嫉妬
私は演じることが大好きです。いつもは引っ込み思案で、もじもじと何もできないのですけれど、お芝居をするときだけは溌剌となるのです。
小学三年生のとき、学芸会でかぐや姫をやったことがありました。私は当然、主人公のかぐや姫に立候補したのですが、私が手を垂直に伸ばしたとたん教室じゅうに笑いが起こりました。先生さえも苦笑いで、「
私はそのとき、住民Cになりきっていました。いえ、私にとっては住民Cなんかではありません。私は住民Cに仰々しいお姫様の名前をつけていました。本当は月なんかよりよほど大きい木星から来たお姫様、しかしある事情によりその高貴な身分を隠して生活している、という設定までありました。
それからしばらく、お芝居をする機会はありませんでした。私は家でひとり、架空の脇役と観客を想定して主役を演じ続けたものです。いつかいつか、大きなステージの上、スポットライトの中で喝采を浴びれたら。暇さえあればその空想にふけり、授業中もその世界に行っていたために、学業のほうはさっぱりでした。
小学六年生になったとき、ようやくお芝居をする機会が巡ってきました。小学六年生のときの学芸会は五、六人の班ごとに分かれ行うことになったので、その小さな班の中で、劇、と提案すれば劇をやれる可能性があったのです。
「何にしようか」
リーダー格の男子が言いました。しかし皆黙ったまま何も言いません。私はどれほど、劇にしよう、と言いたかったことでしょう。しかし大人しい性格の私にはそれができなかったのです。いつまでたっても決まらないので、先生がしびれを切らしてやってきたりもしました。私立中学を受けるために先生にいい顔をしたかったリーダー格の彼は焦ったのでしょう、ひとりひとりに、何がいい、と訊いてまわりました。皆、うーんと唸ったり苦笑いを返すだけでした。いよいよ私の番がやってきました。私は全身の勇気を振り絞って言いました。
「劇とか」
「劇」
彼は反復しました。そして、
「山田さんの意見に、賛成の人」
と問いました。皆は、どうでもいいよ、というふうにおざなりに手をあげていました。私はうつむきながら、内心ほっとしていました。のどが渇いていました。お芝居の内容は、私の班は女子が多かったためにシンデレラに決まりました。
さて、無事劇に決まったはいいのですが、私は主役をとれるかということが大問題です。私は家で三日間、考えあぐねました。そして正直に主役をやりたいと言う他ないだろうという結論に達しました。皆だって鬼ではないのだから、そして主役をやりたい者などいないに決まっているのだから、おそらく大丈夫だろう、と。そう自分の中で合点がいくと気持ちは一変して、全校生徒の前で可憐にシンデレラを演じる自分の姿がありありと浮かんできました。私はその妄想で何回も何回も楽しみました。私はもうすっかりシンデレラをやる気でいました。
配役を決める日がやってきました。
「じゃあ、シンデレラやりたい人」
さあ手をあげるぞ、と思ったとき、
「シンデレラは、
などと、甲高い声で男子が言い出しました。鈴木さんは、今年に入ってもう六人に告白されたと噂される子です。冗談じゃない、と私は思いましたが、もちろんうつむいたままで何も言えやしません。断れ鈴木、と思いながら鈴木さんのほうを見ると、彼女はなんと、まんざらでもなさそうに照れているではありませんか。その表情が同姓の私から見てもまたかわいくてかわいくて、私はますますどろどろとした気持ちになっていくのでした。
「いいね、じゃあ鈴木さんにしようか」
リーダー格の彼の言葉が、私には死刑の宣告に聞こえました。
今ならまだ間に合う、手をあげてやりたいと言うんだ、ともう一人の自分が言いましたが、だってどうでしょう、鈴木さんのかわいいことといったら。私と比べて、彼女のシンデレラの似合うだろうことといったら。私は唇を噛んだままで、シンデレラはとうとう鈴木さんに決まりました。
私の役は意地悪なお姉さんになりました。三年生のときにやったかぐや姫の住民Cよりははるかに出番もセリフも多かったため、シンデレラになれなかったとはいえ私は喜びました。家で何回もセリフを反復しました。
