第3話【叫び声は、音楽に乗って空を飛ぶ】

踊る

踊る

ワルツを踊る

奏でる

奏でる

音色を奏でる。

そして俺達は緑の中に溶けて行く。


 紅葉が始まるにはまだまだ気の早い小川に沿った秋晴れの林道を、俺達の操る数台のバイクは、陽気な音楽を奏でながら右へ左へ踊りながら流れて行く。緩やかに続く細いアスファルトの九十九折り、広葉樹のアーチが作り出す濃いマーブル模様と、思わず目を顰めたくなるような木漏れ日のシャワー。大きく息を吸い込むと、胸一杯に山の匂いがした。

 瞬間瞳を閉じ耳を澄ますと、沢山の素敵な音が聞こえた。

一番後ろから聞こえるペンペンという甲高い音は、今では希少価値になっちまったツーサイクルエンジンの音。パワーバンドの四千回転あたりから爆発的な加速を見せるこのエンジンと一二〇キロそこそこの異常に軽い車体が織りなす運動性能。本当なら、こんな気持ちのいい道は、花畑を舞う蝶みたいにヒラヒラと自由に走りたいだろうに、ご愁傷様な事にオイルの混じった煙を吐くから、隊列を組むとどうしても最後尾しか走れない。

ファンファンと気品すら感じる優雅に滑る音色は大型の四気筒。

空高く突き抜ける透き通った高音は、これまた希少価値になった小型高回転の四気筒。同じ四気筒エンジンなのに排気量の違いで高音低音。まるで管楽器のようだ。

そして、ドラムは俺。響く重低音は、自慢の900L型ツイン。気の利いた事にガラガラ、シャラシャラと、まるでハイハットのような乾式クラッチのおまけ付きだ。そんな俺達は、上級者あり、初心者ありの愉快なごちゃ混ぜ楽団だ。自然を切り裂くのではなく、辺りの景色に溶け込みながらゆっくりとしたペースで踊っていた。

 ふと、前方の梢で枝が揺れた。通り過ぎざまに見上げると、木の葉の影で栗鼠の親子が俺達の音楽に合わせて踊っていた。ガードレールすらない路肩、小川の清流で揺れるのは、あれはきっと岩魚だろうな。あいつは、塩焼きにしたら旨いんだ。半身だけ食べて残りは骨酒ってのもいいな。遠火でゆっくり、カリカリのカツブシみたくなるまで炙るんだ。よく、丸っと一尾を骨酒に。ってのがあるが、あれは味が濃くなりすぎて俺はあまり好きじゃない。なんつーか、味が濃すぎて下品なんだ。酒二合くらいで作るなら、半身くらいが丁度いい。あとは、あれだ、仕上げに余分なアルコールは火をつけて飛ばすのがいいな。すると、濃厚だけど品の良い吸い物みたいな骨酒が楽しめる。ま、どれもこれも、俺の目の前を走る白梅堂のクラタツの受け売りなのだが。

 俺はバイクが好きだ。まあ、そういう年代生まれで『男は車の免許だけじゃなく、バイクの免許も持ってるのが当たり前』っていう青春時代を送ったから、車より先にバイクを買った。ホンダの単発400CCだった。結構珍しいバイクで、ネイキッドにロケットカウルを付けたカフェレーサーだったから、どこに停めても目立つ自慢の一台だった。

 ジジ臭い言い方だけど、あの頃は良かった。誰かとつるんで走るにも、相手を探すのは簡単だった。誰も彼もがバイクに乗ってたからな。それがどうした事だ、今じゃ周りを見渡しても乗ってるヤツなんて数える程も残っちゃいない。車だってそうだ。二十歳の頃、皆、早い車に乗ってたクセに、彼女が出来た途端に『彼女をスキーに連れて行く』って言いだして四駆に乗り換えた。そして子供が出来ると、まるで口裏を合わせたようにワンボックスに乗り換えて、子供の学費がかさむ頃には一気にハイブリッドだ。

―俺は、今でもバイクに乗っている。

ずっと乗っている。バイクってのは面白いもんで、少しばかりおセンチになると無償に乗りたくなる。今日だってそうさ、風に吹かれながら思いを巡らしたい。そんな気分にさせんだ。ただ、実際乗ってみると、じっくり考え事なんてしてる暇はない。次から次へと視界に飛び込んでくるカーブ。そしてそのの度に、前輪ブレーキやら、体重移動やら、アクセルワークやらと、とにかく忙しことこの上ない。なんせ、タイヤは二本しかないから、操作を間違えるとすっ転ぶ。それに、何より乗れてないと楽しくない。そんなめんどくさい乗り物なんだが、その代わり、こうやって風と360度の景色に出会えるんだ。ただまあ、裏っかえしてしまうと空しさもある。バイクを降りた奴らは、可愛い奥さんを見つけて家庭を築き、いい意味でおっさん、大人になって行った。反面、俺はと言うと、この歳になっても独身で、やってる事も二十歳の頃とたいして変わっちゃいない。『いつまでも少年の心を忘れない』って言えば聞こえは良いが、当の本人からしてみたら、自分が人間として年齢相応以下の未発達で出来そこないのような気がしてたまらない。そりゃあ、俺だって可愛い彼女は欲しいさ。欲しくない訳ないだろう。でも、歳を追う毎にどんどんそのハードルは高くなる。『せめて後10歳若ければ…』とかも思う事はあるが、よくよく考えれば20代の頃ですら彼女が出来なかったんだから、今さら若返ったところで、余分に『モテない人生を余分に繰り返すだけ』だと気付いて切なくなった。

ヘルメットの中で大きなため息をつくと、ふいに目の前を走っていたクラタツがアクセルから手を離した。そして、俺に向かって指先をヒョイヒョイと動かした。何が言いたいかなんて、バイク乗り同士ならそれだけですぐ分かる。

『ヤマちゃんどうよ、気持ちいい道だから先頭を走んなよ』

ヤツはそう言ってんだ。なんつーか、それはちょっと有難い。ちょうど飛ばしたい心境だったんだ。俺は、コクリと頷くと、ギアを2つばかり落として思い切りアクセルを開けた。ドンという衝撃と共に、体と意識が後ろにずれた。そしてそのまま大型二気筒特有のヤンチャな加速と共に、互い違いで走る千鳥の隊列から抜け出して一気に先頭に出る。その瞬間、世界が景色を変えた。長く続いた木漏れ日のアーチが終わり、一面の緑が広がった。高原にある見渡す限りの田園地帯へと出たんだ。遠くには連なる3000mの山々が、そして、眼下には俺達の街が広がった。風に吹かれて色を変える刈り入れ間近な稲穂と、まだまだ強い日差しを受けて輝く色とりどりのトタン屋根が、まるで煌めく夏の海のようだった。

―世の中には、こんなにも美しい光景があるんだ。

毎度毎度、バイクに乗る度にそう感じる。そう、なにも無理して外国に行く必要なんてないのさ。ちょっと日常から離れただけで、綺麗な物は身の回りにいっぱいあるんだ。バイクは、いつだってそれを教えてくれる。

 広がる田んぼの中を真っすぐに伸びる農道。集団を引き連れて走る俺は、ギアを一番上に上げて両手をハンドルから離すと、そのまま思い切り大の字に広げた。吹き抜ける風が、めんどくさい事も、嫌な事も全部吹き飛ばしてくれるような気がした。そう、こんな大きな世界の中、俺っぽっちの悩みなんて、本当にささいな事なんだ。

