赤い雪(紅の、吹雪、煽る、ひらひら【自分をモデルに】)
雪の話を、したのだ。
ついさっきまでがやがやと賑やかだった食堂は、しかし今ではしんとしずかだ。五時間目が始まるまで、あと十分。あたしたちは毎日、最後まで残っている。
「雪ねえ」
葉月は箸でハンバーグをつつきながら、ひとりごとのように言う。理奈と由香利はいつも通り、あんまり興味がないような顔をしてお弁当を食べている。
あたしはお弁当の、ナポリタンスパゲティをくるくると巻きながら言う。
「うんそう、なんか今日の空ってそんな感じしない? なんか雪が降ってきそう、今にも」
「ああ、まあねえ」
葉月は窓の外を見やる。一面の、灰色。ずっしりと重たそうな雲が、空を支配している。
「いや降らないでしょ」
非難でもするように、理奈は言う。理奈の言いかたは、いつだって厳しく響く。
「まあねえ、まだ十一月だからねえ」
葉月はなにか、わかったふうな言いかたで言う。あたしは内心ちょっとだけしらけてしまったけれど、でもじっさいにしたことは、笑いながら反論することだった。
「降りそうってだけ! そんな感じ、したから」
あっそ、と理奈は言って、またお弁当を食べるほうに集中してしまった。冷たいなぁと思うけど、まあいつものことなので気にしないことにする。
「降らないで欲しいな。面倒だもん」
言ったのは、由香利だ。まあそうだけどさ、とあたしは返す。それを聞いて、あたしはなんだかますますしらけてゆく。でもそんなことは、もちろん言わない。おざなりに返事をするきみたちにたまにうんざりするなんて、言わない。
ちらと葉月を見ると、葉月は唇に親指をあてて、じいっとテーブルの中心を見つめていた。なにか考えているときのくせだ。そしてそういうときはたいてい、葉月はやっかいでややこしい話をし出す。またかなぁ、と思って、またしてもすこし、うんざりした。
「ねえ、」
葉月は箸を置いて、あたしたちの顔を見回す。
「雪ってさぁ、なんで白いんかね?」
ほら、来た。そんなの知らないよと思うけれども、あたしが返事をしなければ沈黙が降りてきてしまう。だからあたしは、言った。
「なんでだろうね」
「べつに白じゃなくってもいいじゃん。なのになんで、わざわざ白なんかね? 不思議。ほんと世界って、不思議なことばっかり」
あたしは、うん、とうなずく。だってそんなこと言われても。葉月の話には、正直言ってついてけないことが多い。それは理奈も由香利も同じなようで、ふたりとも黙々とお弁当を食べ進めている。
そのことに気がついていないのか、葉月は熱弁を始める。箸を置いて、身ぶり手ぶりを交えながら。
「べつにさぁ、赤でもいいと思うんだよね雪って。それはそれで、きれいかもしれないじゃん? あんがい」
「えー、嫌だ」
理奈が顔をしかめて言う。するとすかさず、なんで?と葉月はきく。こういうときの葉月の声の響きは、あまりにも真剣でちょっと引いてしまう。
「嫌だ」
理奈はそう繰り返すだけで、理由を言わない。理奈はほんとに、自分のことを語らない人だ。
そっかぁ、と葉月は、ものわかりの良いふうに言う。このものわかりの良いふうな言いかた、あんまり好きじゃない。なんだか上から目線で。
「……あ、」
葉月はなにか、思い出したように言った。
「そうだ、これ。せっかくだからきいてみよう。きいてみたかったんだよね、こういうこと。ずっと。あのさぁ、」
葉月はそこで、一拍置く。
「……あのさぁ、わたし、赤い雪って炎かなって、今思ったのね。それでさ、それって、なんて言うか、戦場とかじゃん。炎と、あとまあ、血ね。赤い雪はだから、そういうぎりぎりの場所に降るんだよ、」
あたしはそこで、頷く。どうでもよさそうな顔をしている理奈と由香利と違って、あたしは理解のできる人なんだ、ということを示すために。
「それで、そこにさ、もし、もしだよ、わたしたち四人がいてさ、自分以外の三人が怪我してて動けなくて、でもすぐ逃げないと自分も危なくって、そうだとしたら、どうする? 助ける? 逃げる?」
「逃げる」
理奈は即答する。ひどいなぁと葉月は苦笑して、たのしそうに苦笑して、でもその目はぜんぜん、笑ってなかった。色がないんだ。のっぺりとしていて、なにも映してないみたい。
そして葉月は、しずかにきいた。
「なんで?」
「なんでも」
それだけ言うと、理奈は沈黙してしまった。
葉月は視線を由香利のほうに移して、由香利は?ときいた。
「うん、逃げるかな」
「なんで?」
「え、なんかやっぱり自分がかわいいじゃん、みたいな?」
そっかぁ、と葉月は何回か頷いて、そうだよねぇ、と言って、皐月は?とあたしに話をふってきた。
「あたしたぶん、逃げない、ってか逃げられない」
