【8】

 重い腰を上げた決意は、早くも崩れ落ちてしまいそうだった。

 先日アゴヒゲ山本が「将棋の大会、プロの先生が来るらしい」と言っていたので詳しく聞くと、初心者コースは無料だというのだ。これまで一人で唸りながら勉強していた私にとって、またとない実戦のチャンスである。

 そんなわけで快晴の日曜日、どんな太陽の下でもなく、大会が行われるという会館にやってきた。会場は三階。気合を入れて階段を駆け上がってきた。

 入口の前には長机が並んでいて、おばさんが二人座っていた。

「こちらで受付をお済ましください」

「あ、あの……初心者コースで」

「はい。初心者コースは無料になります。こちらにお名前と住所をお願いできますか」

「は、はい」

 記帳を済ませ、恐る恐る会場に足を踏み入れよう……とした。が、目に飛び込んできたその風景に、体が硬直してしまった。

 おじさんおじさんおじさんおじさん少年おじさんおじいさんおじさん青年おじさんおじさん……

 ぐるっと見まわした結果、女性は三人しかいなかった。女の子が一人、おばさんが一人、そして同年代ぐらいの、ポニーテールの方が一人。今すぐその人のところに駆け寄りたい気もしたが、そのためにはおじさんの海を泳いでいかねばならない。

 別におじさんが嫌いだとかそういうわけではない。将棋は男性が多いだろうことも予測していた。しかしこれほどまでに世代がばらけていないとは! この中に入れば、若い女性は目立ってしまうに決まっている。

 なんとなくだが、店に来ていた二人の延長線上で考えていたことに気付かされる。若い二人の姿を見て、若者が人生をかけるものに対して興味がわいたのだ。それがまさかこんな状態とは……

「はじめまして」

「え、あ、はじめまして」

 気がつくと、ポニーテールさんが目の前まで来ていた。肌が白くて、鼻先が通っていて、上品な美人だ。

「驚きました?」

「そう……ですね」

「私も最初はびっくりしたんです。大きな居酒屋かと思いました」

「ははは」

「でも、気にしなくていいんですよ。将棋、楽しいですから」

 この人がいてよかった。本当によかった。

「あ、これ」

「あ、はい」

 彼女は、名刺をくれた。そんなこと想定していなかったので、私は名刺を持っておらず、ひたすら頭を下げるしかない。

「……あ」

 薄いオレンジ地の名刺。そこには、所属している事務所だとか何とかのことが書きこまれていたが、私が目をひかれたのはただ一点、名前だった。江草明乃。

「どうしました?」

「ひょっとして……お姉さん?」

「あら、妹を知っているんですか? 今、研修会なんです」

 世間は狭い。狭すぎる。 

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