「絶対に、歳下で美人の嫁さんをゲットするぞ!」

遠くの山々に向かって俺は吠えた。

ああ、そうさ。そうなのさ。何を悩む事がある。たった、それだけの事じゃねぇか。

うん、やっぱり不細工よりも、綺麗な方がいい。

良いに決まってる。

アラフォーの俺にだって、チャンスはまだまだ沢山あるに決まってる。

自分で終わりを決めなければ、いつまでも物語は続くんだ。

この歳まで我慢したんだ、ここで妥協してどうするよ。諦めてどうするよ。

そうさ、綺麗なのがいいんだ。景色も、料理も、バイクも、そしてもちろん女もだ。

俺の小指から伸びている赤い糸は、きっと人より長いんだ。だから手繰るのに多少時間がかかってるだけさ。

…まあ、あれだ、うん、つくづくそう思ったわけだ。


 


   第三話【叫び声は、音楽に乗って空を飛ぶ】

 

                    (一)

 夜勤明けの連休初日、昼近くになって気温が上がると、俺は寝苦しくなって目が覚めた。とりあえず腹が減ったので一階に下りてみたが、いつもなら階段の途中から聞こえる賑やかに話す親父とお袋の声も、お昼のワイドショーの音すらも聞こえないから、どうやら本当に誰もいないらしい。

「母ちゃん、昼飯あるか?」

暖簾から顔を覗かせるように台所を覗いてみたが、そこはもぬけの殻だった。

まだ半分寝ている頭で記憶を遡ると、最後に母ちゃんを見たのは今朝だった。朝早くに夜勤から戻ると、確か何やら慌ただしく準備をしながら「梨狩りに行く」だとか「あんた好みなのをやわって(支度して)おいたから」みたいな事を言ってたような気がする。ああ、なるほど、これは最近多いやつだな。

 今年の春、長年続けた一人工務店を廃業してからというもの、親父とお袋はしょっちゅう二人で出掛ける。どうやら、七十を過ぎると運転免許の返納のプレッシャーを感じるようで、今のうちにと言わんばかりに二人でドライブばっかり行きやがる。

 まあ、それはそれ、一人棟梁で四人の子供を育て上げ、寝ても覚めても仕事ばっかりの人生だったんだろうから、二人で青春を取り戻そうとしてる姿は、正直ほほえましく思う。ただあれだ、俺好みの昼飯を準備しておいたみたいな事を言ったわりには、台所には何の支度もされてないのが気になった。

「まさか、もうボケたか?」

俺は、とりあえず置いてあったばかうけを一つつまみ上げると、封を開けて頬張った。

改めてお勝手辺りを目で探す。今までは出かけるにしろ、夜勤明けの俺の昼飯は準備してあったはずなのに、コンロの上から冷蔵庫から覗いては見たけれど、やっぱりどこにも昼飯なんてなかった。これは、あれなのだろうか、ボケが来たとは思いたくないから、遊びに行くのに気が逸って、俺の飯を作ったと勘違いでもしたのだろうか。それともあれか?

『お前も三十七になったんだから、そろそろご飯を作ってくれる良い人を見つけなさい』

という、遠まわしな嫌がらせ、プレッシャーなのだろうか。

 とりあえず冷蔵庫に入っていた麦茶のボトルを取り出して、流しにあった適当なコップに注いでみた。そして、「まあ、考え過ぎだろう」と、思いながら一気に飲み干すと、ガラスの引き戸で繋がった隣の茶の間にあるちゃぶ台の上に、何やら色鮮やかな外見の弁当箱のような物が乗ってるのが横目に見えて胸を撫で下ろした。

「なんだ、ちゃんとあるんじゃねぇかよ、俺の昼飯…」

そう思って、茶の間に入った途端に背筋が凍りついた。いや、だってさ、ちゃぶ台の上にあった色どり豊かな物体は豪華な弁当箱なんかじゃ無くて、なにやら派手な表紙の冊子みたいなのだったんだから。

―そう、空になったコップを片手に恐る恐る近づいてちゃぶ台を見下ろすと、やっぱり見れば見る程、それは想像していた通りの『お見合い写真』に見えた。

…どうやらこれは、思いすごしなんかじゃなくて、本格的に結婚しろと言われてるようだ。

 とりあえず、胸の鼓動がうるさいから慌てて台所に戻って、深呼吸をしながらもう一杯麦茶を注いてみた。そして、改めてちゃぶ台の前で胡坐をかいて腕組みをすると、お見合い写真の表紙とにらめっこしながら思いを巡らす事にした。

 開けようか…

と、思って手を伸ばし、怖気づいて手を引っ込める。そんな事を繰り返しながら俺は考えた。

 いや、たしかに、自分の予感が的中しちまったから気味が悪くて悪寒を感じたが、よくよく考えればこれは悪い話しではないような気がする。そりゃあ、今現在、彼女が居るってのならアレだけど、実際、三十を過ぎてからはそんな女性は一人もいないから、別に断る理由がないんだこれが。て、言うか、職場でも同世代で結婚してないのは、もう俺くらいなもんで、最近じゃあ後輩どもからも「山田さんはいいですね、独身貴族で」とか「お給料がまるまる小遣いだった頃が懐かしいです」とか言わる始末だ。もちろん、主義主張があって独身貴族をしている訳でもないし、出会いが欲しくない訳でも無いけれど、冗談抜きで機会がないんだから仕方ない。だったら、見合いも一つの手段としてはアリなような気がしたんだ。そりゃあまあ、こうやって自分の知らない所でおぜん立てとかされちまうと、何だか母ちゃんの掌で踊らされているような気がして釈然としない部分もあるにはあるが、そこいらへんを呑み込んで割り切ってしまえば、これはこれで楽でいい。ついついそう思っちまったんだ。そう、世の中には「ハンカチ落ちましたよ」から始まる恋だってあるわけだから、男と女が知り合う切っ掛けってのはべつに何だっていいような気がする。

―あとはまあ、ビジュアルが問題なわけだが…

 さんざん見合い写真の表紙を眺めたあと、ゴクリと一口麦茶を飲み込んで、俺は表紙をめくる覚悟を決めた。でも、実はそこら辺はあまり心配はしてなかった。だって「あんた好みなのをやわって(見繕って)おいた」って、このお見合い写真の事なんだろ? だったら何の心配もない。なんせ、母ちゃんは俺が無類の面食いで小学校の頃からアイドルや女優さんが好きなのは知ってるし、十年くらい前にちょっとだけ付き合った彼女だって、そこそこ美人なのも知ってるはずだ。だから、確実にそれなりの娘を見繕ってくれてるに違いない。そうあれだ、この俺の目の前にある見合い写真は、最近ハマってるソシャゲで例えるならば『Sレア確定チケット』みたいなもんだ。間違いなく、それなり以上が出て来るはずだ。そうなると、後は方向性だ。綺麗系が来るか、可愛い系が来るかだ。俺としては可愛い系だと嬉しい事この上ない。だってさ、顔立ちが整った美人は黙ると怖く見えるし、こっちが委縮しちまうんだ。だから、少しくらい愛嬌のある顔立ちの娘だと有難い。歳はあれだ、十個も下なんて贅沢は言わない。三つ四つくらい下でも可愛ければ十分だ。なんせ、最近の三十代の女性は若く見えるもんな。うん、それで充分だ。

 気がつくと、覚悟を決めてから、さらに十分以上、妄想空間の住人になってしまっていた。『意気地なし』とか言ってくれるなよ。だってさ、なんて言うか、このドキドキ感がたまらないじゃんかよ。そんなに焦って捲ったらもったい。いや、ほんと、母の愛情に感謝ってやつだ。

「母ちゃんありがとう! さあ、出てこい、俺の可愛い子ちゃん!」

俺は勢いよく目の前で柏手を打つと、そのままの勢いで表紙をめくって、そのまま大慌てで見合い写真を閉じた。心臓がとんでもない勢いで鼓動を打ち、自分でも分かるくらいに目が躍って焦点が定まらなかった。

