第7話 サッカースタジアム
2020年2月19日、ミラノでのサッカー決勝トーナメント1回戦のアトランタ対バレンシア戦には、アトランタのホームタウンであるベルガモから人口の3分の1にあたる約4万人が詰めかけていた。また、スペインバレンシア州からも大勢のファンが応援にかけつけていた。アジアでの感染症などまるで関係ないと思ってか、この日もマスクを着用しているサポーターは皆無だった。もともとこのヨーロッパ地域ではマスクの習慣はない。2009年にも、あれだけ新型インフルエンザがヨーロッパ全土で猛威を振るっていたにも関わらず、ヒースロー空港でマスクを着用していたのはほとんどが日本人であったという記録がある。もっとも今回のケースのように、人工の超強力ウィルスが相手では、マスク着用の有無はほとんど意味をなさなかったかもしれないが。
競技が熱を帯び、観衆の熱狂が最高潮に達した試合終了の15分ほど前、ドローンは静かに競技場上空に飛来した。この日の天気は晴れ、気温18度。やや北東の微風、張浩然の計画を実行に映すには絶好のチャンスだった。サッカーファンの歓声は、ドローンのプロペラ音を完全に消し去った。そして、空中散布に気づく者は誰一人いなかったのだ。
1時間ばかり発った後、クリーム色の1台のフィアットが小高い丘の上にたどり着き、エンジンを停止した。中から出てきた男は、防毒マスクを外し、一本のタバコをくわえ、火をつけた。南西方面に遠く見下ろすミラノの夜景が、男の顔をかすかに照らしていた。張浩然だった。彼は満足げに笑みをうかべながら、ポケットから衛星電話を取り出した。
イタリアで初の感染者が発症したのは、この数日後のことである。そして日に日に感染者が増え、指数関数的に死者も増加した。国際ニュースではイタリヤには一帯一路構想で多くの中国人が入国していたことなども伝えられたため、武漢での新型ウィルスが彼らからもたらされたことを疑うものは誰もいなかった。実際には、多くの中国人がこの直前にイタリヤ中心部から脱出していたのだが、そのことが明るみになったのは事件の何週間も後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます