてあるんです。牛肉の塊や、色とりどりの野菜達。お魚さんなんて、おっきなのが丸ごと横たわっています。

「すでに、メニューも組んである。リヒター君、すまないけど、これを事務室でメニュー用にタイピングしてきてくれるかね?」

最後にもう一度「ふん!」と鼻息を吹き出して、ハンス先生が手渡したのは、手書きのお品書きでした。それを見て、私はこの鼻息の理由に気づいちゃいました。だって、そこに書かれたメニュー、ドイツ料理じゃなくて、全部、フランス語で書いてあるんだもん。そう、ドイツの調理師連盟のプレジデントが招く、超VIPな面々の前で『料理人、男ハンスここにあり!』ってのを見せたいんです、この先生、絶対に。

 私は、それに気付いてガクリと肩を落とすと、大きなため息を一つして

「…了解しました」

と、返事をして、しぶしぶ事務室に向かったのです。

 フランス語のタイプは初めてだったけど、高校の時に習っていたので何とかミスせずにタイピングを終えました。そして、それをコピー機でメニュー用の台紙に20部印刷して、レストランへと戻ると、すでにそこにはハンス先生の姿も、タツジの姿も無くて、私はそのまま厨房へ入りました。すると、二人は今日の料理のミーティング中で、先生がタツジにレシピを渡しながら作業工程の説明をしている所でした。タツジは、フランス語で書かれたメニューが分からないようで、しきりに小首を傾げてました。

「あ、あの、ハンス先生? メニュー印刷終わりましたよ」

私がそう声をかけて、手に持ったメニューの束を見せようとすると、こっちを見た先生が、突然背筋をピンと伸ばしたのです。

―はて、私相手にそんなかしこまらなくても?

そう思ったのもつかの間、次の瞬間、ふと私の手元からメニューが一枚抜き取られました。慌てて振り向くと、そこに立っていたのは、ブレザーの上から長い白衣を着たミュラーパパだったのです。

「ヘア ミュラー! 本日のお料理はお任せ下さい! 全て私が献立いたしました!」

いつもは私達に威張り散らしている先生が、凄く緊張した面持ちで、まるで軍人さんみたいな喋り方をしています。ミュラーパパはトレードマークの首の蝶ネクタイを揺らしながら目を細めてメニューを眺めながらニコニコしています。

そして、ぽつりとこう言ったのです。

「ごめんね、ハンス。今日は僕が作るよ」

と。

 私は、生まれて初めて、落胆して言葉を失い、うなだれる人間というものを目の当たりにしました。いやはや、ドラマとか大袈裟だと思って見てたけれど、本当に、あんな感じなんですね。

 つい今の今まで、鼻息も荒く、顔も高揚して火照っていたのに、瞬時に青ざめて、開いた口が閉じなくなっているんですもの。あのね、ちょっとだけ『ざまあみろ!』って思っちゃいました。でも、内緒ですよ。

「あ、あの、じゃあ、メニューは書き直しですか?」

思わず、口をついて出たのはそれでした。すると、ミュラーパパは申し訳なさそうな顔をして

「フロイライン リヒターもごめんね。メニューは今から相談して決めるから、ちょっとだけそこで待っててね」

と、言うのです。私は、とりあえず、コクリと頷くと、厨房の中へと入って行くミュラーパパの背中を眺めていました。でも、相談するってハンス先生とでしょうか? でも、彼、今は放心中で、とても喋れるような状態じゃないですよ?

ひょっとして、タツジと?? 相談??

などと、考えていた矢先、私は信じられないものを見てしまったのです。


「やあ、君はどこから来たのだい?

 そうかい、空気の綺麗な高原かい。

 美しい景色はいっぱい見れたかい?」


それは、調理台の上、所狭しと並んだ食材の中からキャベツを手に取り、お喋りを始めたミュラーパパの姿でした。

「君の人生の最後の瞬間は、僕が素敵に彩ってあげるから安心してね。君は、どんな料理になりたいんだい?」

そして、色んな角度でキャベツを眺めると、

「うん、分かったよ! 君がなれるお料理で一番おいしいのに僕がしてあげよう!」

と言って、まるで子供の頭を撫でるように、優しく撫でたのです。でも、それだけではありません。次に手に取ったニンジンにも、セロリにも、ブロッコリーにも、個別にお喋りをしているのです。本当に、大丈夫なのでしょうか、このお爺ちゃん。ボケてるとかないですよね??