「…いやまて、ちょっとまってくれ」

なんだこれ、体中から脂汗が出ているぞ。表紙を摘まんだまま硬直している腕には鳥肌が出まくってるし、これはきっと見間違いに違いない。そうに違いない。

 もう一度、大きく深呼吸をして心を落ち着かせると、俺は改めて見合い写真を開いた。

…うん、やっぱり見間違いなんかじゃなかった。

そう、そこに写っていたのは、絶世の美女でも、愛嬌のある顔立ちの可愛娘ちゃんでも無かった。えらくコロコロした体格の、どう考えても俺より年上だろうと思われる女装したおっさんの晴れ着姿だったんだ。

 プルプルと痙攣しながら、しばし思いを巡らす。そう言えば、昔連れて来た彼女も二つばかり年上だったような気がするし、よくよく考えれば、当時小学生だった俺からしてみたら、十代後半や二〇代のアイドルや女優さん達は、確かに年上と言えば年上だ。しかし、常識的に考えて、それは違うよおっかさん。着目すべきはソコじゃないだろ? 大事なのはビジュアルだろ!? 第一あれだ、俺よか年上とか、完全にただの熟女縛りじゃねえか。

 そして、しばらく写真を見つめたまま硬直していたけれど、だんだん怖くなって来たからそっと表紙を閉じた。いや、怖かったのは写真の女性の見た目じゃないんだ。一応あれだ『世の中には不細工はいない』ってのが俺の持論で、それを公定しないと『ブサメン』の自分自身が救われない。そう、好みなんてものは十人十色だから、どんなビジュアルだってきっとどこかに需要はあんだ。俺だって、この人だって。絶対にこういう人がいい!って言ってくれる有難い人間は、どっかにきっといるはずだ。

「…でも、違うんだよ母ちゃん。

  この人じゃないんだよ」

思わず項垂れたまま呟いた。だって見えちゃったんだよ、想像できちゃったんだよ、この女性に怒られたり、尻に敷かれてる自分の未来が。そう、これはあれと同じだ。先月、三十七になって、アラフォーって呼ばれるようになった時もそうだったんだ。人生的にも、社会人としても折り返し地点に来ちまったんだと気が付いて寒気がした。これからも無限に続くと思ってた『あした』は実は有限で、今まで歩きてきた分の、経験してきた分の長さしかもう俺には残されていないと気が付いた時の恐怖と同じだったんだ。

 途方に暮れてもう一度見合い写真を開くと涙が出た。

『三七歳でしょ? 倍にすると七四歳だよね? そこまであなた生きれるの? じゃあ残った時間は半分以下だね』

写真の女性がそう語りかけてるように思えた。

『二〇年近く社会人やったんでしょ? もう一回同じ時間繰り返すとほぼほぼ定年ね。あなた、今でもいつかは大社長になれるとか夢見ているの?』

そう言ってるような気がした。

「分かってるよ! 知ってるよ! だから、俺にはもう『可愛い嫁さん』くらいしか夢が残ってないんだよ!!」

口惜しくて思わずそう叫んだけれど、写真の中の女性は

『何言ってるの? いい加減現実を見たら? 鏡を見たら? あなたが今から『普通の人生』に軌道修正するのには、もう私と結婚するしかないじゃないの?』

って、ほくそ笑んでたんだ。

やるせなくなって廊下に出た。自分でも、ふらふら、ゆらゆらとまるで千鳥足のようにつま先に力が入って無いのが良く分かった。なんせ、視界がぐらぐら揺れているんだからさ。

「面食いで悪いかよ…」

「美人の奥さんとの幸せな家庭を夢見ちゃダメなのかよ…」

無意識にそんな言葉が漏れていた。

…いつからだろう、俺がこんなに面食いになっちまったのは。

ガキの頃、イタリア製のスーパーカーが好きだった。でも、値段を知って諦めた。

社会に出た頃、国産のGT-RやRX-7が欲しかった。でも、維持費が凄くて買えなかった。

どれもこれも、性能なんかじゃ無かったんだ。見た目が綺麗でかっこよかったんだよ!

正直、自分で何を呟いてるのか分からなかったけれど、まるで念仏みたいなのが聞こえていたから、なんかしらぼやいていたに違いないんだろうな。そして、そのまま色んな所にぶつかりながら廊下を進み、広い玄関先の土間へと裸足のまま降りた。ここは親父が工務店時代に木材の加工に使ってた場所で、今ではがらんどうのガレージだった。使われなくなって、車検も切れちまった軽トラックの横に銀色のシートが見えた。俺はそれをはぎ取ると、現れた真っ赤でセクシーなボディラインのバイクに頬ずりした。

 ああそうさ、高級な4輪は買えなかったけれど、バイクなら憧れ続けてた美人を手に入れる事が出来たんだ。ほんとうにそうさ、バイクなら、ローンさえ組めば理想の相手を手に入れられるのに、どうして結婚相手ってのはこうも難しいのだろう。そして、そのまま愛車にすがるように、俺はぺたりと土間の上にへたり込んだ。

 そんな時だった、ふいにジャージのポケットの中で携帯が震えた。驚いて手に取ると、画面にはSNSのメッセージの着信履歴があって、それは行きつけの店のマスターからだった。

『ヤマちゃん、ひょっとして休み? みんな集まってんだけど、もし暇なら一緒に走んない?』 

それは、そんな内容だった。改めて画面を見ると、今日が日曜日だという事に気が付いた。そう、俺の行きつけの店、白梅堂というまるで骨董屋みたいな名前のダイニングバーは、マスターのクラタツがバイク好(ず)きなんだ。天気のいい日曜のランチ時は、誰が言い出すわけでもなくバイク乗りの常連が集まるんだ。

 俺は慌てて「暇!」とスマホに打ち込んで、その後立て続けに「すぐ行く!」と付け加えた。


               (二)

 木漏れ日の林道をくぐり、高原の田園地帯を抜け、白樺の街道を越えた先に、俺達の目的地の道の駅はあった。さすがに日曜日だったから駐車場はいっぱいで、順番待ちの車は外の道路まで行列を作っていたけれど、そこはバイクのいいところ。何てことはない、二輪用の駐輪場はまだまだ余裕があったから、そのまま数珠つながりの車達を追い越してすんなりと駐車スペースを確保した。

 各々がメットを取ると同時に集まりだして、道中見た景色やら、自分のバイクの話しやらに花を咲かせ始めた。俺はと言うと、とにかく腹が減っていた。本当は、白梅堂でランチを食いたかったけど、到着した頃には皆、ランチも食い終わって準備も万端で、そのまま出発する事になっちまったんだ。ただまああれだ、目的地のここの道の駅には俺の好物もあったから、それはそれで良い休日の昼飯にありつけると思っていた。

 バイクのスタンドを立ててエンジンを切りヘルメットを脱ぐと、俺は一目散に、道の駅の前にある露店のテントに向かって走り出した。お目当てはカレーパンだった。何年か前からここの屋台で売ってるやつで、半生の白焼きカレーパンを、注文が入ってから油で揚げるんだ。これが外側の衣はサクサク熱くて、パンの生地はフカフカほふほふで、さらに中からトロっと液状のカレーが出て来るんだ。

 想像しただけでも溢れそうになるヨダレを我慢してて順番待ちの列に並ぶと、あろうことか、カレーパンは俺の前のお客で売り切れた。腕時計を見るともう三時近くて、そりゃあ、こんだけの人混みなら、むしろこの時間まで売り切れて無かった方が不思議だったのかも知れない…と諦めた。まったくもって、泣きっ面に蜂とはこのことか…。山ん中の道の駅、ここ以外で飯を食えそうな場所はと言うと、施設の中のレストランくらいなもんだけど、さすがにチームの皆をほっといて、自分一人でレストランというのも気が引ける。俺はガクリと肩を落とすと、昼飯を食うのを諦めた…

トボトボと、駐車場でたむろする皆の所へ戻る途中、俺は自販機に立ち寄った。そして、コインを投入すると一番甘そうなカフェオレを選んだ。なんつうか、糖分補給いうか、甘い方が空腹を紛らわせそうな気がしたんだ。

「綺麗なドゥカティですね! 何て言う車種なんですか?」

しゃがみ込み、取り出し口に手を突っ込んだ瞬間、突然背後から声をかけられた。しかもそれは驚いた事に若い女性の声だった。いやあ、こいつには本気で驚いたんだ。だって俺の人生の中、見知らぬ女に声をかけられるなんて経験、一度も無かったんだから。しかも、若い女だぞ!?