しかしその喜びは、鈴木さんのシンデレラ姿を見た途端急激に冷めてしまいました。鈴木さんのかわいさ、いえ、若干十二歳にしての美しさ。そして出番の多いこと多いこと、出番の華やかなこと! 私はもうすっかりやる気が失せて、本番はおざなりに演じたものでした。どれだけ私がお姉さんをうまくやったとしたって、シンデレラにはかなわない、そう見せ付けられてのことでした。
中学に入ってからは、演劇をする機会はありませんでした。非常に残念なことに、小さな私の中学には演劇部が無かったのです。私は台本を書いてひとり自分の部屋で演じては、けらけら笑っていました。勉強もできない運動もできない私の、それだけが唯一の楽しみでした。その劇の中だけでは、私は常にかぐや姫のようなシンデレラのような、いえそれ以上の華やかな主役なのです。
中学校の三年間で、私は演劇に対する欲求不満を高めていきました。スポットライトの中で、大声を出して主役を演じたい。ただそれだけを強く思い、演劇部の無いかわりに偏差値のましな高校を蹴って、演劇部のある偏差値の低い高校に入ったほどでした。
高校に入ってから二日目、自己紹介をすることとなりました。皆、入りたい部活を言っていくのですが、私の前に至るまで、演劇部、と言った生徒はいませんでした。やはり、と私は少し残念な反面、嬉しい気持ちになりました。私は皆とは違う考えを持っている、と。
「西中出身の、山田
私は変に誇らしい気持ちで自己紹介を終えました。
なので、後ろに座っていた
「八日
私はじっと八日さんを見つめていました。八日さんは椅子をひいて席につき、そのとき私と目が合いました。彼女はにっこりと微笑みました。その微笑みは本当に眩しくて、幼子のように無邪気でした。
吉谷さん、鈴木さん、かぐや姫、シンデレラ。断片的なイメージが頭の中に浮かんできました。
休み時間、八日さんは私に話しかけてきました。
「ねえねえ、山田さん? 話すの初めてだね、八日理衣子です、よろしくね」
彼女の意図はわかっていましたから、慌てた私はこちらから話を振ってしまいました。
「八日さんも、演劇部入りたいんだよね」
八日さんはあの無邪気な笑みを浮かべ、
「そう、そう」
と嬉しそうに言いました。
「明日、部活紹介があるんだってね。楽しみだね」
などと私たちは談笑し、お弁当を共に食べ、駅まで一緒に帰りました。
邪魔者め、と私は思っていました。一緒になんかいたくない、しかし敵のことを知ることが大切だ、そう思って、私は彼女と仲良くなったのです。
実際八日さんはとてもかわいかったのです。無邪気な八日さんの微笑みを見るたび、私は打ちのめされました。
主役はとらせないぞ、と私は彼女を見るたび思うのでした。私はひとり稽古をたくさんしてきましたから少しは自信があります。たとえ見ためで負けたって、演技力で勝てばいい、そうだ、演劇とはそういうものだ、などとあれこれ考えていました。
そうして部活紹介の日がやってきました。演劇部はレベルが高く、隣に座っていた八日さんもほうっとため息をついていました。
見事な劇の幕が下りたあと、
「部活体験は、ホールでやっています。ぜひ来てください。今日早速練習がありますので」
と、演劇部の部長が言いました。
「ね、今日一緒に行こうね」
八日さんは私に無邪気に微笑みかけました。
そのとき初めて、私はもしかしてこの子をどうにかしてしまうんじゃないかとふと思いました。いつか、階段から突き落とすとか。自分が八日さんを階段から突き落としている場面がありありと浮かんできました。私はぞくっとしました。ひとつはそんな恐ろしいことを自分が考え付くことに対して、もうひとつは突き落とすことのさぞ快感だろうということに対して。階段から突き落として骨を折ったりしたら、演劇なぞ一生無理でしょう。私は彼女に非常に醜い感情を抱いていたのです。
放課後、私は八日さんと部活見学に行きました。部活見学には、私たちを含めて五人の生徒がいました。
まずやったのは、発声練習でした。私は四番目で、八日さんは五番目でした。前の三人は、演劇部の経験があるというわりには実力がなく、なあんだと私は胸をなでおろしました。私の番、腹の底から声を出しました。すると声はホール中に響き渡り、先輩たちも感心しているようすでした。どんなもんだ、と私は思わず鼻を鳴らしました。
八日さんはたいしたこと無いだろうというのが私の予想でした。彼女は中学校のときは吹奏楽部だったと言っていたし、華奢な彼女の体からそう大きな声が出るとは思えなかったのです。
