隠した両手(三題噺:夕方の並木、逃げる、長袖)

お題:「夕方の並木道」「逃げる」「長袖」



 夏だ。夕方になっても、まだまだ熱気のこもる夏。でもこんな時期でも、あたしは長袖の服しか着ない。手を露出させるのが、嫌なのだ。女の子なのに、ごつごつと無骨な手。

「それにしてもさあ、隠しすぎじゃない?」

 隣を歩く美樹みきは、笑って言う。バスケット部のジャージ姿で、短く髪を刈り上げていて、それなのにやっぱり美樹はとても美人。背もすらりと高くって、小さなあたしは見上げてしまうほどだ。

「まどかの手はさ、ピアノがんばってたーって証拠なんだから。胸張っていいと思うよー、っていうかそうすべきだと思う!」

 ねっ、と言って、美樹はあたしの左手をとる。そしてそのまま、ぎゅうと握ってゆったりと振る。

「まどかは自信がなさすぎなんだよー」

「そうかな……」

「そうだよー。まどかはさ、ピアノ弾けるしお茶できるし絵も描けるんだし、もっと自信もつべきだって! それに可愛いしさ!」

「かっ、可愛いなんて、そんなこと、ないよ……」

 あたしは顔を赤らめる。左手の美樹のぬくもりを、変に意識してしまう。

 恋、とかじゃないと思う。だってあたしも美樹も、女の子だし。でも、あたしにとって美樹の存在が大きいっていうのは紛れもない事実だ。小学校からいっしょで、おんなじ私立中学校を受験して、あたしも美樹も合格して、こうやって今も帰り道をいっしょに辿る仲。ほかにも美術部の友達なんかはいるけれど、あたしは美樹がいちばんの友達だと思ってるし、美樹もきっとそうだって、祈るように思ってる。

 手をつないだまま、歩く。道の両がわに立つ木々は、風を受けてそよそよと揺れている。平和だ。ほんとに、平和。何回も何回も、美樹と歩いた風景。こんな日常が続けばいいな、って思う。やっと手に入れた、平穏な日常。

 日は暮れてゆく。紅の輝きが、どんどん増してゆく。あたしは顔に微笑みすら浮かべている。

「あ、そうだまどか」

 美樹がなにか思い出したように言って、あたしは美樹のほうを見る。美樹は前をまっすぐ見ている、穏やかな表情。

「あたしね、付き合うことになったんだ」

「……え?」

 聞き間違いかと、思った。

「うん、バスケ部のさ、大山おおやまっているじゃん? あいつとさ」

「……あ、うん」

 動揺を、隠し切れなかった。付き合う? あたしはそんな話、なんにも聞いてない。

 そんなあたしに気づいているのかいないのか、美樹ははにかむようにして続ける。

「ぶっちゃけちゃうと、もともとさ、好きだったんだー、あたしも。でもそんなこと言えないじゃん。でも大山も美樹のこと好きっぽいよ! って部活の子たちが教えてくれてさ、うん、だから部活の子たちにお世話になって、めでたく! みたいな感じでさ」

「あ、そうなんだ……」

 動揺は、怒りに変わりつつあった。なんで。どうして。あたし、そんなの、知らなかった。部活の子たちは知ってたんだよね、なのにあたしは知らなかった。どういうこと、それって、どういうこと。

「おめでとうって、言ってくんないの?」

 美樹はいたずらっぽく言う。

 そのときの美樹の顔、それであたしはわかってしまった、美樹は今、あたしを見ていないんだと。美樹の瞳にうつっているのは、きっと大山くん。あたしに話しているようで話していない、美樹は、彼氏ができたって状況に酔っている、あたしを友人Aにして、もっともっと酔おうとしてる。

 かっとなって、あたしは美樹の手を振りほどいた。びっくりしたような美樹の顔。

「……おめでとう」

 叩きつけるように皮肉るように言いたかったのに、じっさいのところあたしの声は、か細い涙声だった。

 背を向け、駆け出す。嫌だった。すっごく、嫌だった。一刻も早く、美樹から、絵に描いたような幸福から逃げたかった。

 長すぎる袖が、ひらひらと揺れる。美樹の言葉を思い出す、そしてまたあたしはくつくつと煮えるような怒りを感じる。適当なこと言って、褒めとけばあたしが喜ぶって思ってるんだ。

 美樹はこのことを、大山くんに言うのだろうきっと。そして慰めてもらうのだろう。もしかしたら、いっしょに帰るのだってなしになるのかもしれない。美樹は、大山くんと帰るようになるのかもしれない。

 ひどい。

 あたしの呟きは、風にさらわれてゆく。

 美樹の、すらりとした両手足が思い浮かぶ。大山くんは、美樹のあの手足もやっぱり好きだろうか。そう思うと、その想像の生々しさにぞっとした。

 苦しくなり、あたしは走るのをやめて歩く。激しく呼吸しながら、涙が滲むのを抑えられなかった。

 袖にほとんどが隠れた両手を、あたしはじっと見る。そして思う。

 あたしはきっとこの手を出すことなどないのに。

 後ろを振り向く。美樹の姿は、なかった。べつの道から帰ったのかもしれない。涙がついに溢れ出し、惨めだ、とあたしは思った。

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