「こいつはSS900っていって、ドゥカティの中では不人気なバイクですよ」

俺は、少しでも気を抜くと上ずって裏っ返りそうになる声を気合で押さえつけ、なるだけ平然を装ってそう答えながら振り向いた。すると、こいつはいったい何という事なんだ? だってよ、目の前に立っていたのはえらく可愛い女の子なんだ。思わずおったまげてしまって、しゃがんだまま後ろに転がりそうになったくらいだぞ。

「え? そうなんですか? 不人気車には見えませんよ、凄く綺麗な形してます!」

彼女は驚いた顔をしながらも大きな瞳をキラキラさせて、少し先に停めてある俺のバイクを眺めていた。歳の頃は、20代半ば、いいや、割と童顔だけど落ち着いた雰囲気もあるから、ひょっとしたら20代後半もあるかも知れない。とにかく、風になびく長い髪を少しわずらわしそうに耳に掛けるしぐさがたまらなく可愛かった。そして、よくよく見ると、彼女の着ているジャケットとヘルメットには見覚えがあった。今日の白梅堂のプチツーリングで、確か、ホンダの『VTZ250』なんていう30年も前のえらく懐かしいバイクに乗ってた人だ。男にしてはえらく小柄だから、恐らく女の人だとは思っていたが、まさかこんなに器量よしだとは思ってもみなかった。

「は、白梅堂の常連さんなんですか?」

「じょ、常連なんておこがましいです! 今年の春からたまにお邪魔してるくらいですよ」

「夜?」

「そうですね、休みの日なんかはお昼にお邪魔する事もあるんですけど、だいたいは夜が多いです。マスターには色々よくしてもらってるんで、ついつい仕事終わりに足を運んじゃうんです。あ、でも、良くしてもらってるって言っても、オムライスのレシピを教えてもらったりとか、そういうんですけどね」

そう言って彼女は照れくさそうな顔をしたが、またそれがえらく可愛かった。

「バイクには元々?」

「いいえ全然です! 最近免許取ったばかりですよ。私、運動とかあまり得意じゃなかったんですけど、ほら、マスターって口を開くと、お料理か釣りとバイクの話しばかりじゃないですか。あまりに楽しそうに語るもんだから、なんだか気持ちよさそうだなぁって。いいですね、バイク。もっと危ない乗り物だと思ってました!」

「そうなんですよ! そんなに危ない乗り物なら、そもそも国が乗せませんて! 車だってバイクだって、人が運転するものですからね、ちゃんと操作すれば凄く綺麗な景色が見れるんです! 見ましたか、さっきの景色!」

「リスの親子!!」

彼女嬉しそうに飛び上がると、また一段と楽しそうな顔をした。俺も嬉しくて、無我夢中で話した。

 なんだろう、この胸が温かく早鐘を打つ感じ。凄く懐かしい気がする。よくよく考えてみても、ここ10年、最後の彼女と別れてからは、仕事ばっかりしていて、こんなに綺麗な女性と楽しく会話した事なんて一度も無かった。そうさ「ハンカチ落ちましたよ」からだって恋ってのは始まるんだ。だったら、これはかなり上等な出会いじゃねえか。年齢差だって、20代後半だとしたら一〇個も違わないかも知れない。そりゃあ、一〇個だって離れているには離れているが、絶対に無理っていう差でも無いはずだ。ワンチャン、無い歳の差じゃない。

『もっと話していたい』

俺の心がそう叫んでいた。ほんと、女性に対してこんなにもアグレッシブに、前のめりに頑張る自分って何年ぶりだ? とにかく、もっと彼女と話したくて、この時間が終わって欲しくなくて、俺は一生懸命に話題を探した。でも、こういう時って、普段の練習不足が祟るのな。一度会話が途切れると、どんなに自分の中の引き出し漁っても、気のきいた話題なんて一つも思い浮かびやしないんだからさ。

 だけどあれだ、この時の俺は神がかってたと思う。だってさ、幸運にもそれはすぐに見つかったんだからな。そうそれは、何てことない彼女が乗ってたバイクだ。そりゃそうだ、今んトコ、俺達の共通の話題は白梅堂とバイクしかないんだ。俺は、ここぞとばかりに自分が持ってるバイクの知識を総動員させて語り始めた。そう、ホンダが生んだ奇跡の名作エンジン、VTエンジンの話だ。彼女が乗ってる30年前のVTZ250と、現在も新車で売られてる最新のVTR250は、姿さえ随分違えど、実は同じエンジンを積んでるなんていう豆知識とか、もう、とにかく持ってる物は全部つめこんだ。まったく、料理とバイクの話しばかりする誰かさんを笑ってる場合なんかじゃない。

 そして、話題が俺の乗ってる不運の名車、ドゥカティのフラッグシップだったはずの900スーパーポーツの話しになった頃にふいに肩が叩かれた。振り向くと、コーヒーを飲んでるクラタツが立っていた。

「ヤマちゃん、一人でなに熱く語ってんの?」

その言葉に慌てて周りを見渡すと、さっきの美女の姿はすでに無く、遠くの駐輪場でバイクを囲んで談笑する白梅堂の常連の輪に加わって、なにやら楽しそうに笑っていた。

「…なあ、クラタツ?」

「なんだい、ヤマちゃん」

「さっきの美女、あれだれ?」

「ああ、瞳ちゃん? この春くらいからの常連さんかな?」

「いくつ?」

「歳?」

「そう」

「詳しくは知らないけど、短大卒業して何年か前からホテルで働いてるって言ってたから、22とか、3じゃないか?」

それを聞いて、俺は思いっきりうなだれた。てーか、聞かなきゃ良かった。それじゃあ、一回りどころか、十五も離れてるじゃねぇか。

 クラタツはなんともバツの悪そうな顔をしていた。

「あー、なんだ、ヤマちゃん」

「…なにさ?」

「明日暇なら、寿司食いに行かない? 富山」

「…ご馳走になります」

「…うん、まあ、そうだな」

俺は、うなだれたまま足元の小石を突きながらそう答えた。クラタツは缶コーヒーを片手に、何だかご愁傷様といった顔で秋の空を眺めてた。



            (三)

 夜。俺は一人、家のある寺町から江名子川の桜並木に沿って伸びる坂道を下ると、そのまま繁華街の方へは進まずに、すっかり人気の無くなった桜山八幡の境内を歩いた。秋の夜長ってのは本当で、ちょっと前ならまだ明るかった時刻のはずなのに、今じゃすっかり真っ暗だった。

 結局、白梅堂のツーリングは、道の駅での現地解散になった。なんてことは無い、主催者のクラタツが『夜の店の準備があるから』と言って一足先に岐路に着くと、後はまるでクモの子を散らすように皆がそれぞれにバイクに跨ったんだ。

 帰り道、驚いた事に例の『瞳ちゃん』と俺はずっと二人で走った。驚いた事に、どうやら彼女の家も俺が住んでる寺町辺りらしく、結局俺達はずっと一緒だった。本当ならさ、こんな美味しい状況ってないよな。いつもの俺ならばきっと終始心が躍りっぱなしだったと思う。でもさ、今回は違ったのさ。なんつうか、色んな事が頭に浮かんで情けなくて情けなくて涙が出そうだったんだ。

