千獄の天歌

よしふみ

序章 その1


 ―――それは呪術と軍隊を用いた、最も血みどろの大戦/おおいくさ。




「…………三途の川ってのは、赤いのかよ」


 朝日を疲れきった顔に浴びながら少年はそうつぶやいた。目覚めたばかりの彼は自分が置かれた状況をよく把握できてはいない。


 彼が理解していたのは、目の前になんとも不気味な『赤い川』が流れていることと、そこらじゅうに死体が転がっていることだけだった。


 昼も夜もなく戦争はつづいた。少年は……いや、少年だけでなくあらゆる者が戦いつづけたこの大戦。


 老若男女を問わず、動ける者のすべてが駆り出された無慈悲な戦いは、どうやら『敗北』というみじめな結末を迎えたらしい。


 少年は体を地面から起こそうとした。


「重……ッ!」


 鎧が重てえ。少年はその事実におどろいてしまう。疲弊した体にとっては、こんな安っぽい僧兵用の鎧でさえ荷が重いようだ。


 手を膝につくことで力を振り絞り、少年はどうにか立ち上がってみせる。ふう、とため息を吐いた少年は忌々しげに鎧を見下ろした。


 ……この鎧、あちこち壊れて穴だらけになっている。もはや身を守るという本来の役目を果たせそうにはない。


 まあ、いい。どうせ戦は終わったのだ。これを着込んでいる意味もなかろう。


 少年は足下に転がっているサムライの死体から折れた刀を奪い取ると、鎧を体に結んでくれていたヒモを切り裂き鎧を外していった。


 身軽になった彼は開放感に誘われて、大きく腕を広げて背中を伸ばす。


 関節が伸ばされ、あの心地よい痛みを彼は手に入れる。次いで少年は、己の顔に両手を勢いよくパシリと叩きつけていた。


「……うん。フツーに痛えぜ。変な夢を見ているってわけでもなさそうだな」


 ―――そうだとしたら、アレはやっぱりこの世とあの世の境目に流れているという『三途の川』なのだろう。


 なにせ、あんなに大きな川は見たことがないし、そもそも『赤い川』なんて不気味なものが、この世にあるとはとても思えない。


「あーあ。とうとう死んじまったのかよ、無敵のオレさまもー……」


 少年はあらためて周囲を見渡す。敵も味方も大勢がその場に転がっている。


 血なまぐさいが、静かだ。


 今ここで動いているのは少年とあの赤い川だけだから。少年は静寂のなかに孤独を感じる。孤独を感じる少年は、彼にしか分からない理由でニヤリと笑うのだ。


「……まるで、世界の王様にでもなった気分だぜ」


 少年は死体を踏みつけながら『三途の川』に近寄っていく。それを渡るつもりなんてさらさらないが、珍しいものに対する好奇心から来た行動だった。


 寄せては返す赤い波は、なんとも不気味なものである。だが、その波をしばらくじっと見つめているうちに少年はやがて気がつく。


 海水のにおいがしやがる……そして、波間に浮かぶサムライの死体には、緑色の海藻が巻きついているではないか。


「……クソ。驚かせやがって!……三途の川じゃなくて、ただの海じゃねえか!」


 戦死者の血で赤く染まった海を、少年の長い足がばしゃりと蹴飛ばす。だが、疲れ果てた彼の体はたったそれだけのことでバランスを崩していた。


 波と砂に足を取られた少年は、朝の冷たい海に尻餅をつく。


 少年はなんだか情けなくなって自虐的に笑う。へへへ、という力の乏しい笑い声だったが、それは、だんだんと大きな声へと変わっていく。


「へへ……生きてるぞ!あはははは!生き残ったぜ、馬鹿野郎ッ!!」



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