第7話 遺族の苦しみ

 豊国自動車社長の正一は娘の理紗と一緒に社用車の後席に座っていた。理紗は黒いワンピース、正一も黒いスーツに黒いネクタイを身に付けていた。

 先程、二人は神奈川県警に呼び出され、聴取を受けていた。正一は昨日の記者会見で使ったデーターと事故時の録画されたデーターを県警に提出して、豊国自動車としての立場を述べた。理紗は昨日、病院で木本と言う刑事に話したのと同様に、ブレーキは踏まれていて、車側に何らかの不具合が有った筈だと説明した。

 意見の異なる二人は車の中でも終始無言だった。しかし、これから向かう先では二人は一緒に重要な相手に接しなければいけない。正一と理紗は事故で亡くなった岡本久美さんと弥生さんの遺族、久美さんの夫『岡本俊輔』さんに会う為、豊国パレスホテルへ向かっていたのだ。

 この後、午後二時から岡本俊輔さんがパレスホテルで記者会見を行う予定であり、その前の時間を使って豊国自動車代表として、また被告人の家族として謝罪をさせて頂く予定だった。

 豊国自動車の責任者、そして加害者の息子として、また若いお母さんと幼い娘を跳ねた車に乗っていた人間として、深く謝罪をしたいと二人は思っていた。

 車が豊国パレスホテルに到着するとベルボーイの男性が車の後席のドアを開けてくれる。先に理紗が降りて、それに正一が続いた。

 直ぐにホテルの担当の女性が駆け寄って来る。

「豊国様、お待ちしておりました。こちらです」

 その女性は二人をエレベーターで二十五階へ通すと、そのフロアの『2501』と書かれた部屋に二人を案内してくれた。

「こちらのスイートルームが岡本様の控室となっております」

 二人が頷くとその女性はドアをノックした。直ぐに返事が聞こえ、ドアが中から開いた。

 そこには憔悴しきった若い男性の姿があった。それは被害者の夫であり父である岡本俊輔だった。

「入ってくれ」

 俊輔は二人を見ると低い声でそう言った。

 二人は頭を下げて、そのスイートルームの中に入った。

「それでは私はこれで。何か有れば連絡下さい」

 そう言って女性が後ろでドアを閉めると、まずは正一が身体をほぼ九十度曲げて大きく頭を下げた。理紗もそれに続いた。

「岡本様。初めまして豊国正蔵の長男の豊国正一でございます。またこちらは娘の理紗です。本来であれば人身事故を起こした父が直接この場に出向いて謝罪をするのが筋で御座いますが、生憎、未だ意識不明の状態で御座いまして、代わりに参上致しました」

 理紗が少し顔を上げて俊輔の顔を見ると、その怒りを抑えられない表情をしている。大切な家族を失ったのだ。当然の感情だ。

「この度は父が起こしてしまった人身事故により奥様とお嬢様のお命を奪ってしまい大変申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。未だ、事故原因については警察で捜査中ですので予断を持ってお話しする事は出来ませんが、何の落ち度もないお二人の将来の喜びや幸せが溢れる時間を無為に奪ってしまったこと。また、ご遺族の衝撃と悲しみの深さを忖度しますと、胸が張り裂ける思いで御座います。私どもはせめてもの償いとしまして、慰謝料や諸費用につきまして、誠心誠意の賠償をするつもりで御座います」

 この正一の話を聞いて俊輔が声を荒げた。

「お前、金で解決すると思っているのか? どんなに久美と弥生が苦しかったか? 痛かったか? お前に分かるか? 金なんか要らない! 今すぐ久美と弥生を生き返らせてくれ!」

 理紗はその叫びを聞き、眼から涙が溢れて来た。あの二人を跳ねた瞬間、そして彼女達が歩道で冷たくなっている姿……。理紗は今も鮮明に覚えていた。正一も頭を下げたまま何も言えないでいた。

「お前、豊国自動車の社長だろ! あの車、プライムだっけ? もう何度も事故を起こしているんだろう? 知っているぞ。『プライムミサイル』と呼ばれている事! お前達、車の不具合を隠蔽しているんじゃないのか? そうだとしたら、俺はお前とお前の会社を許さない! 絶対にな!」