―十五歳以上年下の二十歳そこそこ。

あの時、そう思ってガクリと肩を落としたのは、なにも淡い恋が破れた…と、思ったからじゃないんだ。なんつーか、もうちょっと複雑な感情だ。正直に一言で言ってしまえば『みっともない』って思っちまったんだ。だってよ、芸能人でもイケメンでもないこんなおっさんが、何を勘違いしてるのか、下手したら親子くらい歳の離れている姉ちゃんに夢中になって鼻の下を伸ばしてる。そうさ、『可能性の無い年齢差』じゃなくて『傍から見てみっともない自分』に対して愕然としちまったのさ。

 そして、一度そう思い始めるとマイナス思考は止まらなかった。だってよ、たぶんモテるオッさんは、そんな事すらも気にせずにアタックするんだろうなって思うとよ、『世間体ばかり気にして特攻して行けないから、お前はいつまでも独身なんだ』って自問自答がはじまっちまったんだよ。

 世間一般の夕飯時になって、音のデカいドカティのエンジンを手前で切り家の前まで押して来ると、土間の向こうの茶の間に明りが見えた。父ちゃんも母ちゃんも帰って来てたのは分かったけれど、ふいにあの見合い写真の事を思い出しちまったから、俺はそのままこっそりとバイクだけ片づけて夜の街に逃げ出す事にした。だってよ、こんな時にあの見合い写真を出されたら、思わず『はい』って言ってしまいそうな気がしちまったんだ。

 

 ライダーズジャケットのまま、長く続く八幡神社の参道を歩き、大きな鳥居をくぐって宮川を渡る。俺はポケットに手を突っ込んだままひたすら人気がなくて、真っ暗な住宅街をてくてくと歩いた。ぼんやりと光る街燈には幾つもの羽虫が舞っていた。通り過ぎる家々からは旨そうな晩飯の匂いがした。随分腹が減っていた。まあ、それもそうだろう、今日は缶コーヒー以外何も口にしてないのだから。


 ついつい通い馴れた白梅堂の前まで来ると、相も変わらず外まで外国人の笑い声が響いていた。この光景を見る度に、俺はしみじみ『変われば変わるもんだ』と、思ってしまう。かれこれ十三年、この店が出来てすぐから通い始めているから、たぶん俺が最古参の常連だと思う。

高校を出て何年か名古屋で働き、この街に戻って来たばかりの頃は、あまりの変わりように驚いた。ここいらは、俺の通ってた小学校も近くて通学路だったから良く知った界隈だったけど、いつの間にか、名物だったおばば横町のおばばの店は無くなっちまってただの横町になってるし、焼き芋みないた匂いがしてた製材所は住宅街になっていた。おまけに、その跡地にこんな正体不明なダイニングバーが出来てるもんだから物珍しくて入ったのが切っ掛けだった。

 この店は、今でこそ毎晩外国人でごった返してはいるけれど、そんなのはここ2~3年の話で、俺が知っているのはそれとは間逆の光景だ。来る日も来る日も閑古鳥で、営業時間中、客は俺一人だった…なんてのが殆どだった。嘘がつけない上に、高校卒業と同時に包丁一本で本場のヨーロッパに行っちまったクラタツの性分だな。『良い物を作りたい』『本物を作りたい』それに特化しちまったから、食う物は旨くてもデフレの波に呑まれちまったんだ。

そうそう、その頃は、まだ看板娘の小梅ちゃんがいた。珍しく忙しい夜なんか、宿題の途中なのに慌ただしく走り回る父ちゃんを見かねて裏で皿洗いを手伝ってたもんだ。たまに暖簾の隙間からピョコンと顔を覗かせて「ヤマちゃんさん、こんばんわ!」なんて言うんだこれが。ああ、可愛かったなあ、小梅ちゃん。何度かバイクの後ろに乗せてもやったなあ。ほら、クラタツのバイクはシングルシートだからさ。

「白梅堂」なんていう、骨董屋みたいな名前になった経緯も知っている。なんて事はねえ、娘から一文字取ったからさ。あいつ言ってたな「娘から名前を借りた以上、ちょっとはそっとじゃ店を畳めない」って。ああ、その通りにヤツはがんばったと思うよ。なんせ、10年も閑古鳥だったのに店を続けたんだからな。

 しかしまあ、まったくもって皮肉な話だ。ヤツが最愛の娘を失って、俺の前でボロボロに泣き崩れたあの日を境に、この店は変わっちまったんだから。いつ潰れてもおかしく無い有様だったのに、突然外国人でごった返すようになったんだ。気がつけば、今じゃ海外のガイドブックで星がついて、こんな田舎街の、しかも街外れの住宅街の中にあるにもかかわらず、外国人が選ぶ飲食店ランキングで、日本で五本の指に入ってるっていうから、まったくもって驚きだ。まあ、元々旨い店ではあったから、ある意味、実力なんだとは思うけど、俺にはなんだか、まるで自分が居なくなってもパパが寂しくて泣いてばかりいないように。っていう小梅ちゃんの置き土産のような気がしてならない。ほんと、どこまで親孝行な娘なんだと感心する。


 店に入ると、案の定ほぼほぼ満席だった。面白いように日本人の姿はなく、カウンター席からテーブルまで、いつものように西洋人で埋め尽くされていたけれど、よくよく見ると、カウンターの一番端だけがポツリと空いていた。この暑い時期のあの席は人気がねえんだ。だって、コンロの真ん前だからクーラーきかなくて熱いんだ。

「予約ないけどいいかい?」

少し悪戯気味にそう言うと、クラタツは

「お前のためにわざわざ空けてたんだ」

と、ほほ笑んだ。席に座ると、おしぼりより先に頼んでもない生ビールとカクテルグラスに刺さった自家製のササミの燻製が出てきたが、これは、ここに通い始めて13年間変わらない。変わったと言えば、やはり、この客入りで、前だったら毎晩一人でカウンターの中、退屈そうにしてたから、店に入れば俺も話し相手には困らなくて、二人でビールジョッキ片手に、営業時間なんて気にしないで夜中までバイクや、プラモデルの話しに花を咲かせたもんだ。それが、今では、それどころじゃないと言わんばかりに、ヤツは右へ左へとカウンターの中を動きながらオーダーを作るのに追われてる。確かにまあ、話し相手が無いのは少し寂しい気もするが、これはこれでアリだと思う。なんせ、この客入りも小梅ちゃんの計らいだと思えば腹も立たなかったし、何よりこんな気分の夜はうざったいくらいの賑わいの中、ジャズを聴きながら一人で飲むのもポツンと出来て嫌じゃない。

 3杯目の生ビールに口を付け始めた頃、突然隣に座る髭面のおっさんに話かけられた。西洋人の歳は良くわからんが、見たところ50代後半か60そこそこくらいだろうか、俺の隣の席で夫婦で酒を飲んでいた。生憎ながら、クラタツと違い、俺は語学はからっきしだから、何を言っているか全然わからなかったが、それでも酔ったオッサンはしきりに話しかけて来た。なんたるメンタルの強さだよ。俺は、頭の中で知ってる英単語を組み合わせて「アイキャントスピークイングリッシュ」と、言おうとも思ったが、さすがにツレの店でそんな塩対応をして評判を落としたら申し訳ないなと躊躇した。すると、溜まったオーダーがはけて来たのか、クラタツが間に入って来て。

