第9話 クーデター

【豊国テクニカルセンター(TTC)、二九階 社長室】


 豊国パレスホテルから帰社した正一は、秘書の高橋から臨時取締役会が十七時から開催され、出席者は海外出張や休暇中を除く十五名と言う報告を受けた。満足そうに頷いた正一はもう一つの指示を高橋に出した。

「直ぐに中西副社長を呼び出してくれ。確認したい事がある」

 はいと言って高橋は部屋を辞した。数分後、ドアをノックする音がする。

「社長、中西副社長をお連れしました」

「入ってくれ」

 正一は執務席から立ち上がると社長室に入って来た中西にソファに座る様に促し、自分も彼の前に座った。

「中西君、忙しい中、呼び出して申し訳なかったね」

「いえ、問題ありません。それと遺族の男性の発言は酷かったですね。豊国自動車の社長の退任を要求するなんて」

「そうかもしれんが、私は彼がああ言うのも理解出来る。勿論、社長を降りるつもりはないけどな。それと中西君、君に聞きたい事があるんだ」

「何でしょうか?」

「君は川上君を自宅謹慎にしたな。理由を聞かせて貰えるかな?」

 中西は驚いた様に正一を見ている。

「社長、何故、彼の処分をご存じなのですか?」

「私がどうやって知ったかは問題ではないだろう。彼も私の会社の社員なんだから……。自宅謹慎の理由を聞かせてくれ」

「会社の秘匿情報に許可を得ずアクセスしたからです」

「秘匿情報と言うのは父のプライムの事故時のデーターの事か?」

 更に中西が大きく眼を見開いている。

「あっ、はい。その通りです。プライムの担当者でないEV開発部の彼が見るべき内容ではありませんから」

「分かった、許可を得ずに見たと言うのは彼の落ち度もあったのだろう。でもそれだけで自宅謹慎の処分は重過ぎ無いか? それに優秀な技術者の彼に何故見せてはいけないんだ?」

「それは……。事故の原因は運転ミスですから、もう我々が解析する必要はないので……」

 正一は中西を睨んで言った。

「事故原因が運転ミスだとしても、人の間違えを防いで事故を起こさない様にするにはどうするのか……? 豊国自動車の全員が知恵を絞るべきだと私は考えている。良いか、あのデーターを全社員が閲覧出来る様にするんだ。そして広く将来の事故を防止する知恵を社内から集めるんだ。勿論、川上君の自宅謹慎はこの時点を以て解除だ。良いな?」

 中西は何か反論を口にしたそうだったが、結局、何も言い返せなかった。

「……分かりました」

「それと、この後の臨時取締役会で全てのデーターをもう一度確認させてくれ。川上君が見た映像には音声データーも有ったと言っていたぞ。今度は音声データーも付けて説明する様に。分かったな」

 中西は正一の厳しい口調に「はい」と同意するしか出来なかった。

 社長室を出て狼狽しながら自分の部屋に戻った中西は、直ぐに執務席に座り電話を取った。

「高山君、まずい事になった。この後の取締役会で計画実行するしかない」

「えっ? 今日の臨時取締役会でですか?」

 電話先で子飼いの高山専務が驚いた声を上げる

「そうだ。今日の取締役会の出席者は何人だ?」

「十五名です。三名が欠席の予定です。我々サイドは七名全員参加です。えっと、同調してくれている四名の内、三名は参加ですから、今日、実行となっても勝てる見込みですが、もう一度、全員に根回しを行います」

「分かった。それが終わったら私の部屋に来てくれ。『緊急動議』のシミュレーションをしたい」

 電話を置いた中西は先程までの狼狽が嘘の様に明るい表情を見せていた。

「災い転じてという奴か……。こんなにも早く計画を実行する日が来るとはな……」

 


【同日十七時、二九階 第一役員会議室、臨時取締役会】


「それでは臨時取締役会を開催します。本日の議題は昨日のプライムの事故による経営への影響の確認。そしてプライムの事故データーの再検証及び本日の遺族の記者会見を受けての会社としての対応、となっております。それでは議長の豊国社長、お願いします」

