序章 その2


 少年は赤い砂浜を歩いていく。生きていると分かれば腹も空いてきた。なにか食べるものを見つけなければならない。


 そこらじゅうにある死体をあされば携帯食でも見つかるかもしれないが、その作業をやるだけの気力がなかった。


 それに……さっきから死体に『何か』が取りついているのが見えるのだ。


 『毛のない痩せた猿』とでも言えばよいのか……手のひらサイズのちいさな生物がいつのまにか兵士たちの死体に集まっている。


 この臆病な猿どもは少年と視線が合うと、ぴきゃあ、という悲鳴らしき音を口にして死体の影に隠れてしまう。


 だが、隠れながらもわずかに顔を出し、黄色くにごった瞳でじっとこちらを観察してくるのだ。


 そんな不気味な『痩せ猿』が何百、何千という数の死体のほとんどに取りついている。ちいさいので一匹だけなら危険はなさそうだが、もしも数百匹が一斉に襲いかかってくれば話は違う。近寄らないのが賢明だ。


 ―――『餓鬼』。


 痩せた猿どもを見た少年はその言葉をイメージしていた。あれもタヌキやキツネといったアヤカシ/妖怪の一種だろう。


 大昔、西の都にうじゃうじゃいたという昔話は聞いたことがあった。だが、実際それを目にするのは初めてのことだ。


「下らねえもん持ち込みやがって。ショーグンのバカも、ミカドのクソも、アヤカシと手を組んだらしいが……どうにも気に入らねえな!」


 少年は足下を横切ろうとした『餓鬼』を踏みつけて潰した。人間の死体を主食にするような不気味な存在を、彼は好きになることが出来なかったのである。


 ……それからどれだけ歩いただろうか?


 すっかり太陽が空高くに昇ったころ、少年の瞳は煙を見つけていた。彼は古い荒れ寺を視界に捉える。どうやらあの寺には生きている人間がいるらしい。


 敵か味方かは分からないが、そんな些細なことはどうでもいい。


 人がいるならメシが食えるだろう。敵なら殺して奪えばいい。味方なら恵んでもらおう。それを断られたら、やはり殺して奪うだけだ。


 少年は疲れた体に無理をさせ、風のように速く走る。


 あっという間に荒れ寺へとたどり着くと、彼は音も立てずに寺を囲む塀によじ登った。


 ミカド側のサムライがいるかもしれないのだ、さすがに正面から入る気はない。戦うことになるのなら、奇襲を仕掛けてやるつもりだ。


 寺の中にいたのは兵士たち。たくさんの死体と、今にも息絶えそうなケガ人たちが並んで横たわっていた。


 彼らが身につけている武装の色で分かる。赤い鎧。彼らはショーグン側のサムライたちだ。つまり、少年からすれば『仲間』である―――。


「―――仲間だからって友好的とは限らねえ……ってのが、怖いところだがな」


 負け戦だ。敵に寝返るヤツも出てくる。動けないケガ人どもの首をはねて、敵のお偉いさんへ売りつけに行くバカはたくさんいるはずだ。


 少年は警戒しつつも、寺の境内に飛び降りる。素早く目を左右に動かして兵士たちのリアクションを探った……どうやら、疲労困憊で無気力になっている兵士たちは少年のことをあまり気にしないようだ。


 誰一人として武器に手を伸ばす者はいなかった。彼は無意味な警戒を解くと、煙が上っている場所を目指して大きな態度で歩きはじめた。


「……なんまいだぁ……なんまいだぁ……」


 聞き覚えのある情けないお経を少年の耳が拾う。少年はため息を吐いた。


 煙はメシを炊くための火から出ているのではなく、戦死者たちを火葬にする炎から出ていたのだ。


「……ついてねえぜ。まあ、生きてるだけでも十分か……そうだよな、『大牙』?」


「……え?」


 震える小声でお経あげていた僧侶が、己の名前を呼ばれて顔をあげる。


 赤い髪をしたひょろ長い青年だ。本名はべつにあるのだが、この青年の通称は『大牙』。ひ弱な自分を変えたいと願った彼が、己に与えた名前である。


 『大牙』が不自由な右腕と右足に力を込めて立ち上がり、よいしょ、というかけ声とともに振り返ってくる。あいかわらず間の抜けた笑顔を浮かべるヤツだ。


 少年は大牙の笑顔にそんな失礼な評価をしながら、それでも親友との再会を喜ぶために笑った。


「よう。お互い、生き残れたみたいだな」


「ほ、ほんとに?ほんとに、『天歌』なのか?」


「ああ。どうにかギリギリで生きてるよ」


「頭、ぱっくり割れて大流血してるけど?……ゾンビとかじゃないよね?」


「はあ?」


 『天歌』は自分の額に手を当てる。指先がぬめりとする血の感触を伝えてきた。


 そういえば……昨夜というか早朝に行われた最後の戦いにおいて、敵の騎馬武者から大太刀の一撃を浴びせられたような記憶がある―――。


「……ちっ。ダセえな。防ぎ切れてなかったのかよ」

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