頼子の話


 見下したい。

 嫌な奴だと自分でもわかっている。でも強く思うのだ。ここ最近、日記には「誰かを見下したい」とばかり書き殴っている。

 人間付き合いで優位に立ちたい。スクールカーストとかじゃなくて、友達同士の微妙な関係で。優位に立って、友達を上の目線から励ましたりしてみたい。

 だから、高校に入って出会った田代たしろ花江はなえという存在は格好の餌食だった。


 入学式の日教室には同じ中学出身の気の強い子たちばかりいた。私を見下していた奴らだ、許さない。しかも上野うえの理穂りほもいる。上野理穂とは塾が一緒だった。彼女は人をそれとなく馬鹿にするのが大好きで、塾でも聞こえよがしに悪口を言っていたりしていた。私も言われたことがある、「あの赤いださい眼鏡、ありえないよねー」と。

 そんなとき目の前の頭が目に入った。

 すごい体型だな、と思った。なんていうか、膨らみすぎだ。

 後ろから見ていても、彼女は深く俯いているのがよくわかった。こんなんじゃ友達できないだろう、ずっと。そして行く末はクラス中から馬鹿にされる憐れなひとりぼっちの少女だ。

 この子なら、私でも見下せるかもしれない。

 そんな邪な気持ちを胸に満たして期待して、私は彼女の肩を叩いた。彼女は肩を震わせ、勢いよく振り返ってきた。

 予想と違わぬ顔だった。細くて一重の目は焦点が合ってなくて、鼻の横幅は四センチくらいありそうだった。すごいよこの子。悪い意味で。

 しかし私はそんな気持ちを微塵も外に出すことなく微笑んでいた。柔らかい、しかし格下の相手にしかできない笑みだ。

 彼女は唐突に頭を下げた。ずいぶん卑屈な態度だ、同級生に対する態度じゃない。きっと虐げられてきたのだろう。

「ねぇ何中? 私は東中なんだ、何中?」

 私は笑顔を崩さぬまま訊いた。

「あ、……西中……です」

 西中。上野理穂の出身中学だ。ちょっと探り入れてみるか。

「へぇ西中か。上野理穂って子いたでしょ。知ってる? 私塾一緒だったんだ」

「え、……あ、はい……」

 え、と言ったところで彼女がわずかに躊躇したのを私は見逃さなかった。どうせ上野理穂に関して何か嫌な思い出があるのだろう。

「敬語やめてよ。同級生なんだからさ」

 気さくに話しかけながら、同級生に敬語を使うところまでいっちゃうともう致命的だよね、と私は心の中で嘲笑した。

「あ、うん……」

「友達になろうよ。ね?」

 こうして私と田代花江は「友達」になった。




 横目ではなちゃんが属するバレーのチームを見た。花ちゃんはやっぱり体育が苦手ならしく、体育の50メートル走は13秒台だし、バレーのサーブが入っているところをろくに見たことがない。

 とか思っていると、私のところにボールが飛んできた。私は慌ててボールを追うが、あっけなく地面に落ちてしまった。

下田しもださーん、どこ見てるの? しっかりしてよー」

 体育の得意な同級生が不満げに言った。

「ごめん」

 私はか細い声で返した。彼女は私の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、何も反応を返してこなかった。笑える。私だって花ちゃんと一緒だ、強そうな子には卑屈な態度になってしまう。

 体育が終わって片付けの時間になると、私は花ちゃんのもとに行った。決して得意ではない体育の時間に他の子たちから見下されたことの鬱憤晴らしが、花ちゃんでできる。

「お疲れ。どうだった?」

 私は気さくに話しかけた。

「うん、まあまあ……」

 まあまあのレベルじゃないよねあれは、と思ったが、それ以外に花ちゃんは答えようがないことも知っていた。

「そっか、まああまり気にしないほうがいいよ」

 花ちゃんの肩を叩くと、彼女は大げさすぎるくらいに肩を震わせ強張らせた。

「こんな体育なんて全てじゃないんだし。花ちゃん勉強できるし」

 体育はすべてじゃないかもしれないが、学校生活において体育も重要だってことくらい重々承知だ。でもそれを口に出すほど私は未熟じゃない。こうやってきれいなことを言い続けていれば、人は勝手に誤解してくれる。優しい子なのね、と。

 私と花ちゃんは並んで教室に戻った。


 頬杖をついて、ああ、くるかな、と思った。

 花ちゃんの席が上野理穂たちに占領されてしまっている。花ちゃんはただ困ったように立ち尽くしているだけだ。あれなら上野理穂たちになめられちゃうよね、とぼんやり思った。

