コールタール(三題噺:眼鏡、傘、嫉妬)
このねっとりと粘っこい感情は何だろう。コールタールみたいに溜まってこびりついて、胸の底から全身を侵食してゆく。黒ずんでゆく。わたしの身体は、黒ずんでゆく。
夕ぐれの教室は、濃い紅色で充満している。息が詰まりそうな光の水。埃がきらきらと光って浮遊している。
黒ずんでゆくわたしの影は、まっ黒に見えるに違いない。そこに人間の色はない。亡霊みたいな、ただの影。
止められない。止めることが出来ない。わたしは一歩足を踏み出す、紺色のスカートが翻る、
黒板を背に立ち、わたしは教室をきっと見据える。廊下がわの、前から二番めの席、そして、窓ぎわの三番めの席。かつてわたしは、廊下がわのその席が好きだった。でも今は、ふたつとも、憎い。
廊下がわの席には、君が。窓ぎわの席には、あいつがいた。わたしは授業中いつだって、君の背中を眺めていた。飽きることなんて、なかった。
右手の傘の柄を、ぎゅっと握りしめる。ひんやりと堅い感触がする。この感触を、破壊したい。わたしはますます力を込める。
わたしは知っているのだ。あいつはいつも、眼鏡を学校に置いてゆくと。不用心だ、軽率だ、わたしみたいな人がいないとも限らないのに。
あいつは確かに、眼鏡が似あう。にっこり笑って知的に見える。君はそれを、嬉しそうに目を細めて見る。わたしはそれが、嫌で嫌でたまらない。
ゆっくりと、あいつの席に向かう。こつりこつり、と上履きが床を叩く。机のなかを探り、目的のそれを手に掴む。ピンクいろの、眼鏡ケース。ピンクを選ぶところがいちいち嫌だ。
わたしはそっと眼鏡を取り出し、あいつの机のうえに置いた。しんと佇む、憎き眼鏡。
息を大きく吸い、わたしはそのうえに、傘を勢いよく振り下ろした。何回も何回も、繰り返し繰り返し。執拗に、徹底的に。
そうするうちに、眼鏡のレンズは砕け散り、残骸があたりに散らばる。わたしはそれを見下ろし、思う。
こんなんじゃ、足りない。
わたしは絶望的な気もちになる。それでいっそう、傘を振り回す。でも駄目だった。ぜんぜん、足りない。わたしはしばらく、息を荒くしてその場に佇んでいた。
明日はもっと、違うことをしよう。もっともっと、もっと激しい方法で。そう思うとすこしだけ楽になって、わたしは微笑んだ。
夕ぐれに、ガラスの破片たちがきらきらと輝いていた。
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