「このおじさん、さっきから『お前はジャズは好きなのか?』って聞いてるぜ」

と、通訳をしてくれた。よくよく考えると、どうやら俺は、一人でビールを飲みながら、店で流れてるジャズに合わせて体を左右に振ってたようだ。どうやらそれがオッサンには、部類のジャズ好きに見えたらしい。俺はまた、知ってる英単語を頭の中で並べ変えて、なんとかかんとか「呑んでる時、ジャズはいい」的な事を言ってみた。すると、驚いた事に頼んでも無い生ビールが出て来た。どうやら「兄ちゃん気に入った。一杯俺に奢らせろ」みたいな話らしい。

 正直、外国人が増えてからのこの店は、英語を話せない人間からずると敷居が高くなっちまった気がして俺もしばらくの間ランチ族になっていたが、改めて外国人と一緒に呑んでみると、なんだがそれが食わず嫌いだったような気がした。正直、俺が聞き取れるのは会話の中の一割か二割が関の山だったが、不思議と何回目かのビールを乾杯する頃にはオッサンが何を言っているのかおおむね理解ができた。これが、俗に言うところの『酒は共通言語』ってやつなのだろうか。一緒に飲んでいたはずのオッサンの奥さんは『この人、これが始まるといつもなのよ』みたいな顔をして俺達の会話を遠巻きから楽しそうに眺めてた。「どこから来たんだい?」と尋ねてみると「ニーダーランド」と言った。まったくもって聞き覚えのない国名に小首を傾げていたら、「ホーランド」って言いなおしたから、てっきりそれが『ポーランド』の事かと思ったら、クラタツがこっそり「ホーランドはオランダだ」と教えてくれた。

とりあえず、話題を探して数ある俺の引きしを漁ってみたが、出て来たのはせいぜい『風車』や『木靴』それに『フランダースの犬』くらいだった。とりあえず、なんとかその話をしてみたが、フランダースの犬の話しになると、おっさんはチンプンカンプンな顔をするばかりだった。困ったあげくまたしてもにクラタツに助け舟を求める目線を送ったら、今度は『実はフランダースはオランダじゃなくて、ベルギーの街だ』と教えてくれた。そりゃあ、オランダの人間が知らなくても当然だ。

 そのまましばらく一緒に飲んでると、おっさんは感動しいの泣き上戸なんだろう、「今晩は、日本に来て一番楽しい夜だ」と半べそをかき始めた。こらまたえらく大袈裟な、と思って理由を聞いたら、おっさんは熱弁をふるい始めた。

「日本は、驚くくらいに清潔で、アムステルダムがゴミ箱のように思えるくらいだ。飯は旨いし人もみんな親切。どこもかしこも近代的かと思ったら、そこら中に自然があって驚いた。こんな美しい国はめったにない。だけど…」

「だけど?」

「残念ながら、日本の人々は英語を喋る事に対してシャイになりすぎる」

それを聞いて、俺も思わず身につまされた。

「旅行ってのは、景色を見るだけじゃないし、その土地の料理を楽しむだけでもない。一番の『いい旅の思い出』は、やっぱり地元の人間とのコミュニケーションだ。その点、お前は違う、そんなにも英語が下手クソなのに、一生懸命俺に話かけてくるんだ。こんなに嬉しい事が他にあるか? そりゃあ、中にはここのマスターみたいに上手に話す日本人もいたさ、でもな、そういう話慣れた奴らとの交流とは違って、俺が求めてたのはお前みたいな人間との触れ合いなんだ! 今晩は、飲むぞ、とことん飲むぞ! マイフレンド!」

なんだか、褒められてるのか貶されてるのか分からない心境だったが、とにかくまあ、オッサンが楽しそうにしてるから、それでいいような気がしたし、正直気分は悪くは無かった。何ていうのかな、国は違っても、やっぱり男同士ってのは分かりやすくていいもんだな。

「マスター、今日は飛騨牛入ってるかい?」

ついつい嬉しくなって手を上げる。すると二つ返事で「あるよ」と言う返事が返ってきた。なんだか嬉しくて、せっかくだからこの街自慢の和牛を食べてもらいたくて仕方がなくなったんだ。

しばらくすると、俺達の前に木製のまな板の上に乗せられた薄い三角形の肉の塊が置かれた。その瞬間、隣の席のみならず、あちかこちらから歓声が上がった。

「Aの五番手だ」

みたいか事をヤツが言うと、さらに歓声が上がった。

…でも、でもな。

正直、俺はそれを見て少しばかりがっかりしたんだ。だってよ、それは俺の知ってる上等な和牛の姿じゃなかったんだ。どうせ生肉を見せるなら、腰が抜けるほどの綺麗なマーブル模様を見せたかったのだけれども、ヤツが持ってきた肉は薄くて三角で、霜降りには霜降りに違いは無かったけれど、そのサシの入り方はまばらで、どちらかと言えば赤みがち。お世辞にも高級和牛とは言えなかったんだ。

「おいおい、どうせならもっと綺麗な肉はいないのかよ?」

酒の力もあってか、俺は思わずモンクをもらしてしまったが、クラタツは意外にもにこにこ笑いながら

「そうとは限らんぜ、噛んで味があるのはこういう肉さ」

と言うと、踵を返して、後ろにある作業台の上に肉の乗ったまな板を置いた。そして、なにやらブツブツと肉と話し始めやがったんだ。

―まさか、おまえも若年性の痴呆か!?

十数年前、初めてこの光景を見た時は正直そう思ったもんだ。でもまあ、さすがに通っているうちにそれにも慣れた。なんつうか、これはあいつの儀式みいなもんだな。ひとしきり「そうか」「そうか」と肉相手に相槌を打っている。そう、ヤツはここ一番の料理の時は、こうやって食材に向かって話しかけるんだ。そして、これをやる時はいつだってとんでもなく旨い物が出てくるんだ。しかしまあ、今回ばかりは素材が悪い…。正直、そんな思いがこみ上げてきて、なんだかおっさんに申し訳なくなった。

クラタツは何度かコクリ、コクリと頷くと、握り拳よりも一回り程小さな塊に肉をカットした。そして、いよいよ焼くかと思ったら、今度はそのままコンロの上の網棚に放置した。

再び俺達の目の前に肉が出て来たのは二〇分くらいしてからで、ヤツは楽しそうにミルを手にして塩コショウし始めた。そして、煙が出るくらいに熱したフライパンでさっくり六面を焼くと、また、網棚の上に放置したんだ。

「今のはなんだ? 焼き始めるまでにえらく時間がかかったじゃないか?」

「ああ、これか? 肉を常温に戻してたんだよ」

「それって、よく聞くけど、本当にやる必要あんのかよ?」

とにかく、とっととオッサンに肉を食ってもらいたかった俺は、思わずそんなせっかちな質問をしたが、これまたクラタツは笑っていた。

「それが、必要あんだよ。ほら、綺麗に焼けたピンクのローストビーフってあるだろ? ヤマちゃん、あれの中心温度って何度か知ってる?」

俺は思わず首を横に振った。

「肉ってのは六十度を越えると、色が灰色に変わっちゃうんだ。だから、生でも無い、焼き過ぎてもいないピンクのローストビーフの芯温はおおむね五十五度。俺の場合は五十二度くらい」

「…ふむ」

「そうなると、今度は焼く時間が重要なんだよ。冷蔵庫の設定温度が五度だから、出してきたばかりの肉の温度は五度だろ?」

「…まあ、そうだわな」

「そうなると、五度の肉の中心が五十五度になるには、長時間ガッツリ表面を焼かないといけない」

「…ふむ」

「でも、調理前の肉が三十度くらいまで温まってたらどうだい?」

さすがの俺でも、そこまで言われれば簡単だった。だから俺は素直に「調理時間が短い」と答えた。すると、ヤツは途端にしたり顔になった。

「そうそう、でも、その『フライパンで焼いてる時間が短い』ってのが肉にとってはすんごく重要なのさ。だって冷たい肉を五十五度になるまでジリジリ炙ってたら、表面はどんどん焼けて行くよな? ようは、ピンクの部分が極端に減るのさ」