 やっぱり花ちゃんは私の席に来た。

「どうしたの?」

 わかりきったことを私は聞いた。それから上野理穂たちを見て、納得したようにうなずくふりをした。

「ひどいね。無断でとられたんでしょ?」

 花ちゃんはうなずいた。うなずくことでしか感情を表現できない幼児に見えた。

「大丈夫だよ。休み時間はここで喋ってよ。ね?」

 塾に通っていたころ、私もよく無断で席をとられた。

「ちょっと……」と勇気を出して話しかけると、

「何?」

 ととても嫌そうな顔をするのだ。

「そこ、私の席……」

「ああ」

 そして不満ありげに私に席を譲る。そのあと友達同士で、「なんで私が席とられなきゃいけないんだし、あの赤眼鏡」とか滅茶苦茶なことを言い始める。それが上野理穂だ。

 そのことを思い出しているとなんだか腹が立ってきた。

「大体さ、上野理穂って嫌な子だよね。私塾一緒だったんだけど、授業中うるさいし、人の持ち物無断で借りてくし。話すことは人の悪口ばっかだしさ。人のこと見下してるし。ね、花ちゃんもそう思わない?」

 言葉がすらすらと出てきた。言ったあと、さて花ちゃんはどういう反応を返すかと思っていると、意外にも彼女は自らの中学時代の思い出に絡めて上野理穂の悪口を言った。「花ちゃんってあんなんで生きてて何が楽しいんだろう」と笑われたらしい。そのことを花ちゃんは、ムカついているというよりも寧ろ悲しそうに話した。本当に悲しげだった。

 そんな花ちゃんを見ていると、再び腹が立ってきた。花ちゃんの気持ちがわかる、なんて同情はしないが、その気持ちは痛いほど想像できた。

 しかし一方で、ここで花ちゃんに同調しておけば彼女はますます私に頼りきりになるだろうという打算もあった。

 性質のまったく異なる二つの気持ちをふまえて私は発言した。

「えー、マジで? ひどすぎじゃん、それ! ありえないし! そんなやつのほうが生きてて何が楽しいんだし! 花ちゃん、そんな子の言うこと聞くことないよ」

「うん、ありがとう……」

 かすかだが、花ちゃんは笑った。自然な笑顔だった。花ちゃんは滅多に笑うことがない。笑おうと努力をしているのは見て取れるのだが、筋肉が強張って笑顔になっていない。

 なんて純粋な笑みだろうなんて柄にもないことを思って、でも笑ってもやっぱり花ちゃんは花ちゃんなんだなぁなんてつっぱって、私の気持ちは本当に変だった。それに醜い。




 私たちは同じ駅から通学している。花ちゃんも私も帰宅部なので、一緒に帰ることにしていた。今日も荷物をまとめた花ちゃんがうつむきながら私のもとにやってきた。

 花ちゃんの後ろから男子がやってきた。坊ちゃん刈りの、ひょろいくせに目だけがぎょろぎょろと動いているような男子だ。影が薄くて名前は思い出せなかった。

「田代さん」

 花ちゃんは振り返った。油っぽい長い髪の毛が揺れた。

「ちょっと話があるんだ」

 男子は背を向けて歩き出した。ああ、きっと罰ゲームだろうなぁ。こんなコテコテのシチュエーション現代でも通用するんだ、と私はどうでもいいところで感心していた。

 ほら、花ちゃん、と私は心の中で呼びかけた。やらせだよ、これ。そうに決まってるよ。さくさくっと断っちゃいなよ、それとも断れない?

 花ちゃんは、「ごめん、先に帰っててくれる」と私に言ってしまった。そして男子のあとを追った。

 あーあ、花ちゃん、だから駄目なんだよ。


 久々のひとりでの帰り道、さびれた八百屋やチェーンの喫茶店がある商店街を歩きながら私は考え事の連鎖を繰り返していた。

 あの気弱そうな男子が花ちゃんに告白する、っていう筋書きか。よくやるよ、本当によくやるよ。あいつら。

 昔のことを思い出していた。中学生三年生のときの話だ。私には好きな男子がいた。かっこよくて評判の、学校のアイドル的な男子だった。好きで仕方なくて、親友だと思っていた同級生に相談した。そうしたら彼女は「じゃあ、私がくっつけてあげる」と優しく笑った。今考えれば明らかに興味本位のネタにされていることがわかるのだが、当時はまだそこまで洞察力が無かった。

「でも、大丈夫かなぁ、私なんか」

「大丈夫だって。準備ばっちりにするから」

 弱音を吐く私を彼女が励ます、それがいつものパターンだった。私たちの関係には、やはり上下関係があったと思う。同じ階級に属しながら、微妙に立ち位置が違う。私は複雑な思いを抱いていた。

