第21話 最愛のヒロイン


「ふっふふ、このあたしから逃げられると思ったら大間違いなんだからねっ!」


 俺が目覚めるなり、視界にはいってきたアベル嬢は自慢げに腰に手を当てていた。


 いつもどおりの不遜な態度。

 

 ツンデレ系巨乳で、貴族令嬢というみんな大好きな属性が詰め込まれたヒロインだ。


 彼女は難易度はやや高いが、丁寧に攻略していけば必ずゴールインできて、幸せな家庭を築けて、あんなことや、そんなことも出来たりする。王道ヒロインのひとりである。


 出来れば、彼女には関わりたくなかった。


 ゲームのプロットに影響を及ぼすのもそうだが、なによりもまずい理由がひとつ。


 のだ。


 なにせ、2万時間プレイしたなかで、ダントツで彼女のことが一番ヒロインとして好きだったから。


 最愛のヒロインである。


 もちろん、何回も告白した。

 何回も付き合って、結婚もした。


 わがままな性格の彼女のAIに機嫌を直してもらうために、夜が明けるまで自分たちの将来について話しあったこともあった。


 俺は彼女に弱い。これは自覚してる。

 ありていに言えば、関わると心が揺れる可能性がたかい。


 だと言うのに……捕まってしまった。


「しまったな……」


 俺はつぶやき、自分がベッドに手錠で繋がれていることを示すように、鎖で繋がれた手を持ちあげてみせる。


「これは、何ですかね、アベルさん」

「あら、やっぱり、あたしの事は知ってるのね! それはね、あんたがまた逃げたりしないようにするための保険よ!」


 アベル嬢は鼻を鳴らして、腕を組んで言った。

 

 俺は「どうしてこんな事を?」と聞き返してみる。


「あんたが逃げるからでしょ! あたし覚えてるんだからね、あの陰湿な街であんたがあたしを人攫いから助けたこと。船で魔獣を倒したことだって全部わかってんのよ」

「左様ですか」


 ダメだな。

 こうなったらプロットに不干渉で行くのは諦めよう。


 ここからは出来るだけプロットを崩さない動きをする。それしかない。


「あんた、名前はなんて言うのよ?」

「モブの名前なんて聞いてどうするんすか……」

「モブ? あんたモブって言うの?」

「……はい」


 なんか勘違いしてくれた。


「モブね、ふっふ、おかしな名前ね、響きからして、もうアホちんだわ」

「そうっすね。それで、アベルさんは俺を捕まえてなにがしたいんですか?」

「せ、急かすんじゃないわよ。もっと、会話を楽しむこととか、出来ないわけ?」

「貴族じゃないんです。俺は肉に塗れる銀人。ウィットもユーモアも持ち合わせてないすよ」


 手首の鎖をジャラジャラ鳴らして、肩をすくめる。


 アベル嬢は「こんなに可愛い女の子と話せて嬉しくないわけ?」と、いたずらな笑顔をうかべて胸を強調するように腕を組んだ。


 俺はまぶたを閉じて、ただ沈黙で答える。


 今でも大好きな彼女へは、嘘でも気持ちを否定はしたくなかったからだ。


「ふーん、クール気取っちゃって。どうせ内心は嬉しさ爆発してるでしょー」


 そうでもない。


 ……と、自分に言い聞かせる。


 ずっと好きだった彼女。

 しかも本物と会えて、悶えるくらい嬉しくて、もう抱きしめてスリスリしたいだなんて、決して思っていない……と、自分をだます。


「ところで、アベルさん、魔獣はどうしたんですか?」

「? 魔獣ってなんのことよ。船の死体なら、湖に放り捨てさせたけど?」


 ん、イマイチ話が噛み合わない。


 そうか、そういうことか。

 まだ魔獣に襲われていないわけだな?

 ここは明らかにヴェインハースト家の別荘、つまり俺が変な干渉したせいで魔獣に襲われるイベントが変化したということか。


 となると、この後、どうなるんだ。


 アベル嬢は襲われるのか、襲われないのか。


 わからない。

 やっかいな事になったな。


「モブ、あたしからの要求はひとつよ! なにかお礼をしっかりさせなさいって事だけ。ヴェインハーストの姫として、受けた恩には、必ず報いるわ!」


 アベル嬢はビシッと指を俺に突きつけて、「決まった!」と言いたげに頬を赤く染めて、楽しそうに言い切った。


 俺はあたりを見渡して、彼女の可愛すぎる顔を見ないようにする。


 マーシー、マーシー、マーシー。

 マーシー、マーシー、マーシー。

 マーシー、マーシー、マーシー。

 マーシー、マーシー、マーシー。


 婚約者の名前で、頭に浮かぶ邪念を追い払う。


「ふぅ……ところで、アベルさん、見たところ護衛がいないですけど大丈夫なんですか? 貴族家ヴェインハーストの令嬢が、俺みたいな怪しい者のまえに、ひとりで来て」


 手錠をガチャガチャ外す演技をする。


「危ないですよ。いつ襲いかかるかわからないですよ」


「ふふっ」


 アベル嬢に鼻で笑われた。


 彼女はスッと目を細め、蠱惑的なしぐさでドレスをまくしあげはじめる。


 マーシー、マーシーましましまし、助けて、マーシー、太ももから目が離せないんだけど。


「エッチ」

「ぐふっ……強すぎる……」


 俺は心臓を抑えて、尊死するのをこらえる。


 俺をからかって楽しむアベル嬢は、ふくらはぎを細い指でなぞり、太ももに装着されたベルトから隠し短剣を抜いた。


 白くて健康的な太ももは、あまりにもエチエチすぎて、ついには鼻血が出てしまう。


「あたしはヴェインハーストの姫。これ一本あれば、何が来ても余裕よ」

「そのわりに、人攫いには捕まるんですね」

「にゃ!? そ、そのことは忘れなさい! ……ん?」


 アベル嬢が顔を真っ赤にして腕をぶんぶん振る。


 ふと、彼女は背後へふりかえった。


 今、何か揺れたような。


 首をかしげてみると、今度は凄まじい破壊音が壁の向こうから聞こえた。


「グロォオオオ!」


「っ」

「ひゃっ!?」


  次の瞬間。


 部屋の壁が放射状に亀裂を走らせて、割れて、黒い獣毛を全身にまとった3メートル強の大きなオオカミ人間がはいってきた。


「チ、チ……キンキ、ノ、チィィイイイ!」


 目を充血させ、大きな牙を向く魔獣。


 腰を抜かし、声を詰まらせるアベル嬢の手からすっぽ抜けた短剣が、俺の枕元に落ちてくる。


 え?

 こんなちっこい剣でなんとかしろと?


 アベルさん、それは無理っすよ……。


「魔獣……っ! なん、で、ここに、どうして、いやぁああ! 死にたくない、死にたくないよ……っ! ぅぅう、ぁあぁ、ぁ!」

 

「……クソ、やるしかない、か」


 アベルの悲鳴を聞いた時。


 俺の体は勝手に動いていた。


 これは正直、詰んでいる。

 拘束され、武器もすらない。

 

 それでも、俺は短剣を手に取った。


 アベルを救うためなら、命を投げ出せてしまう。


 愚かな自分が嫌になりながら、俺は覚悟を決めた。


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