 社長室長の高山専務が開会を宣言し、代表取締役の正一が議長として臨時取締役会をスタートした。

「それでは臨時取締役会を開始する。まずはお客様サービス本部の大山常務、お客様相談室に入った内容を報告してくれ」

 V字型のレイアウトで配置された会議席の一番奥に座っている正一が右側最前列に居る大山に声を掛けた。

「はい、説明させて頂きます。お手元のPCのモニターをご覧下さい。昨日のプライムの事故以降、事故に関する着電は三八七二件でした。励ましのご意見が十七件ありましたが、それ以外は全て苦情等のネガティブな内容でした。主要なものではプライムの製品品質に関するものが九三九件、前会長の責任に関するものが八六二件となっています。また、本日の遺族の記者会見以降、社長の退任要求に関するものが一六〇五件、入っています」

 正一は自分の退任を要求する電話がこれだけ多数入っている事に衝撃を受けていた。しかし、これはお客様の声として真摯に受け止めなければいけない。

「それでは国内営業本部の徳武常務販売への影響を報告してくれ」

 大山常務の隣で徳武常務が話を始めた。

「通常の日曜日であればプライムの国内販売台数は約千台ありますが、昨日の事故後の契約は五二台のみで、結局昨日トータルでは三二八台のみの販売でした。また納車前のプライムの契約解除についても全国で約二千五百件の報告を受けています。このままではプライムの年間販売台数は大きく未達する見通しです。またプライム以外の車種も含めた豊国自動車全体の営業へのインパクトに関しても現在確認中ですが、各販売会社の声を聞くと、ブランドイメージの失墜は尋常でなく、大きく販売台数を落としてしまうリスクがありそうです。引き続きモニターすると共に、対策案について検討していきます」

 正一は大きく肩を落とした。これは想像以上に大きな経営へのネガティブインパクトだ。気を取直して中西副社長に声を掛ける。

「それでは中西副社長、昨日のプライム事故のデーターの再説明をお願いする」

 その正一の声の後、中西の隣の購買部門の小林常務が手を挙げた。

「その前に宜しいですか?」

「小林常務、どうぞ」

「今回のブランドの失墜。営業台数の大幅な未達。そして社長退任を願っている遺族心情を考慮すると社長に責任を取って頂く必要があると考えますが」

 正一が小林を睨んでいると、もう一人の手が上がった。開発部門の大河常務だ。

「大河常務、どうぞ」

「ここで緊急動議を提案したいと思います。今回の会社経営に影響を及ぼした責任、また社会への道義的責任を考慮して、豊国代表取締役社長の解職を提案します」

 正一は眼を見開いて大河を見た。

「大河さん! 何を?」

 大河に続いて議事進行係りの高山専務が声を上げる。

「今、緊急動議が提案されましたので本件の審議に入ります。本件は議長である豊国社長の解職案件なので暫定議長の専任が必要となります。会社の定款上、暫定議長をもう一人の代表取締役、中西副社長にお願いします」

 高山の言葉に正一は彼を驚いた様に見つめた。

 中西副社長が声を上げる。

「本日の参加取締役は十五名。本件、議決権の無い社長を除いても全取締役十八名の過半数を超えていますので本日の決議は有効となります。それでは、緊急動議の決を取ります。本件、豊国代表取締役社長の解職にご賛同の方はご起立お願いします!」

 それはアッと言う間だった。中西副社長、高山専務、大河常務、小林常務他合計で八名の取締役が起立して賛成に廻った。

「えっ?」

 正一は余りの突然の出来事に反論も出来なかった。

「賛成八名。過半数を超えていますので豊国代表取締役の解職が成立しました。同時に豊国氏は議長の権利も喪失しましたので、本日の取締役会はこのまま私が議長を引継ぎます。また当面の社長業務も私が暫定的に引き継ぎます。併せて遺族より出されていた社長退任の要求はこれで満足されたと考えられますので最後の議題はキャンセルとします。それでは本日の取締役会はこれで閉会します!」

 賛成に廻った役員を先頭にあっという間に第一役員会議室は蛻の殻となった。

 残された正一は、この場で起きた事が理解出来ず呆然としていた。

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