しかし八日さんはすごい声量で、しかも明確に発音をしました。その場にいた全員が驚いたようでした。ホールに声が満ち、わあんと余韻まで残りました。先輩たちは私のときよりもっと感心したようすで、拍手までしました。
「きみ、演劇部だったの」
と先輩が訊くと、
「児童劇団をやってたんです」
と八日さんは照れたふうに言いました。私はそんなこと、一言も聞いてませんでした。
「へえ。うまいね。きっとうまくやれるよ。主役張れると思うよ」
「ありがとうございます」
先輩と八日さんはそのような会話を交わしました。
それを横目で見ながら私は、彼女を殺す他ないと思いました。
見慣れない町の景色が窓の外を流れていきました。
私は今までに一度も降りたことのない小さな駅で降り、適当に歩き回ってこぢんまりとした金物屋を探し、ポケットに入るほどのナイフを購入しました。ポケットに入るほど小さくとも刃は鋭く、心臓を刺せば殺せるだろうと私は考えました。
その夜私は八日さんを殺すところを想像してはくすくす笑いました。彼女はあの大きな目でびっくりして私を見るでしょう、そして苦悶の表情を浮かべるでしょう。笑いを止めようとしても、勝手に溢れ出てきました。真っ暗な部屋で、笑いだけが響いていました。
要は今すぐにでも八日さんがいなくなってくれればよかったのです。演劇部の見学部員の中では、私が八日さんの次にうまいのですから。
私はポケットにナイフを入れ、朝早く学校に行きました。昨夜は興奮して眠れなかったのです。そのため私の目は異様に血走り、変な光を放っていました。
八日さんは十分後くらいたったあとに学校に来ました。私の顔を見て、一瞬ぎょっとしたようですが、すぐにそれを押し隠したようでした。
「おはよう。どうしたの、なんか具合悪いの?」
「ううん、大丈夫だよ。なんでもない。ありがとう」
偽善者め。邪魔者め。お前は今日私に殺されるんだ。主役は私だ主役は私だ主役は私だ主役はお前なんかにやらせるもんか主役は私だ。
「どうしたの? なんか目がどっかいってるよ?」
「あ、そう? 昨日徹夜で勉強したからかなぁ、疲れちゃって」
主役は私だ主役は私だ、もう主役はとらせない。
「本当に? ならいいけど。ねえ、ところで今日も演劇部の活動あるよね? 行く?」
「うん、行く行く、楽しみだね」
そうだ、せいぜい最後の部活を楽しむがいいさ。しかし主役は私だ主役は私だ主役は私だ……
部活のあと、私と八日さんは共に帰りました。
駅までの道は、田舎ですのでまわりは田んぼだらけです。見渡してみると、まわりに人はいません。
やるなら今だと思いました。
「ねえ、この道、狭いね。一列にならない?」
と私は八日さんに提案しました。
「そうだね」
八日さんは私の目の前を歩きました。無防備な背中をさらして。
私はポケットからナイフを取り出しました。そして一気に、一気に、一気に……
「どうしたの?」
八日さんが振り向きました。私は咄嗟にナイフをうしろに隠しました。
「ううん、なんでもない」
「そうお?」
八日さんは無邪気に微笑み、また歩き始めました。
私はナイフを胸にしまいました。
そして胸のナイフをしっかりと握ったまま、八日さんの背中をぼうっと見つめていました。
そしてもう一度、ナイフに手をかけました。
あとがき
小説を書いていて一番困るのは、これが自分自身の体験だと思われてしまうこと。
確かに、私の書く小説は私小説に近いものがある。しかしそこはあくまで小説、決して私自身の体験ではない。
前回部誌にのせた小説も、今回の作品も、演劇に関係するものとなってしまったが、断った通りに私自身とは一切関係が無い。(それは私の書いた登場人物であるから、そういう意味においてはかなり関係があるが。)どうも自身の身近なものが出てきてしまうのは、それが一番手近で、実感として掴めるからだろう。
この作品は高校に入ってすぐに書いた。従って拙い部分もまま見受けられるが、少しだけ手直しをしてそのまま残した。
昔の作品というのは読んでいて楽しいものではある、少なくとも私は。しかし若いな。
関わったことのある全ての人たちに感謝を。
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