 卒業式がやってきて、私は男子に告白することとなった。親友がプランを考え、告白場所を指定し、男子を呼び出してくれた。

 待ち合わせ場所は、全校からよく見える中庭だった。どうしてこんな目立つ場所に、といった疑問はあった。しかし私は彼女のことを全面的に信用していたので、その疑いは芽のうちにつぶされた。

 男子は退屈そうに足元の石を弄んでいた。私は男子の名前を呼び、駆け寄った。男子は私を見た。面倒くさそうな、憮然とした顔をしていた。

 そこで気がつくべきだった。

「あの……待った?」

「べつに」

 男子の返事はそっけなかった。

「あの……それで、あたしね……」

 私は大きく息を吸い込んだ。

「あの、あんたのこと、好き……なんです」

 決死の覚悟で発した言葉だった。

「ふうん。それだけ?」

「え?」

「それだけなら、俺もう行くから」

 男子はそれきり言うと、その場を立ち去ってしまった。

 私は呆然とその後姿を見送った。

 入れ違いに親友とクラスメイト何人かがぞろぞろと現れた。そして唐突に拍手をした。

「よくやったよー、頼」

「がんばったがんばった。あはははっ」

 彼女たちは笑っていた。涙さえ浮かべそうな勢いだった。私はわけがわからず曖昧に微笑んだ。

 あとで聞いた話だが、私この告白はクラスのほぼ全員が知っており、当時流行っていたドラマのパロディで「頼子をプロデュース作戦」と呼ばれていたらしい。そしてクラス中の誰もが笑ったらしい。頼があいつに告白、えーっ? それはないね(笑)。

 このとき遂に悟った、私は見下されていたのだと。

 そんなことを考えていると駅についた。私は電車に乗って家に帰った。



 登校してみるとクラスの前が騒がしい。他のクラスの子たちまで集まっている。きゃあきゃあわあわあ、動物園のようだ。こいつら偏差値は悪くないけどただの馬鹿だ、と私はいつも思う。勉強できるだけの猿だ。私はその猿山の下にいる存在に過ぎないのだけれど。

 教室の中を見ると、昨日花ちゃんに話しかけた気弱そうな男子と花ちゃんがキスさせられていた。それを見て生徒たちは笑う。その笑みはかつて元親友とクラスメイトたちが私に向けた笑いとそっくり、いや一緒だった。

 いつか何かされるとは思ったけれど、キスまでいっちゃったか。私は口を歪めた。まあ花ちゃんとあの男子だからね……

 そのとき意識の逆流が起こった。今までの考えがひっくり返されてごった返されて、新しい考えがつるんと出てくる感覚だった。

 立ちくらみがした。気がついた。私もあいつらと一緒だと。今花ちゃんを見てげらげらと笑っているあいつらと、私は今同じことを思ったと。花ちゃんを見下すことが当然だと、格下の相手を見下して当然だと考えていた私は、かつてプロデュース作戦などと言い始めて私を当たり前に見下したあいつらと変わりなかった。誰かを見下せばこの劣等感が拭えると思った。でもそれは私が最も嫌悪しているあいつらを認めるってことと同じじゃないのか。

 私は尚もキスさせられている惨めな花ちゃんを見て、かつての自分を想った。そこには確かに昔の私がいた。

 この事実に気がついてしまった私は一日中上の空だった。


 放課後その花ちゃんと一緒に歩いている間、私は謝りたい気持ちでいっぱいだった。花ちゃんに、何より昔の私自身に、私はあいつらと一緒になってしまったと。

 どうしてこういう理不尽なことが起こるのだろう、なんて思った。私も花ちゃんも、損なわれている。あいつらに損なわれている。仲間だったはずだ。今日私は花ちゃんを損なった。私が花ちゃんを見下すことで花ちゃんは損なわれる、そんな簡単な事実に気がつかなかった。人の気持ちになって考えましょう、幼稚園の頃先生に言われなかった?