そう言って、違う注文を作りながら、ヤツはたまに思い出したように網棚の上の肉をつついたり、揉んだり、短時間だけグリラーに入れたりしてて、結局料理として俺達の前に現れたのは、注文してから一時間以上過ぎた頃だった。普通だったらこんな店、客は待てずに帰っちまうだろうけれど、これがヤツの持ち味だっし、全行程を目の前で説明しながら作るから好きな客は俺のようにドハマりするのさ。

 出て来た料理の盛り付けは申し分無かった。もとよりヤツは芸術家肌だったから、料理も、古い骨董の大皿に盛られた生け花のようで、見た目だけで店中が湧いていたけれど、正直俺は、味については相変わらず申し訳ない気分でいっぱいだった。だってさ、どうせなら蕩けるような肉を食ってもらいたかったんだよ。

芸術品みたいな肉の皿を前にして隣のオッサンが「奢ってくれるのなら、最初の一口目はお前が食わないと俺は箸が付けれない」みたいな事を言ったけど、俺はどうにも食指が伸びず、「俺は味を知ってるから、あんたらで食べてくれ」とだけ答えて、またビールを口にした。

すると、次の瞬間、隣の席から悲鳴が上がった。その声に慌てて振り向くと、隣でオッサン夫婦は感動で半べそ状態になっていた。旦那だけじゃねえぞ、奥さんの方もなんだ。俺は、「またまた、西洋人はいちいち大袈裟だ」と思ってビールを口にしたが、「こんなに旨い肉はお前も食え!」と言われて、半ば強引に口の中にローストビーフを突っ込まれた。そしてやっぱりガッカリした。だってそれは、案の定、俺が想像してたように美人の肉ではなく、口に入れた途端に蕩けるような舌触りは無かったんだから。

でも、次の瞬間…

そう、肉を噛んだ途端に、口いっぱいにまるでスープみたいに芳醇な肉汁が溢れだした。そんなの当たり前だろう、曲がりなりにも和牛なんだからだって? いや、違うんだ、驚いたのはむしろその量なんだ。噛むごとに肉汁が溢れて止まらないんだ。異常だった。明らかに見た目の質量より遥かに多い肉汁が溢れだして止まらないんだ。

目の前で、キムタツのヤツが『してやったり』といった顔で笑ってた。

「確かにさ、A5のロースは旨いよ。でも、あれって日本人向けなんだよ」

俺は全く意味が分からずに、ただただ目ん玉をパチクリさせていた。

「ほら、うちら日本人は米を食べるための『おかず』として肉を食うじゃん。だから、あんなに脂が乗ってても、米に絡んで旨いんだよね。でも、西洋人は違う。基本的に肉と野菜だけを食べる。だから、脂の乗った和牛の一口目は旨いけど、そこで箸が止まっちゃうんだ。単純にくどいんだ。それに、外国は赤身を食べる文化だからね、重要視するのは、脂じゃなくて肉汁の質なのさ」

確かに、ヤツの言いたい事は分かったが、でも、それは、俺の疑問に対する答えでは無かった。だから、そんな説明では納得できなかったんだ。

「じゃあ、どうして、こんなにも肉汁が出るんだ?」

「ああ、焼き方と、部位だな」

「焼き方と、部位?」

「そそ、まずは部位。選んだのはブリスケット。俗に言う『肩バラ』の部分だ。ここはA5でも肉と脂のバランスが西洋人向けなんだ。穀物を食べて育ったうま味の強い上質な和牛の赤身が8、甘味のあるサラりとした脂が2。理想的なバランスなんだよ。そのうえ、もも肉よりも安価でA5ランクでもグラム1000円程度で買えるから、がっつり食べたい西洋人にますますもってこいだ。そして次は、焼き方。まずは、低温。コンロの上の網棚の温度はおおむね80度、一気ではなくてゆっくり肉の芯温を五二℃まで持っていく。まあ、たまに温度が下がり過ぎたと思ったら、短時間だけサラマンダー(グリラー)の下にいれて加熱するんだけどな」

確かに、言われてみればそうだった。えらく時間がかかるとおもっていたが、確かにグリラーに入ってた時間よりも、コンロの上で放置されてた時間の方が圧倒的に長い。そして、次の瞬間、頭の中にもう一つの疑問が浮かんだ。

「そういえば、途中で肉を揉んでたよな? あれって普通、焼く前にするんじゃねえのか?」

「ああ、あれな。調理中のマッサージも重要。ほら、お風呂の湯を掻き混ぜるのと一緒さ。肉の中の表面に近い熱い肉汁と、まだ冷たい中心部分の肉汁を強制的に循環させるのさ。そうすると、実際よりさらに低い温度で効率的に肉はピンクになる。それに、加熱中にマッサージする事で、生の時にやるよりも肉が柔らかくなる」

「…だから値打ちな部位でもこんなに肉汁が出るのかよ?」

「そそ、そもそも美人の肉を調理したって面白くも何とも無いじゃないか。美容師さんと一緒、美人に仕上げるから俺達は職人なのさ」

そしてヤツはまた笑った。なんともまあ、肉って物は奥が深いと思い知らされた。そして、俺と、最上級のローストビーフでご満悦なオッサンは、またビールで乾杯した。あっち風だと言って、互いにジョッキを持った腕を交差させて笑いながら飲んだ。

「兄ちゃんは、フラメンコも好きかい?」

てっきり、酔ったオッサンが躍り出すのかと思って躊躇してたら、

「俺は、ジャズやボサノバやフラメンコが大好きでな、いっぱいCD持ってんだ。兄ちゃん気に入ったから一枚やるよ。まあ、今はホテルに置いてきちゃってるし、フラメンコしか手持ちがないんだが、それでも良かったら貰ってくれるか?」

たぶん、そんな事を言っていたんだと思う。たった一夜だったけど、こういうご縁は大切にしたいもんだ。俺はニカリとほほ笑んで、思い切りおっさんと握手した。



 翌日、俺が店に到着すると、すでにクラタツはバイクを準備していた。きっとあれから後も、外国のお客さん達と楽しく呑んだのだろう、朝日がまぶしそうというか、えらく眠そうな目をしながらキャブレターのスクリューをいじってた。

「インジェクションは楽でいいぞ」

こっそり近づいて声をかけると

「美人はだいたい気難しいもんなんだよ」

と、笑っていた。俺は思わず苦笑いをした。

 そんな感じで、しばらく店の前でヤツがドリップしてくれたコーヒーを飲みながらバイクを眺めたり、今日のコースを確認していると、遠くからヘンな笑い声が聞こえて、チリンチリンとベルを鳴らしながらフラフラ近づいてくるママチャリが見えた。日本人にしてはえらく恰幅のいい人だと思ったら、それは昨夜一緒に飲んだ髭面のオッサンだった。まったく、この人の陽気なのは酒のせいではないのだと知った。そして、俺達のところにやってくると「アミーゴ!」と言ってジャンパーのポッケから一枚のCDを出して俺にプレゼントしてくれた。ジャケット写真は、きっとオランダの景色なんだろうな、葦が茂る運河の中、一人の男がギターを背負い、股下まで水に浸かって青空を見上げているものだった。そして、まじまじとそのギタリストの顔を見て俺は頭の上に「?」が浮かんだ。いや、これが、どっかで見た事のある顔なんだ。不思議に思って顔を上げるとさらに驚いた。だって、気が付いちまったんだ。そう、伸ばした髭がないだけで、目の前に立っているオッサンがそのギタリスト本人だったんだ。

