第6話 オリンピック中止

 中国武漢で感染が拡がり始めた時、日本政府は中国からの渡航を禁止しなかった。マスコミでは中国に対する忖度と報じられたが、これも多少あったことは否めない。というのも、例の作成が実行されれば、それがアメリカの企てだということがいずれは明らかになるかもしれない。その時に対中関係をないがしろにして対米だけを重視していると、報復の矛先が日本に向かうことも考えられる。習陳平を国賓として迎えるという計画をギリギリまで中止しなかったのも、それをかわす目的からであった。中国からの渡航禁止を行わなかったのも同様の理由だ。

 第一β案ならば、感染が拡がったところで死者は年寄りと既往症のある者だけ。だとすすれば、年金や医療保険の問題にも多少寄与することも想定できるのである。

だから、武漢の感染症について国会で議論が始められるようになっても、議員たちはマスクをしなかった。その時の中継映像を見ると、記録係やタイムキーパーはマスクをしているのだが、議員たちは誰一人としてマスクをつけていない。さらにオリンピックについては、林会長も、大池都知事も、口を揃えて「東京2020に中止の想定はない」と明言していた。さらに、ダイヤモンドプリンス号における集団感染対策においても、厚生労働省は通り一遍の対応しか行わず、船内ではゾーニングすら行われていなかった。これらは、政府および関係者たちが、今回の感染症の騒ぎが、β案実行にともなうものであるということを最初から知っていたということの証拠である。ダイヤモンドプリンスの感染者が陰性確認後に公共交通機関を使っての帰宅が許されたのもこのためだ。

 ところが、想定外の出来事が起き始めたのは、聖火ランナーが走り始めた直後だった。それは、武漢での本格的な感染拡大とおびただしい死者の続出。そして、もはや医療崩壊が起き始めている、とのニュースが流れたのだ。β案であるとたかをくくっていた連中にとって、にわかには信じがたい情報であった。政府、議員、関係者の間では、「もしやα案が実行されてしまったのでは?」と考える者も出てきた。もし、そうだとすると、武漢の騒動は人ごとではない。中国からの渡航者を受け入れている以上、日本に飛び火するのは時間の問題であり、オリンピックどころではなくなる。

今度は矢部首相のほうからホットラインの受話器をとった。USAと書かれたボタンを押した。接続されると同時に、自動翻訳機のLEDが赤く点灯した。

 「ハロー、チンゾー。」

 「スランプさん、話が違うようだが、いったい何が起きているのか説明をお願いしたい。」

 「すまないがミスター矢部。実は我々も調査中なのだ。」

 「調査中って、そう言ってる間にも、死者数がものすごい勢いで増えているようだが。」

 「そうだ。まったく想定外だ。とにかく、緊急事態であることは間違いない。実は我が国では既に内陸において中国からの帰国者から一部感染が拡がり始めた。今のところ、季節性のインフルエンザと発表しているが、ウィルスの遺伝子配列を調べさせたところ、βとは似てもにつかぬものだ。もちろんインフルエンザウィルスではないからワクチンが効かず、既に死者が1万5千を超えている。」

 「間違ってα案のウィルスが拡散されたということは考えられないのか」

 「それも含めて調査中だが、今のところ何とも言えないのだ。とにかく、方針転換だ。ロックダウンを想定して、緊急事態に備えるほうがよい。もちろん東京2020も中止だ。国際オリンピック委員会には、私から正式に中止を要請するつもりだ。」

 「彼らはWHOの指示に従うという返事だったが・・・」

 「君はあのペドロスの母国エチオピアがどれだけ中国支援を受けている知っているだろう。中国経済とほとんど関わりのない東京オリンピックなど、WHOにとってはどうでも良いはずだ。チャイナウィルスをcovid-13と命名したのも中国への忖度なのだから。とにかく、我がアメリカはすぐに中国渡航者をシャットアウトする。」

 「では我が国も至急対策をとることにします。」

 ヨーロッパでの大規模感染という情報がもたらされたのは、この直後のことである。矢部首相は、民自党議員たちにろくに相談することもなく、突如全国に学校休校を要請した。これは、新型ウィルスの恐怖を国民に印象付け、感染拡大に備えてもらうためのとりあえずの思いつきであったが、個人的パニックも加わった結果であったことは言うまでもない。


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