茶色い血(三題題:早朝の部屋、泣き出す、ココア)
お詫びをふたつ。
・「早朝の部屋」とありますが、早朝、ということをすっかり忘れて書いてしまいました。気づいたときにはもう書き上がってしまっていたので、今回は勘弁してください。
・今日○○さんに突っ込まれたのですが、このお題を提供してくれるあのページ(×××)っていちおう、「恋愛お題ったー」なのね……この話恋愛のお話じゃないです、ごめんなさい。……でも説明文見ると、「恋愛系よりのお題」ってあるから、いいんだよねきっと、恋愛じゃなくっても。おそらく今後も、この「恋愛お題ったー」で恋愛じゃない話を書くことが多々あると思います。
natsuki0710さんは、「早朝の部屋」で登場人物が「泣き出す」、「ココア」という単語を使ったお話を考えて下さい。
『茶色い血』
ココアは面白いほど染みになる、白い壁に垂れて模様をつくってこれどこかで見たことあるって思ったらそうだ、いつだったか家族で行った美術館の絵に似ているんだ。わけわかんない展覧会だった、父の友人のなんちゃらっていう画家の人が絵を出してたんだけど、その人の絵はただ現実を切り取っただけで、馬鹿なんじゃないってあたしは言いたくなった。現実を模写したって、そんなの意味ないじゃん。現実にないうつくしい景色を描くからこそ、美術には意味があるのだ! と、思いつつ見つけた絵が、一面に血をぶちまけたような、グロテスクででも魔力のある絵だった。あたしはそれに見惚れた。そう、それに似ているんだこの壁は。たらたらりと、せわしなくココアは垂れてゆく。重力って、面白い。
と、智哉が小さくドアを開けた。心配そうな、うかがうような表情をしている。やっぱり来た、八歳違いのあたしの可愛い弟。
「舞ちゃん、今、なにか割れた音がしたんだけど……」
この子は馬鹿か、そんなの見りゃわかるでしょ。と思ったけれど、優しいあたしはにっこりとして言ってあげる。
「ああ、うん、割ったの」
「……僕の淹れたココア、まずかった?」
「そんなことないよお」
笑って、右手をひらひらと振る。こんなにもあたしは気さくにしているのに、この子ときたらいっつもあたしに怯えるんだ。いくら歳が十歳近く離れてるって言ったって、まったくひどい話だ。
「そんなことないの。そうじゃなくて、なんかね、なんとなく投げてみたくなっただけ」
「……なんとなく?」
「そう、なんとなく。それだけ」
「なんとなくで、コップを割ることって有り得るの?」
「あるある、超ある」
現役女子高生っぽく言ってみたのに、智哉はにこりともしない。やっぱりこの子、愛想がない。
智哉は上から下まで壁を見て、ぼそりと言う。
「とりあえず、拭くもの持ってくる。染みになったらいけないから」
言い終わるか言い終わらないかのうちに、智哉はくるりと背を向けて、階段を下りていってしまった。
つまり、あたしは取り残された。
「……なによ」
ココアの染みは、心臓から滴る血みたいにぽたぽた落ちる。
「なによ」
あたしの声を、受け止める人はいない。
苛ついてきた。猛烈に、苛ついてきた。あたしはコップの破片を拾い、手当たり次第壁に投げつける。がちゃんがちゃんがちゃんと、破壊音の連鎖。
「なによなによなによなによなによっ!」
慌てる足音がして、智哉が階段を駆け上ってくるのがわかった。あたしよりも背丈の小さな弟は、暴れるあたしを止めようとする。
「舞ちゃん、落ち着いて。落ち着いて! どうしたの、まずは深呼吸してよ、整理して話してよ!」
「るっさいなあ!」
あたしは智哉の腕を払う。智哉は床に、倒れ込む。
智哉を見下ろし、あたしは哂う。
「あんたって優等生ね。こんなときまで、見事なまでに優等生。いい子ね智くんって、そう言われてるもんね。いつだって、どこでだって。はっ、これだから優等生は違うわ。あたしとは違うよねー。これだからいいよね、期待の神童ちゃんは」
智也は暗い光を込めた瞳で、あたしを見上げ睨んでくる。ああこういうところがどうしようもなく姉弟だ、どうしようもなくて、むかつく。
「いや、違うよ」
智也は、しずかな声で言う。
「僕は神童じゃないよ。僕は、優等生のふりをするのが上手なだけだ。仮面をかぶることができるだけだ」
「すっごおい、神童の智くんは、小学生なのに仮面なんて言葉をつかっちゃうんだあー! すごいすごい!」
「馬鹿にしないで、舞ちゃん」
その声は低く這っていて、あたしはすこしだけびっくりする。あれ、この子、こんな声出せたっけ。
「舞ちゃん、いい加減にしなよ。どうしてこんなことするの? ねえ舞ちゃん、僕は心配しているんだ。舞ちゃんのために、」
「あたしのためとかそういう台詞なんてもう聞き飽きたのよ!」
あたしは金切り声で叫ぶ。頭を抱え、しゃがみ込む。
「舞ちゃんのため。舞花のため。佐藤さんのため……そんな言葉で救われたことなんて、あたし一度もなかった! みんなあたしを迫害するのよっ、あたしはみんなのこと想ってるのにこんなにも想ってるのに想ってたのに、みんなはあたしのことなんにも考えてくれなくて! もういい! もういい! もういいわよ!」
気がついたら、涙声になっていた。涙は栓を抜いたみたいに溢れ出し、どろどろと頬を伝う。泣いているのだ。そう気づいた。
智哉はすでに立ち上がり、あたしを見下ろしている。憐れむような表情。あたしはどうせ狂人みたいに見えるのだろう、そんなことないのに。
「……あたしは狂ってなんかない。あたしはふつう、あたしは正常……」
「そうだよ」
智哉は、なぜだか苦しそうな声で言う。
「舞ちゃんは、狂ってなんかない。舞ちゃんはふつう、舞ちゃんは正常。だから……」
智哉はひとつ、息を吸った。そしてあたしをまっすぐ見つめて、言う。
「……元気出してよ」
吐き出すように言って、あたしの部屋を出ていこうとした。智哉、とあたしは呼び止める。涙でぐちゃぐちゃであろう顔に、余裕たっぷりの笑顔をつくって。
「このココアのこと。智くんがやったことにしといてね」
智哉はすこしのあいだ黙っていたが、やがて頷き、今度こそ部屋を出ていった。
あたしはしばらく、しゃがみ込んでひざに顔をうずめたまま泣き続けた。涙って、いっかい溢れると止まらない。あたしは流れるままにさせておいた、どうせ涙なんて、身体から水分が出てゆくだけだ。それだけの、意味と価値しかない。
あたしは、いつものおまじないを、となえた。
「あたしはだれも愛さないし、あたしはだれにも愛されない」
顔を上げる。茶色の液体は、すっかりべたついている。
愛なんて、存在しないのだ。すくなくとも、いま、ここには。
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