再びの召喚

「それじゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 笑顔で玄関を出る絢羽を俺は見送った。

 今日は絢羽がパートの日だ。

 彼女はスーパーで働いている。

 新居に新車、それにこれから必要となる資金を考えると俺の給料では心許ない。

 申し訳ないが絢羽にも働いてもらうしかなかった。

 一度このことを謝ったけれど、絢羽はきょとんと首を傾げて言ったものだ。


『なんで?』


 一緒に生きていく夫婦で、お互いを助け合うのは当たり前だと笑われたっけ。

 確かに俺は自然と男女平等の世の中でありながら、男が稼ぎを持ってくるものと思っていたのかもしれない。

 それから俺も絢羽が仕事で俺が休みの時は、なるべく朝の家事は全て俺がやり、彼女を気持ちよく送り出そうと努めている。


「・・・しかし、まさか本当に二日かけて読まされるとは」


 あれから絢羽は俺に異世界物を読ませ続けた。

 もうそろそろお腹がいっぱいだったのだが、俺は彼女の触れてはいけない点に触れてしまったらしい。

 誰にでも怒りのスイッチはあるもので、それは人それぞれだ。

 しかもだ。漫画が終わったら次はアニメを一緒に観ようと、DVDを借りてきた。

 もう勘弁してくれと言いたかったが、それを言えばどうなるかは予想がついたので黙っていた。

 沢山の作品を観た感想は、なるほど、異世界ものといえど、なんでも手に入ってのウハウハセカンドライフとはいかないらしい。

 彼らは彼らなりに苦労していたのだ。

 それは同じく異世界に飛ばされた俺も否応なく解っている。

 フィクションの世界の主人公達に親近感を覚えてしまった。

 大きくあくびをしつつ、俺は今日をどう過ごすか考えることにした。

 明後日が新婚旅行で行先はフィンランド。

 準備は既に整っている。

 うーん、もう一度確認しようか。

 見落としがあるかもしれないし、明日では取り返しがつかない落とし穴があるかもしれない。

 スマホをジーンズのポケットから取り出してメモアプリをタップする。


「うーんと、一応メモにある物は全て揃ってる、と思うけど」


 一応確認しておくか。

 国内旅行じゃないんだ。何か忘れたら取り返しがつかないトラブルになりかねない。

 財布とパスポートとスマホだけは絶対に必要で、あと何か絶対に忘れちゃいけないのあったっけ。

 予定表と持ち物リストと荷物を確認すべく、俺は自室へと向かった。


「昨日も遅くまでアニメ観せられたからなー。ちょっと二度寝したいな」


 首を左右に振り、ぽきぽきと鳴らしながら、自室に入ろうとした時。


「・・・ザ、さ、ま」


 どこからか声が聞こえた。

 なんだ、今のは?


「はく・・・ザザ、ま・・・」

「エリーザ! エリーザなのか!?」


 確かにエリーザの声が聞こえた。

 幻聴じゃない。確かに聞こえた。 

 なんで彼女の声が?


「たす、け・・・ザ、ザザ、様」

「エリーザ、俺だ! フォルキアで何かあったのか!?」

「扉、をーー」


 ブツン。

 なんだ? 今の音は。

 通信が切れたみたいな音がした。


「エリーザ、エリーザ!!」


 はたから見たら俺は一人で叫んでいる危ない奴だけど、そんなこと今はどうでもいい。

 今確かにエリーザは俺に『助けて』と言った。

 つまり、あっちで何かあったんだ。

 連絡がなかったから、もしかしたらもう呼ばれないと思っていたけど、やっぱりそうはならなかったらしい。

 期待はしていた。

 していたが、難しいとは思っていた。

 俺はあの一戦に参加したのみ。

 要は最後の防衛線をなんとか乗り越えただけなんだ。

 そこから人類の大逆転が始まると考えるのは楽天的であったと認めざるを得ない。

 くそ、新婚旅行目前だって言うのに。

 俺は絶対に死ねない。

 俺が死んだら絢羽が。

 だけど、エリーザが俺を呼ぶってことは、間違いなく切羽詰まった状況だってのは間違いない。

 もし、俺の知らないところでエリーザが死んだとしたら。


 ゾワ。


「っつぅ!!」


 想像しただけで胸が引き裂かれそうになった。

 駄目だ。そんなことは絶対にさせない。

 俺が異世界ものの作品を読みふけったのも、単なる興味じゃない。

 少しでも、あっちに戻った時に何か役立つ知恵になればと思ったからだ。

 迷うな! 絶対にエリーザを護るんだ!!


