第一幕 蓮華姫婚姻譚/こんがり童子と龍の姫君 その11


 ―――わずか数十分のうちに深谷王は蓮華の見覚えのある峠にたどり着く。


 帰郷を果たした彼女は、夜空にただよう雲が紅くかがやいているのを見て悲鳴をあげた。彼女の里が焼かれていた。


 雲はその戦火に照らされて、血のような赤い色に染まっていたのである。


「ああ、そ、そんな……っ」


「まだあきらめんな!……っ!誰か来るぞ」


「え?あ……あれは、おトヨさんだ!ひどい、ケガしてる!!」


 峠を一人の老婆がよろよろと駆け下りてくる。その肩には矢が刺さっているようだ。


 蓮華は深谷王からあわてて飛び降りて、彼女の元へと向かう。


『ぬ。馬の足音!騎馬武者が来ます!』


 深谷王の言うとおり、峠を越えて騎馬武者が姿を現す。その数は二。殺戮に酔いしれる彼らは、ただただ殺すことに取りつかれているようだ。


 捨て置けば死に至りそうな深手の者にさえ、槍を打ち下ろそうとしている。怯えた老婆が道に倒れ、騎馬武者は笑う。


「うわあああああああああああああッ!!」


 蓮華が叫びながら弓を引いていた。彼女の白い指が矢を離す。矢はしなりながら風を切り裂き、鎧武者の頭をズガリという音とともに射抜いた。


 相棒が殺されたことに驚いたもう一人の鎧武者は、新たな敵に対して身構えようとする。だが、すでに手遅れだ。


 深谷王と天歌はすでに鎧武者のすぐそばへと近づいていた。天歌が大太刀を振るう。鎧武者は腕と銅を切り裂かれながら馬上から落下していく。


『お見事です。天歌殿はもとより、蓮華姫さまもかなりの腕ですな』


「なんだ、蓮華姫って?」


『私は武人と姫君しか背に乗せないのですよ』


「あいかわらず、よく分からんヤツだ。だが、オレさまの『女』はいい腕してやがる。アヤカシと同じで、夜の闇の中でも目が利きやがるぜ」


『……あの姫は、龍神の末裔でしょうからな』


「……こ、殺しちゃった……ッ」


 初めての殺人を経験した少女は、確かめるようにそうつぶやいた。殺人の凶器となった弓を持つ手が震えてしまう。


 ヒトを射る覚悟……それを想定せずに鍛錬を重ねてきたわけではない。


 それでも、命を奪うことを想像しての訓練のと、実際にそれを達成してしまったことは等価ではない。


 弓をにぎり、矢を引いたその小さく白い指たちは血に穢れてしまったのだ。


 主を失い困ったようにさまよう馬の背に、少女の殺した男はいまだに座したままである。


 騎馬武者の死体は頭に矢を突き立てられたまま、だらりと両腕を垂らし、天を仰いでいた……。


 少女の心臓がばくつき、呼吸が、ぜえぜえ、と荒くなっていく。


 今までの自分とは、違う存在になってしまった気がしてならない。ヒトゴロシだ。人の世のなかで、最も忌み嫌われる存在に彼女はなってしまった―――。


 ……だが、乱世は少女に苦しみ悩む時間をあたえてくれはしない。老婆が悲痛なうめき声をあげたことで、少女の動揺はかき消されていた。


 揺れていた少女の瞳が、自らの故郷をにらむ。炎に焼かれる大切な場所がある。


 ……そうだ、『こんなこと』で怯えている場合じゃない!


 自分は、里を救うために戻ってきたのだ!体の震えが止まり、揺れていた瞳には強い意志のかがやきが戻る。

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