第3話



「どうやらここみたいですね」


 駅から五分と歩かない商店街の一角にその店はあった。


 『フラワーショップ ブルーパロット』


 軒先に掲げられた看板にある流麗な文字と青色のロゴは、メッセージカードのそれとばっちり一致していた。


「そうだね、今回のわれわれの目的地だ」

「まるでフィールドワークに来たみたいな言い方、よしてください。しかも何で私まで……ブツブツ」


 口を尖らせたていた平子の手を、黒木教授がぐっとつかんだ。


「さあ、行くよ!」

「え、え! ちょ、ちょっと待ってください。もう少し観察しませんか?」

「また君の優柔不断が始まったか! チャンスはあっという間に飛び去ってしまうんだよ?」

「先生、落ち着いてください! いきなり過ぎますって! お店営業中ですよ? ほら、お客さんがいま出ていったじゃないですか」

「うーむ、たしかに」

「せめて意中の人がお店にいるかぐらいは、外から確認しましょうよ」

「まあ、そうだな……君の意見にも一理ある。ではまず陣を作るか」

「陣って商店街にそんな場所あります? まさかテントでも張る気じゃないですよね……確実にお巡りさんに通報されますよ?」

「はは、平子くん。君の発想力はとても豊かだなあ。僕を笑わせるだけの可笑しさはある。でも残念ながら今回は適切じゃないね」


 この人はどうしてこんな言い方しか出来ないのだろうと、平子は頬をふくらませた。悪気がないだけに、どう返していいのか困ってしまう。


「よし、あの対面にあるコンビニのイートインコーナーにしようか」



 腰を下ろした黒木教授はさっそく、仰々しいバッグの中から使い込まれた双眼鏡を取り出した。


「せ、先生! それ完全に覗き! そんな大胆に使わないでください!」


 平子はオーダーした二人分のコーヒーを落としそうになった。周りに客がいないのからいいものの、店員に見られたらそれこそ通報ものだとヒヤヒヤした。


「おっ早速、彼女を発見したぞ」


 しばらく『観察』を続けているうちに、配達の女性は店にいることがわかった。小さなお店なので、店員は二人しかいないようだ。しかももう一人は、一度店の奥に引っ込んでから全然出てこなかった。


 黒木教授はひとり興奮して「うむ、目標を発見したぞ」とか「やはり私の推測は間違っていなかった」など、意味不明な言葉を繰り返していた。


 店員の視線が気になってきた平子は「また今度にしませんか?」と提案したのだが、教授はまったく聞き入れない(というか聞いていない)。


「よし、お客がゼロになった。店を出るぞ!」

「本当に私も行くんですか……自分が告白するより嫌なんですけれど」

「何を言っているんだ。君が私の研究室を最初に訪れた時、何て言ったか忘れたのかい? 『正式な助手にしてください』って頭を下げたじゃないか。だから君の仕事は教授の手伝いに決まっている。さあ、おいで!」

「こんなサポートするなんて聞いてませぇぇん」


 強引に引っ張り出された平子と黒木教授はコンビニを出て、花屋の店内へと足を踏み入れた。店はこぢんまりとしていてシンプルな内装だった。平子はひと目で店を気に入った。


「いらっしゃいませ」


 配達の女性が切り花を花桶にまとめていた。平子はあらためてまじまじと彼女を見た。エプロンと長靴という作業姿にも関わらず、美しく気品がある――確かに一目惚れがあってもおかしくない相手だ。


「お花をお探しですか? あ……!」


 店員は平子の顔を見て、驚いた。


「あ、あの大学の研究室にいたお客様ですよね。ご一緒の方も……たしか奥にいらっしゃった先生さん。どうかしましたか、お届けしたお花になにか問題でも?」

「い、いえ……そういうわけじゃないんですが」


 答えあぐねていた平子を押しのけ、黒木教授が一歩前に出た。人に興味を持たないはずの中年の目が、今日はキリッと引き締まっていた。その真摯な眼差しに気圧され、女性店員は思わず唾を飲み込んだ。