「????????」

言葉が出ないまま何度も何度も俺目線が、ジャケットとオッサンの顔を行き来する。

「昨日言っただろ、いっぱいCD持ってるから、一枚やるって」

そして、俺も合点が行って思わず腹を抱えて笑った。

いや、「I have meny CDs」って言うもんだから、いっぱいCDのコレクションを持ってるって思ったんだよ、素直に。でもそれは違って『俺は沢山のCDをリリースしてる』って事だったんだ。こらまた一本取られたよ。そして、オッサンは秋晴れの空の下「また来るからな、アミーゴ! 次も一緒に飲むぞ!」と手をふりながらフラフラとママチャリを漕いで住宅街の角を消えて行った。



 富山に向かって二台のバイクが風になる。俺達は交通量の少ない川沿いの道を選んでひた走る。大きなダムに沿って走る。大きな鉄橋を渡る。そして、肌寒いトンネルを抜けて風になる。大人数でジグザグに隊列を組みゆっくり走る千鳥もいいが、気の合う仲間との二人旅はまた格別だ。俺とクラタツは割と巡航速度が近いから、初心者に気を使わなくても、自分のペースのまま行ける。

牧場を抜ける、小さな沢を抜ける。そして小さな峠を一つ二つ越えると、流れる川は次第に幅を増して神通川へと変わっていった。ヘルメットの中ではオッサンが奏でるフラメンコのギターが流れていた。

『おいおい、この人めっちゃ有名だぜ。ネット辞書にも項目あるし、動画も山ほど出てる』

陽気に手を振るオッサンを見送ると、携帯で名前を検索してたクラタツが驚きの声を上げた。そして、「ちょっと待ってなよ、ヤマちゃんの携帯に同期してやるよ」と、言ってパソコンにつないでくれた。

 おっさんの奏でるフラメンコのギターは、時に物悲しく、そして時には荒々しく掻き鳴らされるように情動的だった。俺は、それに合わせてアクセルを開けたり緩めたりしながら、深い緑の中、流れる川にそって右へ左へ車体を傾けた。

開かれたCDのパッケージの内側には、オッサンのサインとオランダ語のメッセージが添えてあった。まあ、当たり前のようにそれが読めない俺がクラタツに意味を聞いてみると「さすがにオランダ語は喋れないが、ドイツ語と良く似てるんで、なんとなくなら分かるぞ」との事だった。


『色気のないおっさんのギターで申し訳ないが楽しんでくれ、日本の親友。

 肉も、酒も、音楽も、そして女も、美人ってヤツは外見じゃないぞ。

味わって初めて分かるもんだ』


 それは、そんな言葉だった。

俺は、ハンドルから両手を離すと、大の字に広げて吹き抜ける秋の風を胸一杯に吸い込んだ。

色んなものが吹っ切れた。

「一回くらい、母ちゃんが持ってきた写真の娘に会ってみるか」

俺は流れる景色に向かってそう吠えた。

なんだか、そんな気分だった。




…でも、やっぱりその前に、今度は瞳ちゃんを誘って寿司に行こう。

だって、どうにも美人が好きでたまらないんだから仕方ないじゃない。







三品目おわり






















【白梅堂レシピ by白梅堂店主・蔵田龍二】


 皆さん、三品目も楽しんでいただけたでしょうか。こんにちは、実は『リュウジ』ではなく、『タツジ』だという事が判明した白梅堂の店主です。いかがお過ごしでしょう。

 今回は、喋り好きなヤマちゃんが『美味しい骨酒の作り方』とか色々事細かに喋ってくれたもので、作中に出た料理のレシピらしいレシピは残念ながらありません。なので、今日のレシピコーナーは無し!

…という訳にもいかないので、

『お家でも出来る美味しいお肉の焼き方(綺麗なピンクのミデアムレア・牛肉編)』

を紹介したいと思います。


 さて、ざっくりとした部分は本文で触れた通りです。ただ、ご家庭で肉の塊をローストビーフにする場合、どうしてもオーブンが必要になります。一応これは『オーブントースター』やコンロ備え付けの『魚焼き器』でも代用できますが、結構コツがいるので、今回は『ステーキの焼き方を』紹介いたします。(ローストビーフのコツも後半に触れるので、チャレンジ精神がある方はどうぞ)


【ステーキの焼き方(焼けてるけど綺麗な赤ピンク)】


一)お肉は事前に常温に戻しておく。

二)塩コショウは、焼く直前にする。

(前もって振っておくと、浸透圧で肉汁が逃げてしまうため)

三)フライパンを煙が出るくらいに熱しておく

四)軽く脂を引いて、ステーキ肉を乗せる。

(この時、ロースの場合は脂身が付いている方を左手にするのがプロのコツです。

 これは、ひっくり返した時(完成時)に脂身が右手にするためです。こうする事で

 ナイフとフォークで食べる時に、最初にお肉部分を、最後に脂身部分をという具合に

 食べる事が出来ます)

五)最初の反面は強火でガッツリ焼きます。トングなどで少しだけめくってみて、いい感じに

 こげ茶色に焼き色が付いたらひっくり返して火を止めます。

六)火を止めてもフライパンは余裕で熱いので、余裕でお肉は焼けて行きます。そして、

ここから先が、最大のポイントです。

しばらくするとお肉の表面に

『プツプツと、透明な肉汁に混じって血が浮いて来ます』

これが、ピンクに焼けた合図で、お皿に盛り付けて完成です。


 実はこのプツプツと透明な肉汁に混じって血が浮く。という状態は焼き肉でも使えます。

片面はロースターの中心近くで焼いて、裏返す時は、火から遠いところで肉汁が浮くのを待つ。という要領です。


 では、続いてこの『血の混じった透明な肉汁』について触れて行きます。本編では『僕のレシピだと芯温52℃』と言いましたが、どうやってそれを計っているのでしょう。確かに三〇年くらい前から大きなレストランやホテルは『スチームコンベクト』という近代的なオーブンを使っています。これは凄く優れもので、お肉の塊の中心部分に温度計になっている金属製の針を刺し『180℃で、芯温が52℃になったら電源を切ってね』と設定すると勝手に焼いてくれます。でも、そんな高価な物、僕は持っていません。では、どうやって芯温を見ているでしょう。実は、これをチェックするには三つの方法があります。


【芯温を見る方法(簡単な順に)】

一)中心に竹串を刺し、抜いた時に穴から出て来る肉汁の色を見る。

〇血だけが出る=生

〇透明な肉汁だけが出てくる=焼きすぎ(中は灰色になりかけてる。またはなってる)

〇透明な肉汁に混じって、分離した血が出て来る=いい感じのピンクに焼けている。


二)中心に竹串を刺し、数秒置いた後に抜き取って下唇に当てて温度を測る。

お風呂を連想してみて『ああ、この風呂は結構熱めだな、入れるかな?』というのが50~55℃


三)肉を揉む、突くなりして弾力を確かめる。

〇ぐにょんぐにょんという弾力がある場合は生。

〇ガチガチに固くなってたら焼きすぎ。

〇表面は焼けているものの、中心部分に優しい弾力があるのがいい感じ。


 と、言った具合です。作中で僕がやっていたのは三番です。理由は二つあります。一つ目は本編でも触れた通り『肉汁の強制循環とマッサージ』です。そして二つ目の理由は単純で、竹串を刺してしまうと、多少なりとも肉汁が逃げてしまって勿体ないからです。少しでも抜けちゃったら100%にはならないですからね。

 以上のポイントを踏まえると、オーブントースターや魚焼き器でもローストビーフは焼けます。ただし、どちらの器具も通常のオーブンと比べると火力が強く、簡単に焼けすぎてしまいます。ですのでこれらを使う場合はこまめに『温めたら出す、温めたら出す』を繰り返します。どうですか、なかなかに面倒臭いでしょ? なので興味がある人向けです。


それでは楽しいお肉ライフを満喫してください。


白梅堂店主・蔵田龍二

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