 そして、横たわるお魚さんには、「どんな海を見たんだい?」「僕は、七つの海という言葉は知っているが、君はいくつ見たんだい、教しえておくれよ?」「そうか、どうりで身が締まってるはずだ、君は騎士だったんだね!」「君の誇りを汚さないように、僕が最高の一品にしてみせるからね」と語っていました。そして、大きなお肉ともお喋りを始めたのです。そう、全種類とお喋りをしてたんです。私は全くもって意味が分からなくて、ただ、ポカンと口を開けてることしか出来ませんでした。おそらく、タツジだってそうでしょう。目の前で起きてるお爺ちゃんの独り言に、私より近くでそれを見てるタツジは、きっともっと困ってるに違いありません。

私はそう感じて、お爺ちゃんの奇行から目を離すと、タツジを見ました。だけど…

彼は…

彼は泣いていました。

ボロボロと大粒の涙を流して、お爺ちゃん先生を見つめてたのです。

まったくもって意味不明の光景でした。でも…、何故だが私はそれが可笑しな事だとは思えなかったのです。

 その後、ミュラーパパはメモ帳にメニューを書くと、

「打ち直しごめんね。一人一人ちゃんと相談してたからね」

と言って、私に手渡しました。そして、厨房の奥に消えて行くと、私は思わずタツジに駆け寄りました。

「大丈夫、タツジ? 大丈夫?」

彼は、まだ小さな子供のように泣きじゃくっていました。何が起きたのかなんて、分かりません。だって、あんな奇妙な行動のどこに泣ける要素があるのか理解出来なかったんですから。でもタツジは、小さな引きつけを起こしながら

「忘れない、一生忘れない…」

と、言ってまた泣いたのです。そして、涙を拭うと、私の手の中にあるメモ書きを手にとって見つめました。その顔は初めてみる真剣な顔でした。たしかに、いつだって彼は真剣な顔で料理していたけれど、その時の顔は、それまでのどれとも違ったんです。


 その後、私は慌てて再び事務室で新しいメニューを印刷すると、今度は円卓のセッティングに走り回りました。厨房にあるサービスの準備場で人数分の銀食器を磨いていると、横目に調理するミュラーパパとタツジが見えました。

 二人とも、笑っていました。並んでオーブンを覗きこんでわくわくしている姿が見えました。「こうだよ、もっとこうやるんだよ!」と並んでフライパンを振る二人が見えました。「次は、あっちでお魚料理だ!」「今度はこっちでメインの付け合わせだ!」と、厨房の中を笑いならら走り回る二人を見ていると、まるで嬉しそうに公園で遊んでいる子供のようなのです。あんなに楽しそうに調理するタツジは初めて見ました。今度は、それを見ていた私が何だか嬉しくなって、思わず泣いてしまったのです。


 出来上がった料理は、当初ハンス先生が予定していた高級フランス料理とは違い、とても素朴なドイツ料理のフルコースでした。それでも、来賓のVIPの方々は、料理を口に運ぶ度に感激し、絶賛を繰り返しているのです。そして、料理も最後のデザートが終わり、円卓に料理人が呼び出される段になると、そこに現れたのは、ミュラーパパではなく、バツが悪そうに頭を掻くハンス先生と、まだ、興奮さめやらぬ、といった顔のタツジでした。私は手にしたデザートワインのボトルを抱きしめたまま、拍手される彼をとても誇らしげに見ていたのです。



 大きく息を一つ吐き、私はそっと日記を閉じた。何だか鼻の奥が熱っぽい。気が付くと、辺りはすっかり夕焼けの色に染まっていて、庭にはもう誰の姿も無く、ただただ街路樹が長い影を伸ばしていた。うん、日記を読むのは終わりです。だって、続きを読もうにも、すでに胸がいっぱいで、すっかり満足してしまっているのだから。そして、思い出したんだ。あの、お母さんが作った料理以外に味わった、コロコロと丸くて優しい味の正体を。それは、あの日、あのコースの後、タツジが残った材料で私に作ってくれたカイザーシュマーレンの味だった。

それは、私の知っている、ドイツならではの素朴なものとは違い、彼がアレンジした、フルーツやアイスクリームが乗ったものだったけれど、一口食べて、私は分かった。あの、寂しくて尖った味が、もうそこには無くなっていた事を。

月日が過ぎ、日記を読み返して今更ながらに分かった事がある。あの日、ミュラーパパは、凍りかけて、悲鳴を上げていた彼の心を溶かしたのだ。

「料理は戦争じゃないよ」

「食べ物は命で、プラスチック製品じゃないよ」って。


 卒業後、タツジはマネージメントには進まず、ミュラーパパの紹介で、何年間かドイツのレストランやホテルを渡り歩き修業を続け、最後の数カ月はホテルアカデミーに戻って、日本人ながらにハンス先生の助手として生徒を教えていた。と、風の噂で聞いた。やっぱり、彼は料理に進むべき人だったんた。

私はベルリンのホテルに就職した。働き初めてしばらくして日本語を学び始めたのは、当時、日本人客の爆買いでお客様が多く、フロント業務をするのに需要があったからだけでは無かったんだと思う。たぶん、彼と彼の母国語で話してみたかったからなのだと、今更ながらに気が付いた。まあ、今では、なんとか意思疎通が出来る程度くらいしか覚えてないけれど。


 日記を閉じ、木箱から飛び降りると、何かが足元に落ちた。拾い上げると、それは、恐らく日記に挟んであっただろう当時の古い手書きのアドレス帳で、これが、私が今回帰郷した本来の理由だった。

 卒業してから初めての同窓会。昨日突然、カルフォルニアのホテルに勤めているマイケから久しぶりにSNSが来たかと思ったら、書いてあった内容は、それの相談だった。当時は、今みたいに、誰もがパソコンや携帯を持っている時代じゃなかったから、全部、手書きのアドレス帳に住所と電話番号を書き残してたのだ。もちろん、あの頃は皆若かったし、何人が今もこのアドレスで連絡が取れるか分からない。


「まだ、料理は続けていますか?