「ありえないよね」

 思いが口に出てた。花ちゃんはよくわからないという表情で、しかし黙って私の話を待っていてくれた。

「こんなの、無いよ。ありえないよ……」

 私はそれだけ言った。



 きれいごとなのかもしれない。

 謝りたいなんて、こんな理不尽なことどうして起こるの?なんて、素晴らしいきれいごとだ。あはは、私は偽善者だったのかもしれないなんてベッドに寝転んで思った。私だって加害者だ。

 でも私は言わなきゃいけない、と震える手で携帯電話をいじって花ちゃんに電話をかけた。

 5回コールを繰り返したところで花ちゃんは出た。

「……もしもし」

 電話を通して聞く声は普段聞く声と少し違う。花ちゃんの声は実際よりも大人っぽく聞こえた。

 頭が真っ白になってしまった、比喩や誇張でなく。何が言いたいのか何を言うべきだったのかすっかり抜け落ちてしまった。必死で考えて、何も言葉が出てこなくて、結局言った言葉は

「ごめん」

 だった。

「……ごめん、花ちゃん……私、見てた。花ちゃんがからかわれてるの、全部見てた。でも止めなかった。止められなかった。最低だよね、私。こうして電話して言い訳してること自体がもう最低なんだ。こんなこと言わなければ良いのにね」

 そうだ、と私は心の中で言った。

「言い訳じみてる。本当に。でもどうすればいいのかわからなかったんだ。……言い訳だ。全部、言い訳だ」

 結局何を言っても言い訳にしかならないことに気がついて愕然とした。私は人に謝りもできないのか。

 少し間を置いて、花ちゃんは小さな声で、でもはっきりと言った。

「別に頼子のせいじゃない。頼子に悪いところはひとつも無いし、これは私の問題だから」

 花ちゃんの声は落ち着いていた。

「ありがとう。花ちゃんは優しいね」

 半分本音で半分自嘲だった。

 そのとき心の中で誰かが勝手に喋り始めた。私だ。

 でもやっぱり花ちゃんは花ちゃんだよね。今日だってキスさせられてて、見た、あれ? おかしいの。頼子、あんただって花ちゃんを下って見てるからそうやって謝れるんでしょう?

 うるさい黙れ、と私は心の声を叱りつけた。私はまた人を損なって、謝りもできない。どうして私は自分のことだけ考えていたんだろう。

 ああ偽善。

 電話を切ったあとフルボリュームで音楽を聞いて、近所迷惑だからと親に注意された。



 それから三日間、私はもやもやと心の中にくすぶっている想いを誤魔化すかのように花ちゃんと明るく喋った。花ちゃんはよく雛野とのことでからかわれていて、私は「気にしないほうがいいよ」とフォローしながら内心自分に呆れていた。

 ことが起こったのはあの事件から四日目だった。


「暇暇暇ーっ」

 と上野理穂の取り巻きが言った時点から、もう予感はしていた。

「すっごい暇。退屈。最近やることない」

「だよねー……」

「なんか面白いことないー?」

「なんか無いかなぁ」

 上野理穂はガムを噛みながら何かを考えているようだった。猫のような瞳がふいに光ったように見えた。彼女は取り巻きを周りに集め、小さな声で何かしら相談をしていた。

「えー、ちょっとキワどくないー?」

「いいのそんなことしちゃって!」

「ヤバくないー?」

 出た。口だけはいい子の彼女たち。ヤバくない、とか言いながらも顔はしっかりと笑っている。

 何が起こるのかな、という興味と、もうこれ以上何も起こって欲しくない、という気持ちが交差していた。矛盾している。

「みんなー、ちゅーもーく」

 上野理穂が無造作に、口の端をいやらしく歪めて手を叩いた。

「これから田代花江さんと雛野一樹さんの正式な結婚を行いたいと思いまーす」

 男子が言った。あとは予想通りだった。雛野のもとには力の強い男子が、花ちゃんのもとには女子が行き、服を脱がし始めた。花ちゃんは呆然としていて抵抗もしていなかった。ただ阿呆のように口を開けて、涙を流していた。

「脱げ! 脱げ! 脱げ! 脱げ!」

 コールが起こっている。皆いやらしい笑みを浮かべている。みんな暇なんだ。暇だから、他人を損なう。それだけのことだ。私の場合だって。

 惨めな花ちゃんに昔の自分がかぶった。

 偽善かもしれない、というか完全に偽善だ、でも今花ちゃんを救う、いや救うなんて傲慢じゃない、とにかく花ちゃんの味方になることで、損なうことを少しでも軽減できるかもしれない。花ちゃんも、だが、誰より自分を。これ以上昔の私のような花ちゃんを見ていたくなかった。

 そんな思考を一瞬のうちにして、私は気がついたら叫んでいた。

「やめてよ!」

 花ちゃんが振り返った。





あとがき

 頼の思考パターンは考えてたんだけど実際文章にすると難しい。

 偽善偽善とばかり言っててあんたは偽善っていう言葉しか知らないのかと言いたくなる。


 でも最近一応終わらすことができるようになったよー


3月5日 深夜1時

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