 その言葉を聞き、頭を下げたまま正一が言った。

「岡本様! 豊国自動車の社長として、プライムの不具合ではないと断言出来ます。その証拠も御座います。ただ、今回の様な運転操作ミスを防ぐ装置は搭載出来ていませんでした。豊国自動車としてはこの事故の反省から車の安全性の向上に更に努力を続けて参ります」

 俊輔は更なる怒りを露わにした。

「うるさい! これからの努力なんてどうだって良いんだ! そんな事やったって……。もう戻って……来ないじゃないか……。もう帰ってくれ! あんた達の顔なんか見たくない。早く帰ってくれ!」

 そう言うと、俊輔は正一と理紗を部屋の外に押し出した。ドアが閉まると部屋の中で俊輔が号泣している声がする。理紗も涙を止める事が出来なかった。横の父を見ると彼も大粒の涙を流している。

「理紗。私は決めた。どんなに運転手がミスをしても、絶対事故を起こさない車の開発をしてみせる。こんな理不尽な事……、もう沢山だ!」

 そう言うと正一はエレベーターホールに向けて歩き出した。大きな決意を胸に抱いて。



【豊国パレスホテル 記者会見場】


 豊国自動車の前会長が起こした死亡事故であり、『プライムミサイル』と言う風評も相まって、記者会見場には数百名のメディアが押し掛け、多くの記者が中に入れない状況だった。

 暫くすると遺族の岡本俊輔が左手にバックを持って会見場に現れた。その瞬間、眩しいフラッシュの光が激しく明滅した。余りの多くのメディアの数に一瞬たじろいで立ち止まった俊輔であったが、頭を下げて中央の会見席に腰を降ろした。

 一瞬だけ周りを見渡し、そして大きく深呼吸をした。そしてバックから写真立てを出した。そこには元気な頃の久美と弥生が満面の笑みで笑っている写真が納められている。その写真を暫く見つめた後、その写真をテーブルの上に置き、彼は自分の言葉で話を始めた。

「皆さん、お忙しい所、会見にお越し頂きありがとうございます。遺族として私からコメントをさせて頂きます。私は……」

 俊輔は下を向いて涙を堪えている様に見える。

「私は、この報せを聞いてから今でも信じられない気持ちで一杯です。最愛の妻と娘を一瞬で失い、ただただ涙することしかできません。妻は本当に優しく、娘は本当に可愛かった。そんな二人がこの世にもう居ないなんて……。絶望しかありません。妻は人を恨むような性格ではありませんでした。私も彼女を尊重したいと思っていましたが、でも私は豊国自動車と運転していた豊国正蔵という人を許す事が出来ません」

「私達は幼馴染でもう十年以上付き合っていました。それでもプロポーズする時は本当にドキドキしました。久美がYESと言ってくれた時は本当に嬉しかった。その時の彼女の笑顔、今でも鮮明に覚えています。一人目を妊娠して流産をした久美は弥生を妊娠してから本当に愛おしそうに大きなお腹を撫でていました。そして私も立ち会った弥生の出産、彼女の産声を聞いた時は二人で号泣しました。一年前のあの幸せな時にこんな過酷な未来が待っているなんて考えもしませんでした。彼女達は普通に暮らしていただけなのに、命を奪われてしまったのです」

「この事故の原因が単なる運転ミスなのかプライムという車の不具合なのか、私には分かりません。でも、豊国自動車のプライムが久美と弥生を殺した事実は変わりません。先程、豊国自動車社長の豊国正一氏が私に頭を下げに来ました。彼には原因が何であれ責任を取って貰いたいと思います。それが加害者の息子としてなのか、不具合車を製造した社長としてなのか分かりません。でも、どちらだとしても彼は責任を取るべき立場です」

「この記者会見を聞いている全国の皆さんにお願いしたいです。豊国社長が辞めるまで豊国自動車の車を買わないで欲しいのです。それが最も強く彼等を反省させ、対策の促進にも繋がると思います」

 この記者会見は大きな反響を呼んだ。ネットやSNSでも豊国自動車と正一は激しい非難の嵐に晒された。

〈プライムミサイルが母娘を殺した!〉

〈豊国自動車は欠陥を隠蔽している!〉

〈走っているプライムは今すぐ走行禁止にしろ!〉

〈豊国自動車は全ての車の出荷を止めろ!〉

〈豊国自動車の社長が辞める迄、不買運動継続だ!〉 

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