「わたくし、大学で動物生態学を研究している黒木と申します。先日あなたを研究室でひと目みた時に心を打たれ、失礼とは思いますがお店に来てしまいました」

「は、はい?」


 平子はたまらず顔を伏せた。本気で恥ずかしく、できるなら手で顔を抑えるか、耳に蓋をしたくなった。とにかく教授が次に何を言うか、怖くて仕方がない。


「研究一筋で生きてきた不器用な人間ですが、私の誠意をお伝えできればと思います」


 黒木教授は持っていたバッグから手帳を取り出した。中に挟んでいた一枚のメモを手に取る。何かが書いてあるのが見えたが、細かい文字で平子には読み取れなかった。


 教授はそれを見ながら演技っぽい口ぶりで一言、喋りだした。


「『胸のときめき』」

「は、はい?」


 平子の目が一瞬、点になった。


「『輝くばかりの美しさ』。そして『一目惚れ』」

「へ? 先生……う、嘘でしょ!!」

「ああ何という『強運』。そして『気高く威厳に満ちた美』」

「へ? はい? せ、先生……う、嘘でしょ!!」


 何という古式ゆかしい告白だろう。平子は体中がムズムズするのを抑えられなかった。まるでオペラか戯曲の台本を手にひとり通し稽古をしているようだ。しかも教授の声は意外にも耳に心地よい中低音バリトンボイスだった。


(せ、先生! ここは舞台でも劇団の稽古場でもない、ただの花屋ですよ! しかも今どきの若い女の子相手に、そんな剛速球のどストレートで告白する人いませんって!!)


 そんな平子の声にならない訴えは届かない。教授は臆面もなく用意したセリフを読み上げ続けた。


「『とても幸せです』『たくさん話しましょう』」


 ああ、駄目だ……いろいろな意味で。もう止められないよ。額に手を当てる平子。その時だった。店の奥からのれんをくぐって、もうひとりいた店員の女性が出てきた。


「何だか騒がしいわね。どうしたの? あやちゃん」


 近くで見て初めて気づいた。髪に白いものが混じる年配の女性だった。しかも若い店員に負けず劣らずの美人である。


 あっと平子は口に手をあてた。特徴があらわれる目元や鼻筋を見て、すぐに気づいた。この人は教授が告白し続けている子のお母さんに違いないと。


 教授も同じ結論に達したようだ。だがその反応は平子とは全く違っていた。現れた中年女性をまじまじと見つめたのち、しまったと言うように額をバシッと叩いた。動揺したのか、そのままよろよろと後退った。


「なんということだ! 私は『愚か』でした。『誤解を解きたい』『告げられぬ恋』。でも私は『困難に打ち克つ』のです」


 教授は突如向きを変えると、あぜんとして見つめていた母親の方に歩き出した。目の前に立つと、大きく手を広げる。


「すみません、お願いすべきはあなたでした!」


 母親がうろたえるのも構わず、またしても例のメモに沿って喋り始めた。


「『あなたを思うと胸が痛む』『あなたは完全です』」

「え……え!! せ、せんせぇいぃ! 今度はそっちですかい!!」


 平子は思いっきり混乱した。いや、年齢からいったらむしろそちらの相手の方が相応で、お似合いなのかもしれない。告白が成功する確率も上がるかも……いやいや、何を冷静に分析しているんだ、私! そんな問題じゃないでしょ! 平子は後ろから小声で話しかけた。