「なんで?」
そこでなんで?とくるか。
「だってさ、友達じゃん。見捨てたら、ずっと後悔しそうだし……」
「あ、なるほど、自分が後悔するのが嫌だから?」
なんでこう、ざっくりと遠慮なく、ずかずかと言ってくるんだろうこの人は。不快に思いながらも、まあそういうことかもね、とあたしはいつもの調子で返した。
「ふーん……」
葉月は唇を小さく噛んで、それでこの話は終わった。話題が、思いつかない。沈黙が、積もってゆく。ちらりちらりと降ってくる。あ、沈黙って雪に似てるじゃん、と思った。
放課後、あたしと葉月は、廊下に立って由香利を待っていた。由香利とあたしと葉月と、みんなべつのクラスなのだ。葉月と理奈はいっしょのクラスだけれど、理奈は今日掃除当番だから、今ここにはいない。
ホームルームが終わったのはあたしと葉月のクラスだけらしく、廊下にはまだ人気がない。しずかだった。なにかを喋れば、由香利にきこえるんじゃないかってくらいに。
だからというわけではないけれど、あたしたちは黙っていた。話すことが、見当たらなかった。最近こういうことが多い。あたしはちらちらと、腕時計を見た。そうこうするうちに、十分が経っていた。
そのとき、壁にもたれかかって腕を組んでいた葉月が、言い出した。いつもの苦笑を浮かべて。
「みんな酷いねぇ」
「なにが?」
「見捨てるってさ。酷いねぇ」
また、その話か。そう思ったけれど、もちろん言わない。酷いよね、と相槌をうってあげたあたしの声には、笑いが混じっている。愛想笑いだ。
「でもさぁ、わかるよね。見捨てるってある意味、健全な考えかただよ。だって人間って、エゴの生きものだし。ねえ皐月、」
葉月は急に、あたしの目をじっと見つめる。あたしは気まずくて、床に視線をそらす。ごわごわのカーペット。
「皐月も、見捨ててくれていいんだよそういうときは。みんなで共倒れなんてなったら、もっとかなしくなりそう。まあ理奈なんか、すっごく恨めしい目しそうだけどね!」
そう言って、葉月はくつくつと笑った。あたしはちょっと意地になって、いや、見捨てないよ、と言った。見捨てるわけ、ないじゃん。
すると葉月は、皮肉っぽく唇を曲げた。
「やさしいね、皐月」
嫌な、言いかただった。
「じゃあ葉月は、もしそういう状況になったらどうするの?」
そうやって人の答えにケチをつけるなら、いったい自分はなんなんだ、大層な答えをもっているんでしょうね。そういう意地悪な気もちで、あたしはきいた。
「んー、わたし? わたしはねえ、」
葉月はぼんやりと空中を見つめながら、淡々と、まるで国語の朗読でもするように話し出した。
「見捨ても助けもしないかな。わたしね、赤い雪がみてみたいんだ。ほんとに。だからねしばらく、じっとしてると思う。じっとして、うん、もしかしたら駆け回ったりしちゃうかも。たのしくて。だってそんな状況、なかなか居あわすことできないじゃん? だからねあたしは、そうだねだから、あえて言うなら、無視しちゃうかもねぇみんなのこと」
まあじっさいそうなってみないとわかんないけどね、と笑った葉月の目は、しかし、真面目だった。冗談を言ってる目ではない、だってその目はびくともしないで、ただ空中の一点を見据えてるんだもの。まるでなにか、そう、赤い雪でもみているかのような目。
あたしは苛ついた。どうしようもなく苛ついた。人のことを、いったいなんだと思ってるんだ。馬鹿にしてる、人のこと軽くみてる。それならまだ、見捨てるってほうがまだましだ。理由はよくわからないけど、あたしはそう思った。理奈と由香利の答えのが、よっぽどまし。
怒りを沸騰させているあたしに気づかないのか、葉月は手を伸ばして、ひらひらとさせた。
「きっときれいだよ、赤い雪。ひらひらしてて、手で煽いだらぱっと舞ったりするのかなぁ。みてみたいなぁ」
そしてあたしをみて、にこっと笑った。
だめだ。
その瞬間、思った。
だめだ、あたしは、この人とわかりあえる気がしない。つきあってゆける、気がしない。
それなのに、どうしてつきあっているのだろう。
あたしはひとり、立ち尽くした。葉月が隣にいるにもかかわらず、あたしはひとりだった。理奈、由香利、はやくきて。心の底から、そう思った。あたしは、わかりあえる人と、話したい。今とっても、話したい。現実感を取り戻したい、あたしは人とわかりあえるんだってことを確認したい。
葉月はまだ、手をひらひらと動かしている。ほんとうにたのしそうに。あたしはそれをみて、また再び、絶望した。わかりあえない人っていうのは、存在するってことを知った。確かに。
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