「よし、決心は固まったぞ。でも、どうしたらいいんだ?」


 さて、困ったぞ、具体的に何をしたらいいんだ?

 前は問答無用で呼ばれた。

 今回もそうすればいい。

 あるいは、これはエリーザが俺に気を使っているのだろうか。

 俺に断りを入れ、俺が応じなければ呼ばないという彼女の思いやりなのか?

 俺の自由意思に委ねると。

 くそ、馬鹿な。

 これが俺の生み出した結果なのか。

 前に俺が何度も帰せと言ったので、それを気にして。


「エリーザ、俺は行くぞ。さあ、呼んでくれ!!」


 誰もいない玄関に向かって叫ぶ。

 もしエリーザがこちらの様子が解るなら、これで通じるはずだ。

 暫く待つ。

 しかし、何も起きない。

 どうしてだ?

 何か、呼べない理由があるのか? 俺が何かアクションをしなければならないのか?


「・・・そういえば、エリーザは“扉”と言っていたな」


 そうだ、初めて呼ばれた時も、教会の扉を開けた瞬間に呼ばれた。

 じゃあ、もしかしたら、またあの教会に行かないといけないのか?

 いや、もしそうならかなり難題だぞ。

 一回結婚式をした教会とはいえ、ホテルの中の教会だし、何度も出入りなんて出来るはずがない。

 待て、落ち着け。

 エリーザは単に“扉”とだけ言った。

 もしかしたら、それはどの扉でもいいのか?

 単なる召喚のキーアクションってだけで、開けることに意味があり、どの扉かはどうでもいいのかも。


「・・・だとしたら」


 目の前に玄関のドアがある。

 これだって扉だ。

 ゴクリと喉を鳴らす。

 ここを開けば、もしかしたら、その先はもうロンレキア。異世界なのか?

 手を伸ばして、咄嗟にひっこめた。


「そうだ、前と違って余裕があるんだ。絢羽にメモを」


 もし、俺が死んだら、或いはなんらかのトラブルで帰りが遅くなったら絢羽が心配する。

 でも、なんて書くんだ?

 暫く帰れないけど心配するな、とか?

 いやダメだ。

 新婚で明後日が新婚旅行のこの時に、俺がいなくなって心配しない妻がいる訳がない。

 そもそも、絶対に帰れる保証なんてない。

 ブンブンと頭を振った。

 弱気になるな。帰るんだ。絶対に戻るんだ。

 結局電話台のメモ帳に『出かけて来る』とだけ書いておいた。

 もし、早く戻れたら捨てればいいし、帰りが遅くなったとしても、メモを残さないよりはいいだろう。

 最低でも、俺の意思でいなくなったと分かるのだから。


「よし、行くか!」


 大きく深呼吸をして玄関ドアのノブを握る。

 さあ、どうなる!?

 扉を開けた瞬間、俺は光に包まれた。


*********


 玄関ドアを開いた先には石畳の部屋があった。

 以前の謁見の間と違う。

 あの広間は大きかったし、美術的にも気を配って建築されていたが、今の部屋は石と木材を組み合わせて作られており、非常に質素なものだった。

 前と召喚された場所は違うが、召喚した人物は同じだった。

 目の前には、以前と同じく、可憐さと美しさが同居した姫が、凛とした佇まいで俺を迎えてくれた。


「勇者白夜様。今一度、このフォルキアを救って下さい」

「分かった」


 俺は迷いなく頷いた。

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