 「あの……ちょっと、節操なさすぎませんか?」

「『願い続ける』『逆境で生まれる力』『ずっと離れない』」

「お願いです。先生、もうそのへんで!」


 平子はもういてもたまらず声を張り上げた。


「『私の愛は増すばかり』『私に答えてください』『コミュニケーション』」

「こ、こら! そこまでですってば!」

「『エキゾチック』『一緒に飛びたい』」


 もう実力行使しかない。平子は黒木教授の口を――できるなら永久に――塞ごうと手を伸ばした。何としてもこの暴言を止めるつもりだった。


「いーーーー加減にしてください!!!」

「『遠くにいても、君を忘れない』……んぐ!」


 教授の口を押さえていた平子は、彼の言葉を聞いてはっとしてた。


「……遠くにいても、君を忘れない……それって、私の……シオンの花言葉? まさか先生が喋っているのって……」


 その時だった。


「キミヲワスレナイ!!」


 奇妙に甲高い声が叫んだ。そしてバサバサと大きな羽切り音がしたかと思うと、店の奥の方の影から、何か巨大で真っ青な影が飛び出した。


「プハッ! おお! やはりここにいたか!」


 教授は口を覆っていた平子の手を払いのけると、その生き物に向けて、高々と腕を伸ばした。影は大きな羽を広げて舞い降り、ふわりと教授の腕に着地・・した。


「こ、これって……」あっけにとられた平子は、その巨大な生き物を見て目をパチクリさせた。「オ、オウムですか!?」


「ふふ、そうさ」教授はうっとりとした顔でその巨鳥を見つめた。「いや、正確には『スミレコンゴウインコ』だよ。またの名を『ブルー・マッコー』ともいう」


 平子はその生き物を動物園で見たことがあった。一メートルはあろうかという体長を持ち、とにかく存在感がある鳥だった。青々とした羽毛が全身を覆っている。巨大なくちばしの下顎と目の周りだけが黄色く、ワンポイントになっていた。


「どうだい、この存在感。そして際立つ美しさ! まさに『エキゾチック』じゃないか!」


 教授は興奮して叫び、インコの美しい翼に頬ずりした。そして再び若い女性店員に向き直る。


「あなたが私の研究室に来た時、エプロンにこの鳥の羽が付いていたのを見たんです。そして私の鼻は、どんな鳥の匂いも嗅ぎ取ることができます。それであなたの残り香に、このインコの臭いを感じ取りました」

「え……私、そんな鳥臭かったですか?」

「一般の人にはわからないでしょう。ましてやあなたはこの鳥と一緒に暮らしている。慣れてしまっているから余計に」


 教授はスーツの内ポケットから、メッセージカードを取り出した。


「さらにここに描かれたロゴマーク。これはインコをかたどったものですよね。『プルーパロット』というお店の名前を訳すと『青いオウム』になる。まあ正確にはインコなのだが。まあ、それはいい。つまりこの鳥はお店のシンボル・バードなんですね」

「え、ええ……この鳥は亡くなった父が買い求めたものです。外国の非常に貴重な鳥だと聞きました。国際的な規制がゆるかった時期に、海外の店と取り引きして手に入れたそうです。それでもかなり高価だったとか」

「そうなんです! この鳥の貴重さは筆舌に尽くしがたい! そこでご提案です! ぜひともこのインコを譲ってはくれませんか!」

「「「え、え、えーーー!!」」」


 突然の『告白』に店の三人の女声の声が重なった。


「もちろん、きちんと飼育することはお約束します! もし病気やその他の事情で死亡した場合は、美しい剥製にしてお戻しするサービスも付けますよ。何なら骨格標本でも構いません!」

「し、死亡……? 剥製? 骨格って……骨……!! いやあああ!! 『ペロ』ちゃんが殺されちゃうぅぅ!!」


 さらりと言った教授の言葉の意味が浸透し、若い女性は悲鳴を上げた。うろたえた母親が走ってくる。


「あ、彩ちゃん!! ちょっとお客さん、縁起の悪いこと言わないで下さい! この鳥は私たちの大事な家族なんです。譲りません!」

「え! それは困ったな……それならしばらくここに通わせて頂けませんか? 観察という名目で……いや、そんな目で睨まないでほしいな……そうだ。えーっと『あなたと一緒なら心がやわらぐ』」

「やすらぎません! お断りします!」

「先生、諦めてください。もう行きますよ!」

「『私はあなたのとりこ』」

「あーうるさい! ほら!」


 平子は黒木教授を引きずるようにして店を出た。


「あぁ……私の……インコが……」


 夕暮れの商店街の中、ズルズルという黒木教授が引きずられる音と、名残惜しげな声が響きわたった。


「『かなわぬ恋』『君を忘れない』」


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