 それとも、ホテルを継いで、今では立派な社長さんですか?

 また、あなたのお料理を食べてみたいです」


 夕日を眺めながら小さく呟くと、私はそっと日記を引出しにかたづけた。








6品目 おわり























【白梅堂レシピ by白梅堂店主・蔵田龍二】

 四品目『カイザーシュマーレン』


 今回ご紹介するカイザーシュマーレンとは、オーストリアの代表的な『おやつ』ですが、これはオーストリアだけには留まらず、ドイツ、スイス、オランダやベルギーの一部でも皆に愛されているゲルマン系の『国民食』みないな物です。

 具体的に言うと、ラムレーズン風味の一口大にほぐしたパンケーキ(ホットケーキ)で、仕上げにたんまりと粉糖を振りかけてあるのが特徴です。作り方は極めて簡単で、市販のホットケーキミックスにレーズンと、隠し味のラム酒を混ぜればよいだけです。ただ、それだけでは面白くないので、あの時僕がカティアに作った時のレシピをここに綴ります。



『白梅堂のカイザーシュマーレン』

 【材料】

〇ホットケーキミックス

〇レーズン

〇ラム酒

〇生卵

〇生クリーム

〇粉糖

〇無塩バター(無ければ有塩でも可)

〇季節のフルーツ

〇バニラアイスクリーム

〇カシスリキュール


【作り方】

一)ボウルにホットケーキミックスと生卵1個、レーズンを入れ、生クリームを加えながら混ぜ、仕上げに少量ラム酒を加えます。

(ここでのポイントは、牛乳を使わない事と、生地を固めに仕上げる事です)

(生地の固さ目安は液状ではなく、マッシュポテトのような硬さにする事です)

二)フライパンにバターを溶かし、生地を入れ、弱火で焼きます。

(通常のホットケーキと違い、液状ではないので濡れた指先で広げます)

三)弱火で焼き上げ、割りばしや竹串等を使い、中まで焼けたらパンケーキは完成です。

四)焼きあがったら、お皿に乗せて粗熱を取ります。

五)スプーン二本を使い、パンケーキを一口大にちぎって行きます。

六)お皿に山のように盛り付けたら、上から粉糖を振ります。

(この時点でカイザーシュマーレンは完成しますが、以降は僕のオリジナルです)


七)季節のフルーツをちりばめ、頂上にディッシャーで丸く抜いたバニラアイスを乗せ、全体的にカシスリキュールをまぶして完成です。



それでは、今回のレシピのポイントです。

まずは

【牛乳を使わずに生クリームを使う】

実は、しっとりとしたパンケーキを焼くにはコツがあります。それは、生地に溶かしたバターを混ぜ込むという技法です。これは、バターは水分ではなく油分なのでパンケーキの調理では蒸発しません。なので、しっとりと中に残るのです。では、『バターを使えばいいじゃない?』と言われると思いますが、僕のように一人でやっている飲食店だと、お酒から調理まで独りで行うのでバターを溶かす時間が無いのです。中には『溶かしておけば良いじゃない?』と言われる方も多いかも知れませんが、溶かしバターにすると油分と乳成分が分離してしまうので、あまり好きではありません。そこで生クリームなのです。ほら、子供の頃にやりませんでした?フィルムケースに生クリームを入れて振る実験。そう、バターが出来るやつです。そう、生クリームとバターは基本同じ物なのです。これなら液状のまま冷蔵庫で保存が出来るので、便利なのです。そして、バターよりも水分量が多いので、牛乳を入れずに生クリームで仕上げます。


【生地の固さ】

 通常のパンケーキの生地は液状に近いです。でも、僕のカイザーシュマーレンの場合は、マッシュポテト状の生地に仕上げます。これは、比較的まだ温かいうちにスプーンでちぎらなくてはならないからです。水分量の多いパンケーキはふんわり柔らかくて美味しいですが、実はあれ、中の気泡が熱膨張で膨らんでいるからなんです。なので、通常のパンケーキを温かいうちに千切ろうとすると、瞬く間に萎んでお餅のような食感に変ってしまうのです。ですから、小麦粉、ようは固形分の割合を多くしてやる事で、千切っても萎まないしっかりとした生地を作るのです。出来上がったパンケーキは、どちらかと言うとカステラや、スポンジケーキに近い食感になります。


それでは楽しいデザートライフをお楽しみください。

白梅堂店主・蔵田龍二

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